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第4話 オルゴール

 電話帳の中に、燦々と輝く『ミツキ』の文字に、俺はただただ呆然と見入っていた。夢じゃ無かった。都合の良い夢だと、本気でそう思っていたのに。 「嘘だろ?」  人生で滅多に無い水をぶっ掛けられる(正確にはアルコールだけど)、と言う惨事を体験したかと思ったら、何故かミツキさんと付き合える事になったのだ。もう、本当に何が何だか分からない。けど、これは現実らしい。ぎゅう、と右頬をつねってみる。痛い。でも、どうしても信じられなくて、右頬をつねったまま、今度は左頬もつねってみた。結果、俺の頬は、両方じんじんと痛む結果となった訳だ。 「嘘、みたいだ……」  声に出してみると益々混乱した。思考回路がこんがらがる。俺の頭は完全な理系で、考え事をする時は、表計算ソフトが立ち上がるように規則正しく回ると言うのに、いつもみたいに思考は回らなくて、俺は、頭を抱えて床に転がった。ああ、フローリングの床が冷たくて気持ち良い。俺は、モノトーンの部屋の中で、目をつぶった。  ミツキさんは、初めてあのバー、ユートピアで見掛けた時から、ずっと俺の理想の人だった。そう、三年前に、あのバーに行って、一目で心を奪われた。だって、何もかもが、俺の理想通りの人だったから。顔は言うまでも無い。身体つきや仕草、声、喋り方、全部。何もかもが、だ。  俺は、本当は、あんな人に生まれたかった。こんな無駄に成長するのでは無く。  俺は、身長が185㎝ある。体重は68㎏だ。どちらか言うと細身に分類されるだろう。だが、筋肉は程々にある。部活のせいだった。身長を買われて、中学高校とバレー部に所属していた。運動が好きでも無かったのに。強引な先輩の誘いを、性格もあって、断り切れなかったのだ。中学三年生の時に170㎝を超えた辺りから、俺は、自分の人生が、自分の思う通りには行かない事をまざまざと思い知らされた。こんな事を思うだけで、気持ち悪い、と言われそうだが、俺は、本当はお姫様になりたかった。小さくて、可憐で、可愛くて、素敵な、物語の主人公のお姫様に、俺は強い憧れを抱いていた。だけど、実際には、そう言う訳には行かなくて。縦にも横にもしっかりと成長した俺は、誰が見ても、ただの一般兵、良くてお姫様を守る騎士、の下で働く騎馬隊って所だ。お姫様には程遠い。  だから、初めてミツキさんを見掛けた時には、衝撃だった。俺の理想が服を着て、いや、正に俺の理想通りの人がこの世の中にはいるのだ、と思ったのだ。ふんわりしたちょっとウェーブが掛かった襟足が長めの髪は亜麻色で。すっきりと整えられた眉の下の、大きなアーモンド形の二重の目はちょっと色素が薄くて光を受けるときらきらと輝く。鼻筋の通ったすっきりとした鼻は、先が尖っているのにつんとはしていなくてむしろ小振りで。そこを彩るようにふっくらとした頬は薔薇色をしている。全体を色っぽく見せるのは、大きいのに嫌味じゃない艶やかな唇で。それらが、完璧に配置された、本当に、可憐で、可愛くて、素敵な人だった。  ミツキさんの凄い所は、それだけじゃない。振る舞いも、だ。仕草がどきりとする程、可憐だ。ちょっとした顔だって、可愛くて。それに、服装も靴も鞄すらいつもお洒落だ。  手を伸ばして、棚に置かれた、俺の部屋には不釣り合いのパステルカラーの置物を手に取る。姉に貰った可愛いお姫様のオルゴールだった。きりきり、と足元のゼンマイを巻くと、お姫様がくるくると回りながら可愛らしい音色を奏でる。10歳年の離れた姉だけは、俺の本当の願望にも俺の性的指向にも、驚きはしたが、決して引かずに理解してくれた。俺が、唯一、腹を割って話せる相手だ。だけれど、それ以外に、俺に理解者は居ない。今まで付き合って来た、どの子にも、俺は自分の本当の姿を見せられはしなかった。だから、だからこそ。 「幻滅、される、かも……」  ミツキさんには、絶対、バレたくなかった。こんな俺は。嫌われたくない。幻滅だって、されたくない。オルゴールを抱き締めて、昨夜見た様々なミツキさんの姿を思い出す。可憐で、可愛くて、でも、ちょっぴり妖艶な微笑みは、俺の心の真ん中にあった。だって、三年も憧れた人だ。俺の、本当に、本当の、理想の人だ。 「別れたく、無い、なあ……」  付き合い始めたのも奇跡みたいなものだって言うのに、俺はそう呟く。そうだ。別れたくなんてなかった。ミツキさんだけは、憧れ続けたあの人だけは、可能なら、ずっと、傍で見ていたかった。 「最低だ、俺……」  ぽつん、と言葉が落ちる。今日、ユウトと別れて来たばかりだと言うのに、本当に都合が良過ぎる事を考えている。きりきり、と胸が痛んだ。だけど、それは、ユウトと別れたせいじゃ無い。当然、ミツキさんのせいでも無い。俺の勝手な想いのせいだった。そう、三年間、抱え続けて来た想いの。  モノトーンの部屋に合わない、唯一つの、だけど、何より大事な可愛いパステルカラーのオルゴールは、静かに音を止めていた。

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