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第1話
この世界には男女の性とは別に3種類の性がある。
α、β、Ωがそれだ。
男女が約半々なのと違い、比率にしてα:β:Ω=2:7:1ほどの割合で存在する。
男女、よりもよほどその違いの方が様々な面において重要視される。
α性の者は総じて全ての能力が高いと言われる高スペックの人間だ。
そのため、良い家柄であったり、国の中心となる大物の大半はαである。
稀な突然変異以外、αの親からでないとαが生まれることはない。
だから大抵αはαに受け継がれ、上流階級はそうそう覆らない。
ただし、他の性と違い身籠ることができない。
αが強いから表立って言う人はあまりいないが、それは生物として最大の弱点だとぼくは思う。
だから、ααの遺伝子を持つ個体は少なく後述の理由のせいもあり多くのαはαΩとなる。
また、“ヒート”と呼ばれる突発的な発情期を催すことがあり、そうなると理性的な判断が困難になるらしい。
そんな人種、どんなに家柄がよく能力が高かろうと危険極まりないと思うが、世間はあまりそういう認識がないのか、αが問題視されている様子はほとんどない。
まあ、国の中心がαなのだから当然といえば当然か。
βは世界で7割を占めることからもわかる通り、繁殖力が高い。
何らかの病気などの場合を除き、体の仕組みとしては全員が子を作れる。
遺伝子がこの3種の中で最も優性なため、αはβとの関係を望まない事が多い。
αβの遺伝子を持つ子はβとなるからだ。
また、左利き用のハサミより、右利き用のハサミが多く売られ、世間が右利き用に出来ているのと同じように、世の中は多数派のβが普通に暮らしやすいようにできている、とぼくは思う。
βだからと言って人の上に立てない訳では決してなく、βの社長や議員も多くいる。
βにはヒートも発情期もない。
人間らしく穏やかな一生を暮らせるなんて羨ましい。
Ωは他の二つに対し劣性遺伝子だ。
Ωが生まれるには、ΩΩの遺伝子しかありえない。
αΩであれば発現するのはαになるし、βΩになればβとなる。
そのため、αはΩとの間の子を望む者が多い。
体格的にも大きく成長するΩはおらず、女性であれば可愛らしくていいのだろうけれど、男性のΩというのは中性的というか、小柄で身体能力も高くない者が多い。
Ωには発情期という実に厄介な身体的機能がある。
3ヶ月に1週間程度、どうしようもない性的衝動に駆られる。
子を孕め、という本能から、という学説を読んだことがあるが、何となく説得力があるのは、他の精子をー要するに中出しされるとーだいぶ落ち着くからだ。
3ヶ月に一週間程度、というが人によって周期に差があり、不順なΩもいる。
その時に発生するフェロモンが他の遺伝子ー特にαーを惹き付けるせいでこうなったら外出なんぞ一切できない。
抑制剤もあるが効き目、副作用も人それぞれだ。
発情期中の受精率は非常に高く、一方その他の時期では殆どない。
この体のせいでまともに働くことは難しく、また抑制剤も積もり積もればそれなりに金がかかるせいで、普通のβがわざわざΩに手を出すことはあまりない。
勿論、一人で生きていくのも難しい。
更に、αとΩには番 という機能がある。
性行為中に、αがΩのうなじの辺りを噛む(歯形がつくぐらい、結構がっつりと)と成立するのだが、それが成立すると、そのΩのフェロモンは番のαのために特化し、他人が寄ってくることがなくなるそうだが、一方でそのαに一生縛られるという、なんとも不条理な。
そのため「噛み捨て」されるΩが社会問題となり、十数年前に法律で「噛み捨て」が禁止された。番になった者同士は必ず籍をいれなくてはならない。
そうしないとαには重い罰則が科せられる。離婚の際にも相当Ωに有利な条件になるのが一般的だ。
とはいえ、やはり噛むも噛まないのαの意志次第。
世の中には運命の番と添い遂げられる人もいると聞くが、生活のため、生きるためにαと番になるΩも少なくない。
そう、ぼくはΩ。
見た目からして典型的で、身長も160センチをなんとか越えた程度。
思春期を過ぎても所謂男性らしい体つきになることはできなかった。
何と呪われた性か、と我が身を嘆くこともある。
中丸静 、25歳。
個人投資家として引きこもりの生活をしている。
α、β、Ωの診断は、人によっては思春期ころまではっきりしないこともあるそうだが、ぼくは出生の際の診断ではっきりしたらしい。
だから、ある程度大きくなってから両親に落胆されるということはなく、幼い頃からΩとして育てられたから、期待のないこの境遇を嘆くこともなかった。
“そういうもんなんだ”
という認識である。
そして両親にとっては不幸中の幸いというか、ぼくの後に生まれた2つ下の弟が目出たくαで、我が家の中心は弟だった。
学も力も能力もないぼくが生きていくためには、どこかのαに囲われるしかない、と口には出して言わないけれど、家族のそう思っていたに違いない。
でも。
そんな風に、誰かの顔色を伺いながら生きていくなんてまっぴらごめんだ。
だから、一人で生きて行ける力を身につけなくちゃいけない。
そんなときに出会った株式投資。
これなら会社勤めをしなくてもパソコンがあれば家で金が稼げる。
買い物はネットで済む。
どうしても急に必要なものがあるときだけコンビニやスーパー程度にでかけることもあるが、それを入れても滅多に外には出ない。
もちろん発情期に外出なんぞ以ての外だが、そうでなくてもどこで何があるかわからない。
突然襲われて、なのにΩが誑かしたなどと言われるなんて話も聞く。
理不尽な世界。
この世界のせめてもの罪滅ぼしか、この部屋で生活の殆どを完結させたいぼくにぴったりの便利な世の中だ。
「毎度、本多軒です」
食事は大抵出前を取る。
今日の夕飯もお馴染みの蕎麦屋の出前。
蕎麦屋なのに丼モノ、カレーはもちろん、なぜかラーメンも取り扱っていて、結構美味しいから重宝している。
ちらりとインターフォンのカメラを確認するといつものおっちゃんと違う気がする。
新しいバイトだろうか。
「どうぞ」
オートロックを解除する。
程なくして部屋のベルが鳴った。
「毎度ありがとうございます!」
やっぱり、いつものおっちゃんとは違う声がする。
ガチャ、とドアを開けると、若い男性がしゃがんで岡持ちを開けていた。
「どうも」
声をかけるとその男がこちらを見上げ、目があった瞬間、少し驚いたように、スッとした切れ長の目が大きく見開き「あっ」と声をあげた。
そしてずいっと立ちがると、今度はぼくが彼を見上げる立場になる。
すらっと伸びた手足と、大人の男性の骨格。
しかし、ヘルメットから覗く瞳がどこかまだ少年の輝きを帯びていて、そのアンバランスさが妙に色っぽい。
そして、本能的に悟り、そして身構える。
ーーαだ…
αがこんな、とは言っては失礼かもしれないけど、出前のバイトとは珍しい。
大抵この人種は世間的に所謂「上の方」にいるから、バイト、しかも庶民的な蕎麦屋で、とは。
思わずまじまじと彼を見ていると、突然がばっと頭を下げた。
体格が大きい分、動きも逐一大きく感じて、驚きも大きくなる。
「すみません!」
「え、何」
「お味噌汁忘れてきちゃいました。親子丼の」
「あー…」
親子丼には味噌汁と漬物がいつもセットになっている。
「いいよ、別に」
「いえ、すぐ、取ってきますから!」
「いいのに。あ、じゃあとりあえず先にお金」
「ありがとうございます」
そういって出す手が大きい。
羨ましい、と心底思う。
これくらい大きな手だったら。
「すぐ、また来ますね!」
その言葉通り、程なくしてまた彼はやってきた。
「すみません、昨日からバイト入ったばっかで…あ、そんなの言い訳にならないですよね」
申し訳なさそうにそういう彼を誰が責められよう。
いや、元々味噌汁程度で責める気もないのだが。
「いや、ほんと気にしてないから。こっちこそ寒い中悪かったね」
ヘルメットを被ったままの頭をふるふると何度も横に振って、とんでもない、と言わんばかりに両手をひらひらさせている。
「いつも頼んでくださるって、店長から聞いてます。かわいい男の人だよって聞いてたんですけど、ほんとにかわ……」
思わず眉間に皺を寄せてしまった。
彼の顔色がサッと変わり、話の途中で、また謝り始める。
「す、すみません」
うん、今度のはちょっとこのバイトくんが悪い。
大の男が明らかに年下のバイトくんに可愛いと言われて喜ぶと思うか。むしろちょっと気にしてる、ちょっとどころか結構気にしているこの中性的な見た目を。
だが、飼い主に叱られたレトリバーよろしくしゅんとしている彼の様子が目に入ると、ムッとしているこっちが悪者みたいな気持ちになってしまう。
「…いえ、別に…」
「あ、また今後もご贔屓に」
そう言って、萎れた笑顔で彼はまたガバっと頭を下げた。
「どうも」
無意味な言葉を呟いて、ぼくはドアを閉めた。
が、どうにもあの彼が気になって仕方がない。
あんな美丈夫に冷たくしてしまった罪悪感だろうか。
せっかく持ってきてくれた味噌汁に口を付けると、だいぶ冷たくなっていて、外の寒さを伺わせる。
4月の夜はまだまだ寒い。
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