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第1話 逃れられない結婚
「今、何と言ったの?」
相手からもたらされた言葉が理解出来なくて、リマーユは問い返した。
「俺と、お前との、結婚が決まった、と言ったんだ」
もう一度、一言一句違わず繰り返された台詞は、やはり理解を超えていて。
「僕、男だけど?」
「知っている。だが、そうなった」
表情を微塵も変えずに、そう淡々とリマーユの姉ミシェーリの婚約者だった男は、言い放った。リマーユの手の中から、今日の夕食に使ってもらおうと思っていたサツマイモがコロコロと転げ落ちた。
「むちゃくちゃ過ぎる! 断固、拒否します!」
だん、と父親の執務机を叩き、リマーユは声を荒げた。滅多に無い末の息子の姿に、流石に、父親であるブノワレヴィ子爵リオネルは困ったように肩を竦めた。
「もう、決まってしまったんだ」
「決まってしまったんだ、じゃないでしょう!? 僕は男ですよ!? 男の僕が嫁に行くなんて、有り得ない!」
もう一度、だん、と机を叩いて怒りを主張すると、リオネルは立ち上がり、逃げるように火の付けられていない暖炉の方へ足を運んだ。当然、リマーユは後を追う。
「前例が、無い訳では無い、と言われた」
「そんなの、何百年も前の前例でしょう!? この現代にバカバカしいにも程がある!」
確かに、遥か昔、数百年前には、同性同士の結婚も有ったと言う歴史が、有るには有った。だが、この現代では、結婚は、男女間の物になっていた。国教である聖教会によって、生産性の無い関係は淘汰されるべき、と言う考えが浸透して来たのだ。価値観の変化である。当然、聖教会によって、同性愛は忌避されていた。それなのに。
「相手が、侯爵家だからな……」
「断れなかった、と!?」
き、と睨み付けても、リオネルは困ったように苦笑するだけだった。
「聖教会も許可証を発行した。そもそも、相手が納得済みなんだ。仕方が無い」
「そんな……」
リマーユの声は震えて今にも泣き出しそうだった。その肩に、ぽん、と父親の老いた手が乗った。
「諦めて、嫁に行ってくれ、我が家の為にも。ジュリアード様の所に、ミシェーリの代わりに」
「そんな……」
リマーユの声には、今度こそ、涙が滲んでいた。
「どうしよう……」
結婚式当日、花嫁の衣装は、リマーユの、断固拒否、によって回避されたが、花嫁を表す白を来たリマーユは、控え室で頭を抱えていた。可能な事なら、姉と同じように逃げ出したかった。だが、それは、相手を辱める行為だ。相手の家にも、自分の家にも、泥を塗る事になる。それだけは、避けたかった。避けなければならない事だった。
姉の、いや、今はリマーユの婚約者であるジュリアードは王国の騎士である。ファルシネリ家の四男で、家を継ぐ事は無いが、若くして騎士に任命された立派な経歴を持っている。その上、最年少で一騎士団の副団長を務めるような、そんな注目株だった。魔物討伐は言うまでも無く、竜討伐にも参加し、確実に成果をもたらして来た英雄だ。
――そして、リマーユの初恋の相手でもあった。
そう、ジュリアードは、リマーユの初恋の相手だった。話は、リマーユが五つの頃に遡る。
ある晴れた春の日の事だった。リマーユは、親にも家庭教師にも使用人達にも、散々、口を酸っぱくして「森には絶対に入ってはいけない」と言われていたのに、暇と好奇心に負けて、森に入ってしまったのだ。
森は、綺麗だった。少なくとも、数十分の間は。だから、森の少し深い所まで、リマーユも入り込んでしまったのだが。
リマーユが異変に気付いた時には、事態は既に取り返しの付かない所まで来ていた。魔物、だった。森には恐ろしい魔物が居たのだ。シルバーウルフと言う、大人なら、何とか対処の出来る魔物だったが、リマーユは、まだ、たった五つの非力な子供だった。本当に、何の力も持たない、ただの子供だったのだ。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
必死に逃げるリマーユをいたぶるように、シルバーウルフは付かず離れずの所を追って来た。不意に、木の根が、リマーユの足元をすくった。当然、バタン、と倒れたリマーユの元にゆらりと寄る魔物。絶体絶命、だった。
「ひいっ!!」
悲鳴を上げて蹲ってしまったリマーユは、その時、具体的に何があったか、は分からない。正確には、覚えていなかった。ザシュ、ゴキュ、ギャオオオウ、と身の毛もよだつような音がしたと思ったら、ぽん、と肩を叩かれた。
「森に、入ってはいけない、と教わらなかったのか?」
未だ、大人になり切れていない、甘い声だった。恐る恐る両腕を下ろして見上げた先に見えたのは、血にまみれた、けれど、見知った人、ジュリアードの姿だった。
「うわぁん!!」
思わず、抱き着いていた。緊張の糸が切れたリマーユは、そのまま、泣きじゃくってしまった。そんなリマーユを、ジュリアードがどうやって宥めて街まで連れて帰ってくれたのか、判然としない。
ただ、覚えているのは、ジュリアードの大きな大きな手だった。 少し、冷たい、大きな手だった。
ブノワレヴィ子爵家とファルシネリ侯爵家は、領地を隣にしており、子爵と侯爵と言う身分の差はあったが、家族ぐるみで仲良くしていた。ファルシネリ家の当主が、人は皆平等に扱う、と言う方針だったのだ。だから、リマーユとジュリアードも、リマーユが生まれた時からの付き合いだった。
正直に言うと、リマーユは、ジュリアードの事を、それまでは苦手としていた。いや、むしろ、怖い、と思っていた。
ジュリアードは、幼い頃から、恐ろしいくらいに顔貌が整っていた。十人居たら十人が、美しい、と評する顔立ちをしていた。少年になっても、その顔貌は変わらず、美しく成長した。だが、しかし、天は二物を与えず、だったのか何なのか、表情と言う物が無かったのだ。無愛想、と言う言葉を通り越して、周囲からは、本当に、感情が欠落しているのでは無いか、と言われるくらいだったのだから、筋金入りである。
だから、リマーユは、ジュリアードよりも、むしろ、その直ぐ上の兄のローランの方が親しみ易かったし、懐いていた。ローランは、表情のよく変わる人で、感情の起伏も激しかったが、その分、子供のリマーユには、分かり易かったのだ。一方、ジュリアードは、何を考えているのか分からず、とにかく、怖かった。
それが、一変した。
ジュリアードに助けられた翌日から、リマーユは、ジュリアードの傍に寄っては、逃げる、と言う遊びを始めた。初めは遊びでは無くお礼を言う為だったのだが、引っ込み思案で怖がりのリマーユは、お礼を言いそびれ、何日も経ってしまっていた。だが、そこでジュリアードが近寄っても怒らないと言う事を理解してからは、遊びとして確立された。子供の好奇心の発露だった。
ジュリアードは、近寄っても怒らなかったが、相手にもしなかった。けれど、リマーユの事を、居ない者として扱う事も無かった。決まった時間になれば、危険があれば助けたし、リマーユを自宅へと送り届けたし、度を越してリマーユが鍛錬の邪魔をすれば、短くはっきりとあの甘い声で怒った。
それから、たくさんの時間を掛けて分かった事もあった。
ジュリアードは、確かに、表情が分かり難かったが、全く変わらない訳では無かったのだ。それは、鍛錬の時間の上手く行かない時だったり、リマーユを送り届けた後にリマーユの母親ベアトリスが差し出す菓子を受け取った時だったり、はたまた、綺麗な花を見掛けた時だったり。ほんの少し、本当に、わずかな変化だったが、ジュリアードにもちゃんと表情がある事が分かって、リマーユはジュリアードが怖くなくなった。
後は、言わずもがな、である。子供の探究心はすごかった。リマーユが、一生懸命に話し掛けた結果、初めて、ふ、と口元を緩めた時の感動と言ったら! その美しさに、リマーユの心はすっかり囚われてしまった。それから、ジュリアードのさり気ない優しさにも、剣や魔法に対するひたむきさにも。坂道を転がるように、リマーユは恋に落ちた。
その時、リマーユは幼くて、男同士、が禁忌と言う事を知らなかったのだ。
「どうしよう……」
控え室の大きな鏡に映る自分は、自分でも泣きたくなるくらい、冴えない青年だった。
リマーユはあれからしっかりと成長していた。そして、自分が、ジュリアードに相応しくない、男、である事も、理解していた。美しかったら、まだ良かった。けれども、リマーユは、驚く程、凡庸だった。貴族とは名ばかりで、茶色の髪に茶色の目、そばかすがちょっと目立つ以外は特徴も無い、本当に市井の人間に埋もれてしまいそうな顔だ。おまけに魔力も平均並み、力は普通の女性よりはあるが騎士団の女性には負けるぐらいのひ弱さ。
今の世の中、同性愛に対する人の目は厳しい。
少年、ならば、まだ、世間の目も厳しくは無いだろう。大きな声では言えない事だったが、高貴な身分の者の中には、男女を問わず幼い者を性愛の対象とする者も居る。だが、そう言う囲い込まれた少年少女も、余程美しくない限りは、大人になれば解き放たれた。そう言う物だった。
それなのに、ジュリアードは、リマーユと結婚すると言う。
「どうして……」
何度も繰り返して来た問い掛けをする。答えは、分かり切っていた。ジュリアードに、はっきりと言われていたから。
「都合が良いだろう?」
何故自分なのか、と問い掛けたリマーユにジュリアードが答えたのは、このたった一言だった。そう、都合が良いだけの存在なのだ、自分は。涙が溢れそうになって、リマーユは必死になって堪える。
貴族の子女は、大抵の場合、生まれた時から決められた婚約者が居る。血を絶やさない為だ。そして、魔力を上手くつなぐ為でもあった。貴族は、大抵の者が魔力を持っている。それを上手く発露させられるか否かは別として。だから、年の近いジュリアードとミシェーリの結婚は、二人が生まれた時から決まっていた事だった。
ミシェーリは快活で奔放な性格の女性だった。女性ながら魔法技術院に所属し、魔道具の開発に携わり、その成果を出すような実力も持っていた。ジュリアードとの間で、しばしば衝突する事もあったようだが、それでも上手くやっていたように見えたのに。
1ヶ月前、突然出奔してしまったのには、正直、リマーユも驚いていた。ミシェーリとリマーユは、他の兄妹に比べて、年が近い事もあり、仲が良かった。リマーユの事をミシェーリは可愛がっていたし、リマーユもミシェーリの事を頼っていた。お互いに何でも相談し合う仲だと思っていたのに。
ミシェーリの代わりを探すのは、貴族の中では、確かに難しい話だった。当然だ。大抵の貴族の子女は、既に婚約者が居る。それも、ジュリアードに見合う身分で、かつ、直ぐにでも結婚出来る年齢、となると、皆無だったのだろう。
そこで、一体何がどうなって婚約者の居ない適齢期の男のリマーユへと辿り着いたのか。リマーユはブノワレヴィ家の五男だ。大抵の場合に当てはまらず、七人兄妹の末っ子と言う事もあり、婚約者は居なかった。
確かに、リマーユは都合の良い相手だった。婚約者が居ない、と言うのは元より、ジュリアードより一回り近く下だが、良く知っている相手だ。そして、都合の良い事に、出奔したミシェーリの近親者だった。婚約者に逃げられる、と言うのは、家全体が恥をかかされる行為だった。恥をかかせた家も大事となる。どちらの家にとっても、多大な問題になる行為だったのだ。それを、リマーユと言う存在が、上手く補える。本当に、都合の良い相手だった。
「どうしよう……」
再び口からは言葉が漏れる。けれど、どうしようも無い事は、リマーユにも、十二分に分かっていた。この結婚からは、逃げる事など、出来ないのだ。
こんこん、と扉を叩く音に、リマーユは身体を跳ね上がらせた。
「用意は、出来たか?」
低い、でも、何処か甘い声が耳を打つ。ジュリアードの声だ。聞き慣れた、誰よりも良く知った声だった。応えもしないのに、扉は勝手に開けられた。
「ジュリアード……」
ジュリアードは完璧だった。いつもの黒の騎士服では無く、儀式典礼用の白い騎士服に身を包んだジュリアードは、その体格を遺憾なく魅せていた。いつもはまとめられている銀糸の髪はただ撫で付けられており、いつもより柔らかい雰囲気を醸し出している。白皙の美貌なんて言われるその顔貌も健在だった。紫色の目が、じっとリマーユを見る。
「良く、似合っている」
「あ、ありがとう」
表情を微塵も変えずに言われて、お世辞だと分かっているのに、喜んでしまう自分を、リマーユは憐れむしか無かった。
「早く、済ませてしまおう」
ジュリアードの言葉に、泣きたくなる。悲しいくらい現実を突き付けられた。ジュリアードは、この結婚を喜んではいない。ただの儀式程度の認識でしかないのだ。それはそうだ。ジュリアードは、リマーユの事を、愛して結婚する訳では無いのだから。 リマーユは、こんなにも、ジュリアードの事を愛しているのに。
す、と手が差し出される。リマーユには、その手に手を重ねるしか選択肢は無かった。ジュリアードの手は、昔と変わらず、 少し、冷たい、大きな手だった。
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