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第1話
はじまりと、終わり。
いつだって唐突にやってくるそれは、酷く心を蝕んでいく。あきらめにも似た感情を空に融かしながら漠然と過ぎ行く毎日に疲弊してしまったのは随分と前だったと思う。
外に出なくなったのは一体いつからだったのか。自分でももう覚えていない事を、目の前に佇む男は呆れた様に口にした。
「――――群青、そろそろ外界の空気を吸った方がいいと思うけれど」
銀色の髪を乱雑に切り、春先だというのに白いファーが付いたコートを身に着け、その下には着流しを着ている。左目の下に赤い紋様が刻まれたその男は、金色の目を困ったようにゆがめた。
「勝呂が―――、そんなことを言いに来るなんて珍しい」
「そりゃあね。お前はずっとここに引きこもっているだろう」
困ったように笑うその男は、人に見えるが人ではなく、鬼だ。それもただの鬼ではなく、鬼そのものの頂点に立つ男、と言った方がいいのかもしれない。
でも、それも随分と昔に「牡丹」と名乗りはじめ、周囲を驚かせた。
その勝呂――――牡丹が、何故この場所にいるのかは、毎年桜の咲き始める時に無病息災と商売繁盛を願う祭りをふもとの町で行うのが理由になっている。
祭りで人が山を歩くのだ。僕が今住んでいるこの社のすぐ近くを大量の人間が数日間行き交い、それはそれは大変なことになる。
僕は人間が苦手だ。でも食料は数日分しかない。いつもなら蛇や社によく訪れる動物たちが持ってきてくれるのだけど、この時期は動物たちも人間を怖がって出てこないのだ。要するに、僕はおなかがすく。毎年だ。それも何百年の話。けれど、毎年、毎回牡丹はこの時期僕の身を案じてこの場に訪れる。
―――愚かなほど、優しい。
「今年も僕はここでいい。外には出たくない」
けれど毎回僕の返事は決まっていた。
出ない。この場所にいる。外界に興味はない。
「群青、それなら今年はここに食べ物を配達しよう」
「――――――は????」
この一言がきっかけで、これまでの僕の生活がすべて崩れてしまう事をこの時は想像すらしていなかった。
融ける桔梗に 白い花
春祭りは、一週間ほど続くのが昔からの習わしのようなものだ。小さな子供から年寄りまで関係なく山を登り、頂上付近の社へと祈りを捧げる。数百年の長い間全く変わらないその祭りごとが僕は大嫌いだった。なら、この場所からいなくなってしまえばいいだけなのに、それも僕には難しい。
「群青さん?」
「――――――あ、おはよう。眞洋」
牡丹から僕にこの時期毎日食べ物を届けるように言われた彼――――眞洋は、僕と同じで人でもなければ完全に鬼と言うわけでもない。だからなのか、そこまで警戒しなくてもよくて助かった。蜂蜜より濃い色の髪を後ろ手に緩く結い、紫色の瞳の美丈夫、とでもいえばいいのだろうか。
眞洋の作るご飯はとても美味しい。癖になりそうで困る。牡丹が眞洋を選んだのがよくわかってしまって恨めしい。これなら毎日でも食べたいと思ってしまう。
「あら、もう起きたの?今日はお目覚めすっきりなのね」
くすくすと笑いながら眞洋が僕の前に膝をつく。
僕の住んでいる場所は綺麗とも汚いとも言えず、けれどそこまでボロボロでもない。でも眞洋が初めてこの社に来た日、眞洋だけじゃなくもう一人「とてつもない綺麗好き」がここにきて、僕は小一時間大嫌いな外に放り出されたのだ。あの時は死ぬかと思った。社にあった布を大量に持ち出して、まるで雪だるまのようにその中に埋もれて時間を過ごしたものだ。
「眞洋のご飯はおいしい」
僕が正直にそう告げれば、照れたように瞳をほころばせてありがとうと眞洋が答えた。
祭自体は来週からなのに、何故先週――祭りの二週間も前から眞洋が僕にご飯を届けているのかは牡丹の気まぐれだと本人が言っていた。
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