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第29話

季節外れの花が咲くその場所は、思った以上に広い土地だった。 この辺の一帯を占めていた家のものらしく元々は「桜庭邸」と言う名前だったらしい。少し前に主がなくなり、買い手もつかなかったこの屋敷は取り壊される寸前で「百目鬼」に買い取られ、今は牡丹が管理している。 「広すぎない?確かにここなら動物たちも気兼ねなく過ごせるだろうけど…」 「豪邸ですね。こういうの豪邸って言うんですよ!」 天井の飾りを見上げ、和秋が「すごい!シャンデリア!」と聞いたことのない言葉を叫んでいるのを横目に見て、屋敷の中をぐるりと見まわした。 「………まぁ、日本家屋では、ないね」 「そうだね。――――あぁ、あった。この屋敷と、奥の山の見取り図。広くて迷うかもしれないから、あまり奥にはいかないようにね」 牡丹が渡してきた紙を手に取り、その広さにまた驚いた。確かにここら辺一帯を占めていたのならおかしくはないけれど。そもそも、今この屋敷のふもとにある街にはあまり人は住んでいないから、この家を取り壊したいのはなんとなく理解できた。 でも、 「どうしてわざわざ百目鬼が出てきてまで買い取ったの?」 当然の疑問を口にすると、牡丹は困ったようにそうだね、と腕を組む。玄関から入ってすぐ、階段の手すりに背を預けて、牡丹は静かに口を開いた。 「―――お前はまだ、知らなかったね」 「? 何を?」 「私の息子の事だよ」 「……息子って、あの、眠り続けてるって、言う?」 「そう」 牡丹の声が聞こえたのか、和秋が隣までやってくると首を傾げた。 鬼と人の血は混ざる事はない。相いれないものであり、本来は反発しあうものだ。鬼と人が子を成すと、呪われてしまう。それは抗いようのないものであり、絶対ともいえる定めだった。牡丹には、息子がいる。人間の女との間にできた息子が。 だけど、今、それが―――― 「死んだよ。ここに住んでいた、桜庭湊と共に」 酷く静かに凪いだ海のような、声音。感情が見え隠れするそれに、僕は息をのんだ。 呪われた子は、死ぬこともなく、一定の成長を遂げるとそこからはもう呪いと生きていくしかない。それを、今牡丹は死んだと言った。それは、つまり。 「人の子と、命を結んだの?」 唯一、呪いから解放されるには「死を選べる相手」と命を繋ぐしかない。それは、本来なら牡丹は望まないだろう。だって、自分の息子が、 「? 群青さん?」 グイっと袖を引っ張られ、和秋に目を向けると困ったように微笑んだ。きっと、今の話を和秋はわかっていないだろう。でも今は、それでいい。そう思った。だって、理解してしまったら、分かってしまったら「神足喜三郎」の子を身籠った彼女を心配してしまうだろうから。 彼女は呪われた子を身籠り、産むことになる。それはきっと和秋に、僕の口からは言えない事だから。 「この家は、あの子の為に残しておきたいんだ。いずれ、あの化け物だって人になってここに訪れるだろうからね。その時に、お前たち二人がいてくれた方が、私は助かるよ」 「――――――――…そう、それなら、分かったよ。それに、空気もいいから僕でも普通に暮らせそうだし」 和秋の手を握りながらそう答えると、牡丹が嬉しそうに笑った。笑いながら僕と和秋を交互に見やり、口を開く。 「人の子。その子は、強情だ。お前を愛していながら、自分が足枷になるからと手離した。だけどきっと、お前なら大丈夫だと思っていたよ」 「…………牡丹。余計なこと言わないでくれる」 「早く印を刻んでしまいなさい。その人の子は、心変わりなぞしないさ」 お前より、覚悟がある。そう言って笑う牡丹に、小さくうるさいなと悪態をついた。 体を繋げるより、印を刻んで縛ってしまう方が僕には恐怖だ。大丈夫だとわかって居ても、まだ、 「ーーーー…群青さん?」 くいっと手を引かれ、和秋を見ると大丈夫ですか?と首をかしげる。 「大丈夫だよ。和秋」 「群青、ここの鍵は私とお前しか持っていないから、無くさないようにね。あと、週一くらいで眞洋か芳晴がくるから」 「げ。なんで」 「元々、この家の維持はあの2人に頼んであるからね。何より、お前は顔見知りじゃないと嫌だろう」 牡丹が飽きたように肩をすくめながら笑い、それじゃあ、と歩き出した。 「ーーーー帰るの?」 「あぁ。私は帰るよ。また来るけれど、頼んだよ。ここの事」 「ーーー……あの、群青さん」 牡丹の背を見送った後、和秋がわずかに不安を滲ませながら僕の右手を両手で握りながら、それを胸元にあてた。 「和秋…?どうしたの?」 「……俺、………と、家族に、なってくれます、か?」 顔を真っ赤に染めながら、和秋は真っ直ぐに僕の目を見つめてくる。 「(ーーーー……参ったな、本当に……)」 和秋は、どれだけ僕を惚れさせれば気がすむのだろう。眩しすぎるこの子は、自分がどれだけ僕を救っているのか分かっていない。 その存在が、言葉が、もう全部が、離せなくて。まるで僕のこの醜い独占欲ごと、綺麗にしてくれるみたいだ。 「…………あ、あの、群青さん」 「ーーーーーーーー…うん。和秋こそ、僕でいい?もう、離してあげられないよ?」 「…俺だって、離しませんから」 「ーーーーありがとう」 左手で和秋の頬を撫で、そのまま首筋を撫でながら唇を寄せた。じわりと集まる熱に、和秋の喉が上下するのを感じて、わずかに唇で食む。舌先で撫で、視界に入る自分の髪が銀色を帯びた。 「っ、ん」 甘い声を上げる和秋がたまらなくて、直ぐに首筋に口付けた。 印を刻む行為は、一度でいい。命を使い切って死んでも、また巡り会える、魂を繋ぐ契約の様なものだから。この一度だけで、これからの全てを縛ってしまう。 「(…怖かった、けど)」 和秋なら。 「ーー…終わったよ。和秋」 「…あ、しる、し?」 「うん、そう。……ありがとう、和秋」 和秋の手を引いて、抱きしめて、もう一度ありがとうと呟いた。背中に回った和秋の腕が暖かくて目頭が熱くなってくる。 「ーーーーありがとう、和秋」 僕と、出会ってくれて。 僕を、諦めないでくれた。 きっと、僕一人ならとっくに諦めていたし、こんな事にはならなかっただろうから。 「俺の方こそ、ありがとうございます。群青さん」 月のように曇りなく綺麗に微笑む和秋に、僕は軽く口付けて、吐息が溶け合う距離で言葉を紡いだ。ありったけの愛と、感謝を 「ーーーーこれからも、一緒に、いてね」 溶ける桔梗に、白い花  ー了ー

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