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第8話
お邪魔しますという一言はなくあたかも自室のように足を踏み入れながら、橘は手に持ったコンビニ袋を掲げてみせた。
「ほら、お土産。」
「さんきゅ。」
郁人が受け取ると、中涼しいなとぼやきながら橘は遠慮なく奥へ進み、ミニテーブルに向かい胡座をかいて座った。
袋の中にはコンソメ味のポテトチップスと、チョコレートケーキが一人分入っていた。ケーキは恐らく甘いものに目がない郁人の分だろう。好きな人にさり気なくこういうことをされればときめきを覚えるなというほうが難しい。緩む顔をなんとか隠し、残りのお菓子を持って橘の元へ向かう。
「麦茶とジュースあるけどどうする?」
「何ジュース?」
「コーラ。」
暑い季節になるとつい炭酸飲料が飲みたくなり、先日2リットルのコーラを買ったのだ。
「じゃあコーラにする。」
「りょうかいー。」
二人分のコーラをコップに注ぎ、テーブルに持っていく。ミニテーブルにポテチの袋をを開封して放り、自分は橘から見て斜め前方にあるベッドに腰掛けてグラスを煽った。
橘は寛いだ様子で自分のスマホを見ていた。二人の間に炭酸が弾ける音が響く。
「今日は結構急だったね。いつもなら一時間前には行くって連絡くれるのに。」
「バイト先で色々やってたら遅くなった。」
「何気に忙しいもんなお前のとこ。」
「今日はいつもより忙しかったしな。」
ポテチを摘みながら橘は相槌を打つ。
橘のバイト先はカフェだ。客の年齢層の幅は広く人数も多い。販売しているケーキやサンドイッチなどをテイクアウトする客も少なくない。他、裏方の手伝いやら何やらやっていれば忙しいはずだ。閉店は夜8時のはずだがその後も片付けなどやっていれば遅くなってもおかしくはない。
「でも大変なら、俺のとこ来て良かったの?やることとかあったんじゃないの?」
「まぁな。」
橘にしては珍しい。いつもなら家事などのやることはやってから律儀に手土産まで用意して来るような奴だ。郁人はいつもと違う相手に不安げな色を浮かべる。
「らしくないな。何かあった?」
その相手は真っ黒になったスマホの画面を見つめるようにしてしばしの間黙っていたが、やがてぽつりと零した。
「……テスト終わって連絡くれたろ。……今日、バイト入っちまって、お前の相手できなかったから……」
意外な答えに郁人は瞳を瞬かせて視線の下がった橘を見つめた。
「それ、気にしてたの?俺、全然平気だったよ。あき……知り合いにたまたま会ってさ、その人いたから暇はしなかったし。」
秋月の名前を出すのは何となく憚られ、思わず知り合いということにしてしまった。まあ気にしていないことが伝わればいいかと思い橘を見ると、黙り込んでどこか不機嫌そうに宙を睨んでいた。その理由を測りかねて小首を傾げていると、むすっとしたままの橘が言葉を発した。
「そうじゃない……俺が嫌だったんだよ。」
「え……」
大きく目を見開く。心臓が大きく跳ねた。
「しばらくぶりにお前に会えるチャンスが結局バイトでさ、残念だったと思って。」
自分を真っ直ぐ射止める瞳。ストレートに告げられる言葉。郁人の感覚は、一瞬にして捕らわれた。
頭に響く心音は静まりそうにない。
今告げられたこと。それはまるで、橘が郁人に会いたいのに、昼間会えなかったから今わざわざ逢いに来たというように聞こえた。
それに気づいた瞬間、一気に熱が顔に集中するのがわかり顔を俯かせる。
「あーもう……ずるい。」
「郁人?何か言ったか?」
小声での呟きは橘に届かなかったようで、不思議そうに問い返した。
今、顔をあげたらきっと酷い顔をしている。
橘にその気が無いのはわかっている。きっと友人に対して素直な気持ちを言っただけなのだ。しかしわかっていても、そんなこと言われたら嫌でも期待してしまう。
そんな自分が嫌で嫌で仕方ないのに、この胸の高鳴りを抑えられない。
やっぱりコイツが好きだ。
行き場のない思いが心を埋め尽くし、口から溢れ出そうになる。
しかし本人の手前でボロを出すわけには行かない。落ち着くために一度深く息を吸って吐き出した。そして何でもないと返し、必死に繕った澄まし顔を上げる。
「それを言った相手が女の子だったらイチコロなのにな。」
いつも通り、“友人”らしい答え。自分で言っていて皮肉だと思ったが、そんなこと気にしてる余裕は無い。
橘がどう返してくるか郁人は内心身構えたが、当の本人は気にする様子も無く返事を返した。
「そんなこと俺にとってはどうでもいい。女とか恋愛とか面倒臭い、うんざりだよ。」
「ははっ、相変わらず冷めてるなー、モテモテのイケメン君は。」
膝上に頬杖をつきおちゃらけた口調で茶化せば、咎めるような睨みが飛んできた。軽い調子でごめんごめんと繰り返しながら、コーラが無くなったことを言い訳にキッチンへ避難する。
いつものように軽口を叩くその裏で、危機を耐え抜いたことに胸を撫で下ろした。
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