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第7話

 大理石に叩きつけられた翼の生えた茶髪の美青年を見下ろす。動かなかった。両の口角から牙の先が突き出ていた。黒ずみ伸びた爪から腕が赤黒い鱗状に変質している。その手を取って両手で挟んだ。それから翼が広がり重さの増した身体を抱き起こす。何と声をかけていいか分からなかった。声をかける必要がもうないことは分かっている。眼球を焼くほどの光はもうどこにも無かった。見慣れた大聖堂の内部がそこにあるだけだ。今まで何に祈っていたのだろう。重い上半身を膝に乗せる。よくやられていたように額へと唇を落とした。側頭部から螺旋を描く角が生えている。暫く有翼の美しい怪物と共にいたが、大聖堂の外で車の走行音が聞こえると慌てて大聖堂の扉を閉めて(かんぬき)を通す。運転手に、時間を過ぎたら先に戻れと話していた声を思い出した。裏口も全て閉ざす。明日は管理人は来ない日だった。前は冷蔵庫に温めるだけの調理された料理や食材を詰め込んで帰っていった。遠い日のことのように感じられる。事務所内がどういう雰囲気でどこに何が置いてあるのかははっきりとしてはいるが、脳裏に描く前にリビングに隣接したキッチンが出てきてしまった。  大聖堂の中を歩き回って、飽きると疲れて傍で横になった。固いベッドには慣れているつもりだった。だが初めてのような気がした。肘に届くか否かまでのところまで硬い鱗に覆われた掌を握り、自分の頬に当てる。体温はない。光の剣が貫いた胸は何とも無かったが鼓動も無かった。腕を背に回し、セルクルの鼓動に合わせて弱く叩く。小袋を首から外して目の前の首に掛けた。寝返りをうって円花窓を見上げる。ぐっ、と胸が潰れるようだった。吐き気が込み上げたが出てくるのは涙だった。はひっ、ぐひっ、と情けない声を漏らす。偉大な人間というのは大きな痛みを背負っているものだ。別の大聖堂の者が訪問してきた時にそう説いた。踏ん反り返った態度が気に入らず、揚げ足を取るつもりで、偉大な人間とは何かと問うた。だが半分は本気だった。しかしその者は答えなかった。間違いなく人を殺めた自身と、物盗りの少年と刑務所の面々は含まれないと思った。納得がいかないまま月日が経つ。鱗状の皮膚を頬で感じて、また額に唇を落とす。この有翼の化物の痛みの大小はセルクルには分からなかった。薬のたびに出される白湯や、軟膏を優しく塗る指先、ビーズクッションを買ってきた時の無表情、シャワーの温度を確かめて濡れる衣服。浮かんでは消えていくため手繰り寄せる。たった1人の何もない者に向けられる気遣いがひとつひとつ針となって身に突き刺さった。 ◇  円花窓が太陽に透かされて大理石を彩る。聖堂に永らく棲まう物品を彫像の前で火に焚べる。真っ白い内装に黒煙が立ち昇る。彫像の顔に当たって煙は別れていった。列を成す席の座面を借りて手紙を記す。あまり字が上手くなかった。字や文を学べる環境にもいなかったため、伝わる文章かも分からなかった。席の末端にいる2体の彫像に怒られているような1体の手に手紙を握らせる。この像が何なのか知らなかったが歴史的にはまだ浅い3兄弟だと聞いている。建国がどうのこうの、処刑されたのされなかったのと説明されたが忘れてしまった。 「頼むっスよ」  そう言って石の手を手紙ごと包み込む。白い翼の美青年が眠る奥の台で燃え盛る清められた物品に墓石にかけていた酒をかけた。美青年の首から下がり、大理石に垂れている小袋の中身を取り出した。人工の右眼が入っているはずだ。親指と人差し指で中にある球状の物を摘まむ。出てきたものは、透き通った玉だった。黄緑色に反射しながらも球の奥は深い翠にもなっている。指には海の浅瀬に色を照らす。義眼ではなかった。「あの子」には望み通り、義眼を贈ってやるべきだろう。胸がまた苦しくなった。炎を扱っている間は、水気はいけない。酒が空になった小さな陶器にその球を入れて、炎の前に添えた。聖剣として納められていた、豪奢な飾り付けの薄い鉄を清められた物品が放つ炎に炙る。ガラクタを燃やした時と質は多少違えどほぼ清いものなどは微塵も感じられなかった。神に見放され、見放しているのだから清いものなど感じられないのだ。そう考えて自嘲した。眠った有翼種の硬化した腕を取り、熱した聖剣で小さく手首を切る。血が付着し、炎に2滴ほど落とした。炎が勢いを増す。目が沁みた。キナ臭さに咳き込む。胸にガラスを嵌め込まれた彫像の顔の部分に黒煙がかかった。 「何故かを人が問い、如何にしてかを神が説き、尽くすよう考えるのがまた人じゃないんスか。どこで間違えたんスか」  古代にあった神国の教えを口にする。この地はもう神国ではないはずだ。  聖剣と呼ばれた何の変哲もない短剣を握り、円花窓が映る大理石を踏む。黒煙が高く真っ白い交差リブの天井へ渦巻いた。何も答えない紅い石の彫像を見上げる。額と額が触れた瞬間に頭の中を駆け抜けた光景と広がっていく知識に従った。全て揃ってしまった。神に見捨てられた人間などという材料はまさに天命としか言えないほど偶然にも、そこに居てしまった。 「またレモンめっちゃ綺麗な土地で穏やかな季節に……」  動かない美青年を見つめ、辞別の言葉を選んだが途中で止めた。燃え盛る炎の先を見上げて、短剣の柄尻に両手を重ねる。  眠る銀髪の男を入れた棺が深く土に埋められる頃、反魂の術と神殺しの法を以って崩れゆく白い瓦礫の下に少年の遺体も埋まっていった。

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