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煮詰めて

いちご、キウイ、パイナップル、ピーチにソーダ。カラフルな飴玉が太陽に反射して輝いている。あめや、と平仮名で書かれている暖簾を潜ると眠そうにあくびをしている店主が「いらっしゃいませ」とつぶやく。青色の半纏を羽織った店主は、俺の方をちらりと見た。 家の近くにある飴屋さんのこんな不思議な噂を聞いたことはあるだろうか。「魔法の飴」が売っている、なんて。俺も初めて聞いたときはそんな訳ないだろと笑ったが、どうも本当らしいのだ。試しに学校帰り、噂の飴屋を訪れてみるも魔法の飴は見つからなかった。魔法の飴を買ったことのある友人に話を聞くとその飴は毎日店頭に並んでいる訳ではない、と話してくれた。それから俺は毎日学校帰りに飴屋に通い、魔法の飴はないかと探す。お陰で店主も俺の顔を覚えたのか、店に入る度またお前か、と目で語りかけてくるようになった。男の俺が、確証もない魔法の飴を探しに毎日飴屋に寄るのは自分でも滑稽だったが、どうしても、飴が欲しい理由があった。 池ノ上湊。それが俺の好きな人の名前。俺も男で、彼も男。叶わない恋なんてとうの昔からわかっている。だからこそ、飴を舐めている間だけでもいいから、彼に愛されてみたい。 魔法の飴の効果は舐めている間だけ、友人はそう教えてくれた。 『好きな人に愛される飴』 俺はこの飴を探しに毎日この飴屋に来ているのだ。 「今日もないよ」 飴の並んだ棚を見つめる俺に、店主は冷たくそう言った。昨日も、一昨日も、一昨々日もそう言われた。落胆して帰ろうとすると「でも、」と店主が続けて言う。 「明日にはお前さんの望む飴が入るだろうよ」 驚いて店主の方へ振り返ると、彼は悪戯っぽく笑って見せた。 次の日、俺は学校が終わるとすぐに飴屋へと向かった。待ち遠しくて、早歩きになって、何度か躓いた。近所の子どもに笑われたが、そんなことどうでもいいくらいあの飴が欲しかった。 あめやの暖簾を潜ると、いつもと同じ店主がいつもと同じ青い半纏を羽織って大きな欠伸をした。 「来たね、いらっしゃい」 早歩きのせいで息を上がらせた俺を見て、店主が笑う。そんなに急がなくてもなくならないよ、と言って俺にたくさんの飴玉が入った箱を見せた。美人になれる飴、安眠できる飴、お金がたまる飴、頭がよくなる飴、素敵な出会いができる飴。箱を探って、・・・あ、あった。これだ。俺は淡いピンク色の飴を取り出した。好きな人に愛される飴。飴はコンビニで売っているサイズより少し大きいくらい。ゆっくり舐めてもきっと一時間も持たない。 「一つ百五十円ね。効果は舐めている間だけだから」 店主の言葉に俺は小さく頷いた。欲張りしてはいけない、一回だけだから。 池ノ上湊は隣に住んでいる大学三年生。年の頃二十一、二十二。姉ちゃんの彼氏で、たまに泊まりにくる兄のような存在の彼を好きだと自覚したのは四年前で、それからずっと片思い。姉ちゃんと付き合いだしたのは最近で、少し前に二か月経ったよと姉が嬉しそうに話していたのを覚えている。その時はショックでショックでたまらなくて、学校に行きたくないと母親に零し、高校をズル休みした。 「京太、おかえり」 家に帰ると、リビングにある水色のソファでくつろぐ湊がいた。俺が録画していたバラエティ番組を見ながら姉ちゃんのバイト先のマドレーヌを食べている。 「・・・、ただいま」 教科書の詰まったカバンを置いて、手を洗う。姉ちゃんは?と聞くとバイト、と湊が答えた。ふぅん、とつぶやいて急いで二階の自分の部屋へとこもった。 どうしよう。ズボンのポケットに入っている飴を撫でて、息を整える。この時間から姉ちゃんがいないってことは、遅くまで帰ってこないということだ。キッチンにもう夕飯が置いてあったってことは、母親も夜勤で遅くまで帰ってこないということだ。 舐めるなら今しかない。 好きな人に愛される飴。淡いピンク色の飴玉を口に放りこんで、おそるおそる一階のリビングへ向かった。桃の甘い味がする。どうしたらいいかわからなくて、テレビを見る湊の後ろ姿を見つめた。 「京太?どうした、こっちおいで」 視線を感じたのか、振り返った湊が手招きする。湊の隣に座ると、彼は俺の肩を抱いて引き寄せた。思わず動揺して、湊を見つめるとかわいいなぁと頭を撫でられた。こんなの初めてだ、嬉しくて湊の肩に頭を預けた。 姉ちゃんに悪いことしているのはわかってる。でも、気持ちを抑えられない。俺の方が先に好きになったんだし、いつもは姉ちゃんが湊を独り占めしてるんだから今日くらいはいいよね。 「湊は、姉ちゃんがバイトあるの知ってて来たの?」 俺がそう問うと、湊は首を横に振って答えた。 「ううん、元々今日泊まりに行く予定だったのを杏里が忘れてただけ。でも、京太に会えたから来てよかったよ」 にこり、と笑う湊。飴の効果は絶大だ。本心じゃなくても、嬉しくて涙が出そう。 「お、俺、俺も湊に会えて嬉しい・・・。ね、もうちょっと家にいてよ」 リビングの時計は六時をさしている。姉ちゃんの働いているケーキ屋さんは深夜まで営業しているからいつも姉ちゃんが帰ってくるのは夜中の二時過ぎだろう。一緒にご飯食べて、お風呂入って、寝れなくてもいいから傍にいたい。 「俺も京太と一緒にいたいから帰らないよ。今日は一緒にご飯食べよう」 今の湊は俺の欲する言葉をくれる。うん、と頷くとまた頭をわしわしと撫でられた。心地よくて目を瞑ると、何か温かく柔らかいものを瞼に感じた。それが湊の唇だと気づくのに、少し時間がかかったのは俺に恋愛経験が皆無と言っていいほどだからだ。 「み、なと?」 ちら、と目を開けると間近に湊の顔があって息を呑む。湊の睫毛なんて初めて見た、意外と長いしふさふさだ。心臓の音がうるさくて、でもそれを湊には聞かれたくなくてソファの端っこに寄ると、追いかけるようにして湊が俺の上に倒れこんできた。 「あー、もう可愛い。癒された」 肩口にすり寄ってきた湊が言う。彼の匂いがふわりと鼻孔を擽る。うちの柔軟剤とは違う、匂い。 「お、もい」 心臓が飛び出そうだ。前に友人が彼女できた時に好きな人とくっついてるの幸せと言っていたのを思い出した。 「京太、心臓の音ドクドクいってるね。緊張してるの?」 ふふ、湊が笑って俺の胸を撫でる。触れられた場所が熱い。思わず口の中の飴を噛んでしまいそうになって、左頬の奥に仕舞い込む。 「緊張、するに・・・決まってる」 頬の飴玉が邪魔をして上手く話せない。そんな俺を湊が見つめてくる。そのまま、彼が近づいてきたと思ったら今度は唇に温かく、柔らかいものが触れた。目を瞑る暇もなかったので、すぐに湊の唇だと気づく。触れあうだけのバードキスだけで、頬が上気した。 「キスは初めて?」 湊の瞳に頬を少し膨らませて、赤くさせて驚いている自分の顔が映っている。なんて顔だ。 「うん・・・」 「嬉しい、俺京太の初めてもらっちゃったんだね」 恥ずかしい言葉をためらわず話すのは飴玉のせいなのだろうか。こんな湊は知らない。それとも、俺が知らないだけで姉ちゃんといるときはくっつきたがりでよく笑うのだろうか。姉ちゃんのことを考えると胸が痛い。でも、今とても幸せだ。 「・・・好き」 あふれだした言葉が不意に口から洩れた。しまった、言うつもりなかったのに。 一回溢れてしまえば、取り返しがつかない。あれ、飴って舐め終わったらどうなるんだっけ。湊は覚えているのかな。ちゃんと聞いておけばよかった。 「ありがとう」 好きだよ、と返してはくれなかった。それが無償に悲しかった。左頬が飴玉のせいでしわしわになっている。右頬に移すと口内に甘い桃の味が広がった。 幸せな時間はすぐに過ぎた。飴は無限じゃない。気づいたら頬の中で小さくなっていて、膨らんでいた頬が萎んでいる。あの後、何回か触れ合うだけのキスをした。ご飯を食べよう、と言ってくれたけど飴を舐めている間は嫌だとずっとソファの上でくっついていた。見たいと思って録画していたバラエティもとうの昔に終わっていて、ニュースが流れている。 あぁ、終わってしまうんだな。すぅと溶けていく飴玉を惜しく思った。 「あれ、京太。あれ・・・」 口の中に飴が溶けて、俺の肩に頭を寄せていた湊が顔をあげた。俺の方を見つめて、首をかしげる。 「俺、寝てたの?」 ふわぁ、と大きなあくびをした湊がそう言った。 「なんかすごい幸せな夢見てた気がする」 夢じゃないよ、と言いたかったけれど言えなかった。何も言えなくて、黙っていると湊が「なんかごめんね、杏里もいないし帰るよ」と立ち上がる。思わず湊の福の裾を掴んでしまう。湊と目が合う。でも、湊の瞳に映る自分の顔はさっきの顔とは真逆だ。 「何?」 「な、なんでもない」 ぱ、と手を放すと湊はそのままテーブルの上に置いてあったカバンを手に取った。 「じゃぁ、俺帰るね。杏里にもうすっぽかすなって言っといて」 「わ、わかった。おやすみ・・・」 時計の針は七時半をさしている。大事に大事に舐めていたら一時間以上も経っていたらしい。俺にとっては短い時間だったけど。 ひらひらと手を振ると、湊が急に立ち止まって俺の方を向いた。 「ねぇ、俺京太に何かした?」 「何って、何・・・?」 おっかしいなー、とガシガシ湊が頭を掻く。やっぱ夢なのかな、とまた湊がつぶやく。 「まぁいいや、おやすみ」 ばたん、と湊が閉めた扉を俺はいつまでも見つめていた。

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