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第五章 六
◇
翌日、椿と桜田はこれまでの情報を整理した。
椿が目を逸らしていたあの記事も、隅々まで読んだ。録画していたワイドショーの類も、桜田とすべて観なおした。
「この記事……あめにインタビューしたっていうのは本当だよね」
「多分……」
「なんでこんなの、あめは受けたんだろう……。あめは、Ameであったことを利用して売れようとしたりだとか、そういうことを考える子じゃないよね」
「はい。歌を歌う仕事を受けること、かなり躊躇ってましたし……」
志岐を中心に、その人間関係を紙に書き出してみる。
板崎洋と志岐の母親が結婚。お互い再婚だったらしい。そのとき志岐は十三歳。一年後、板崎洋プロデュースでAmeとしてデビュー。しかしデビュー後間もなく、板崎洋と母親は離婚している。離婚後もAmeの活躍は続き、志岐が十八のとき、引退。二年の空白があって、二十歳のときにAV男優としてデビュー。
「……おかしいよね」
「え?」
「板崎洋のことはこんなにも書かれているのに、肝心のAmeの声については、何も書かれてない。歌を歌っていたのは、誰だったのか。それって重要じゃない? AmeがAVに出てるってことだけ面白可笑しく書いてるなんて、なんか変じゃない?」
言われてみればと、椿は雑誌を見返す。やはりどこにも、Ameの声については触れられていない。
確かにAmeは中性的な容姿を売りにしていた。しかし、あの当時多くの人に受け入れられたのは、あの歌声があったからだ。
「何かあるんでしょうか」
「ありそうな気がするんだけど……うーん、ここからじゃあ何も読み取れないよね。テレビの方ではちょっと触れられてるけど、板崎洋もその事務所も、ノーコメントを突き通してるし……」
「板崎に会えれば志岐の手がかりになりますよね」
会えるだろうか。会えなくとも、志岐の居場所の手がかりでも聞ければと考える。しかし、実の父親ではない上に離婚してAmeも引退した今、志岐とどの程度関わりがあるのかはわからない。
以前、椿は志岐と母親の関係は悪いものではないと感じた。志岐の実家を探し、母親に話を聞いた方が早いのではないだろうかとも考えて、悩む。
「歌の件は、社長にも聞いてみます。もし歌手として活動してた人だったりしたら、社長の方が手がかりを掴みやすいと思うんで。俺は志岐を見つけることに専念しようと思います」
「そうだね。それがいいかもしれない」
そこで、桜田はふうっと一息吐く。
昨日は椿がベッドで寝て、桜田をソファに寝かせてしまったから、疲れが溜まっているかもしれないと気になった。
「コーヒー淹れなおしてきます」
「ありがとう」
穏やかに微笑まれ、いつもは目を逸らすのだが、今日はわずかに笑い返してみる。すると桜田は目をぱちくりさせてから、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。それにやはり気まずさを感じ、椿はカップを持って立ち上がった。
なんであんなに穏やかなんだろう。昨日あんなことをして言い合ったのに、今はもう桜田といて安心感に包まれている。
不思議だ。
椿がコーヒーを淹れてリビングに戻ると、桜田はまた週刊誌を広げていた。
「これ書いた人に会うことってできないのかなあ」
「書いた人……ですか」
無記名記載になっており、書いた者の素性はわからない。それを探れば、志岐がなぜこんなインタビューを受けたのかもわかるのだろうが、出版元が明かすとも思えなかった。
「事務所でも相談してみます」
「じゃあやっぱり、俺と椿君がやるのはあめの実家を突き止めることかな」
「そうですね……」
そのとき、椿の携帯が震えた。
「メール?」
「はい。事務所からだとあれなんで、ちょっと見てもいいですか?」
「もちろん」
断りを入れてから、確認する。
「え」
差出人は相馬秋良。
相馬からの連絡は、久しぶりのことだった。あの一件から、志岐の映画の撮影もあったことで、なんだかんだと会う機会はなかった。メールや電話はたまにしていたが、相馬からも会いたいとは言われなかったから。
その相馬が、一言『近いうちに会えませんか?』とメールしてきたのだ。
「どうした? 事務所じゃないの?」
「いや……友人、なんだけど」
ニュースくらい相馬も見てるよなと眉を寄せる。テレビじゃなくたって、ネットでも話題になっている。志岐のことを知らないわけがない。それなのにこのタイミングで、会えないかって?
……何か、嫌な予感がする。
相馬に、今何の仕事をしているのか、電話で話しているときに訊ねたことがある。それを相馬は「中卒で前科がある俺は、一般の会社員にはなれないでしょ」なんて誤魔化した。そう言いながらも、「近いうちにわかっちゃうかもしれないけど」と笑っていた。
あのとき、何か違和感を持ったのだと思い出す。
自嘲ではない、笑い声だったから。言っていることは、「中卒で前科のある」なんて、自分がしたことの結果を自嘲するような言葉だったのに、笑い声は違ったから。何か、含んでいるような……。
「椿君? 大丈夫?」
桜田の心配そうな声に我に返った。
「あ、大丈夫です。ちょっと……」
まったく関係ないのかもしれない。けれど、不良時代の椿の唯一の取り柄とも言える勘が、何かおかしいと告げていた。今はだいぶ鈍ってこんなことになっているが、相馬に関しては、間違っているとは思わない。
……そうか。あの笑い声に、相馬が何か良くないことを企んでいるのを感じたのだ。
あの電話があったのは、いつだった? 映画の撮影後……一ヶ月ほど前のこと。「近いうちにわかる」とは? まさか、志岐に何かしたのでは……。
「由人君」
「はい!?」
親以外に呼ばれたこともなかった名前を呼ばれ、思わず声が上擦ってしまった。
「考えてること、それ全部口に出して」
「いや、これは」
自分の友人のことだ。相馬のことで、桜田を巻き込みたくない。関係ないことかもしれないのだ。きっと、その可能性の方が大きい。でも今回とは関係ないことで、相馬はまた何か企んでいるのかもしれない。受けて立つと、自分は相馬に言ったのだし。それに桜田を巻き込むわけにはいかない。
「あの、いや、ほんと、ちょっと嫌な予感がしただけで……勘みたいなもんなので。現役時代は自信あったんですけど、志岐に関しては後手後手だし、全然信用ならないもので」
「いいから話して。由人」
また名前を呼ばれ、どきりとして言葉に詰まる。
「は、はな、話しますから、名前で呼ぶのやめてください……」
名前なんて知っていたのかと驚く。誰も呼ばないのに。
いやいや、今そんなことで動揺している場合じゃないだろうと、椿は自分に言い聞かせる。ここはどうにか言い逃れて、相馬に連絡をとらなくてはならない。
「俺、君が勘が鋭いなんて思ったことないよ。どっちかっていうと、鈍いよね」
「あ、そ、そうっすよね。いや、喧嘩してた頃は鋭かったんですけど、日和ってて駄目ですね」
あははと笑うと、桜田が溜息を吐く。
「その友達、前に椿君を苦しめてた人?」
「は!? いや、その、」
「あれー? 昨日の今日で俺に隠し事するつもり? 由人?」
「あ、だ、だから、名前で呼ぶのやめろって!」
……駄目だ。
昨日あれだけ助けてもらって、桜田に何か適当なことを言って誤魔化すことなんてできない。
年は一歳しか違わないはずなのに、この余裕の差はなんだと理不尽に感じる。
「由人。由人」
「なんなんですか、ほんと急に」
「いや、呼んでみたらなんだか嬉しくなっちゃって。あめも苗字で呼んでるだろ? 俺が知る限り、椿君を名前で呼んでる人っていないなって」
「俺が知る限りでもいませんよ……」
「じゃあ俺が呼んでもいい?」
照れ臭さから嫌だと言おうとしたのだが、桜田があまりに嬉しそうな顔をしているものだから、言えなくなってしまった。いいよと言うと、ますます顔を綻ばせた。
「俺のことも名前で呼んでよ。桜田さんって、すごく他人行儀だ」
「え、なんだっけ、ヒロ?」
「なんだっけって酷い」
「すんません。思わず。あ、でも心の中では桜田って呼び捨てで呼んでます!」
「……とっても微妙な気持ちだ」
覚えていなかったわけではない。ただ「桜田ヒロ」という名前は、恐らく芸名だと思っていたから。だからあまり、注視していなかったのだ。
「ヒロって、本名じゃないでしょう?」
椿がそう聞くと、桜田はきょとんしたあと、苦笑した。
「本名で呼んでくれるの?」
そんなに嬉しそうな、甘い声を出さないでほしい。普段なら触れてくる場面なのに、触れてこない優しさに、胸が痛むから。
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