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1-1 トオル
ピピピッ、と目覚まし時計が鳴り始めた。
俺は、しまったと思って、びくりと飛び起き、寝ぼけたままの頭で、ほとんど反射的にベッドの隣を腕で探った。
まだ温 い。せやけど布団はもぬけの空やった。
やられた。
くうっと呻 いて、俺は布団の中で丸くなった。寝室にはエアコンががんがんに効いていて、夏やのに俺らは羽布団を着て寝ていた。
そのせいなんちゃうの。暑い言うて、アキちゃんは近頃えらい早起きで、目覚まし鳴る前に起きるうえ、俺が抱きつこうとすると、嫌な顔をする。ひどい話や。
せやから、夜にやった後には離れて寝ろ言われて押し返され、朝は朝で目覚まし鳴ったらもうおらへん。お陰様で、連続朝やってない記録更新中や。
案外そのへんが、アキちゃんの作戦なんやないかと、俺は踏んでる。
ああ。寒っ。なんで寒いねん、夏やのにと思ってムカムカし、俺はベッドサイドの椅子にかけてあった、真っ白いふかふかのバスローブに袖 を通しながら、眠うと思いつつ、ベッドに腰掛けた。
そのバスローブは、アキちゃんのおかんが宅配で送ってきたモンやった。
俺が昼間、部屋の掃除してたらな。掃除しててん。偉いやろ。なんやっけ。そうや、掃除機かけてたら、家の電話が鳴って、それがアキちゃんのおかんやってん。家の電話にかけてくる奴には、ろくなのがおらへんわ。
アキちゃんやったら携帯にかけてくるし、着信通知で誰からかかってきたかすぐ分かる。アキちゃんだけ着信音変えてあるしな。ミッション・インポッシブルのテーマ曲やで。だってアキちゃんからの電話ってそんな感じやねんて。
電話つながるなり、亨か、俺や、今日ちょっと遅なると思うわ、何時になるかわからへん。帰ったらすぐ飯食いたいから、作っといてくれ、って、例えばそんな話やで。何時かわからへん時間にどうやって飯のタイミング合わせんねん。話、変やろ。不可能 やで、アキちゃん。
せやけど俺は優しいから文句も言わへんねん。なんで遅かってんアキちゃんとか、そんなウザい話もせえへんで。にこにこして、美味い手料理食わしたるだけや。
そんなん今時、女でもしてくれへんで。それやのにやな、暑いぐらいで俺を邪険にすんな。やったあとのお前は汗で濡れてて熱いから嫌やとか、ムードないこと言わんといてくれ。誰のせいやねん、それは。
って。何の話やったっけ。
そうや。おかんの電話や。掃除してたら、おかんから電話かかってきてな、あの人携帯使われへんから、固定電話しか信じてないねん。線繋がってへんのに、なんで電話できるんやろか、うち気色悪おすなんつって、未だにアキちゃんの実家、黒電話なんやで。ダイヤルで、じーころじーころ言うやつやで。何時代やねん。
その黒電話から電話してきはってな、亨ちゃん、家ん中やいうても、裸でうろうろしたら、あかんえ、うちがバスローブ買うて送りましたよって、せめてそれ着なはれ、って言うねん。
なんで知ってんねん、おかん。
そう怖気 立った瞬間、ピンポーン、いうて宅配の人が来はって、インターフォンのモニターに黒猫 の人映ってたから、ドアあけてやって、俺が荷物受け取ったよ。
そん時はもちろん服着てたで。だって掃除してたんやからな。いくら俺でも素っ裸で掃除機かけたりせえへんよ。
おかんが送ってくれたバスローブは、俺の分だけやのうて、アキちゃんの分もあったんやで。ご丁寧にイニシャルの刺繍 まで、銀鼠 の糸で胸んとこに入ってたわ。
なんでこんなもん送ってきよったんやろ、って、アキちゃんが不思議そうにしとったから、おかんが裸でうろつくな言うてたでって、俺が教えてやったら、アキちゃん泣いてたわ。ほんまに泣いてたわけやないけど、あれは絶対、心で泣いてたと思うわ。バスローブもろて嬉し泣きしてたわけなやいやろ。絶対、くよくよしてたんや。
アキちゃんが目覚ましより早く起きるようになったんは、その翌朝からやもん。
自重 しよう、みたいな、そういう話なんやろな。自重 な。俺が世界一嫌いな言葉のうちのひとつやで。俺は、我慢 してるアキちゃんは色っぽくて好きやけど、自重 してるアキちゃんは嫌いや。つれないねん。
そう思って、うっすらむかむかしてると、段々目が覚めてきた。
腹立った勢いで、裸足 のまま、寝室をずかずか出て、バーンみたいにドア開けたけど、アキちゃんはおらんで不発やった。しゃあないから、またリビングをずかずか歩いていって、ダイニングとキッチンがいっしょになってる部屋のドアを、俺はバーンと開けた。
アキちゃんはなんと先に朝飯を食っているところやった。
ノートパソコンで朝刊見ながら、眉間 に皺 寄せた険しい顔して、コーヒーかき混ぜた後のスプーンなめてた。
なんか銜 えんのは、アキちゃんの癖 らしい。他のことに夢中になってるとき、スプーンとか、絵筆とか、とりあえず何か口に入るモンをくわえてると、安らぐらしい。変な癖やで。そんなもん銜 えてる暇 あるんやったら俺の指でも舐 めろ。
「早起きやなあ、アキちゃん」
ニュース記事見てて、俺のほう見ようともせんアキちゃんにムカついて、俺は嫌みたっぷりに言ってやった。ちょっとアキちゃんのおかんの声真似して。
そしたらアキちゃんは、うっという顔をして、向かいの席の椅子の背に、手ついて立ってる俺を、恨 めしそうに見上げた。
「なんやねん朝から、嫌 みな声出して」
アキちゃんはそう言うと、スプーンをコーヒーカップの皿に置き、また画面に目を戻した。
「俺かて、どうせ出すなら嫌みな声やないほうがええよ。でもしゃあないやん、目覚めたら、ベッドにひとりやってんもん。昨日も一昨日 もその前もやで。これで連続十一日やで。頭おかしなるわ」
「心配すんな。お前の頭はもともとおかしい」
コーヒー飲みながら、まだ画面を睨 んで、アキちゃんはそう言った。
俺はそれに、ブチッときた。
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