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1-2 トオル

 なんやとコラ。俺が甘い顔しとったら、つけあがりやがって。俺を誰やと思てんねん。お前のツレやろ。  俺がおらんようになったら生きていかれへんくせに、偉そうなんじゃ。パソコン(にら)んどらんで、何とか言え。好きでたまらん俺様の綺麗な顔を見ろ。無視すんな、アキちゃん。無視せんといてえな。 「お前、このニュース知ってるか、亨」  ノートパソコンをくるりと引っ繰り返して、アキちゃんは俺に画面を見せた。 「え。なになに」  構ってもらえた嬉しさで、俺はつい、にこにこした。  立ったままテーブルに頬杖ついて、(のぞ)き込んだ画面には、京都市内でも狂犬病、というヘッドラインが表示されてた。大阪に続き、京都市内でも狂犬病の症例が発生、やって。相次(あいつ)ぐ症例に警戒感を強めている。ふうん。 「狂犬病て、犬に噛まれたらなるやつや」  俺は適当に読んで答えた。昔から時たま流行るけどなあ。またの名を、恐水病(きょうすいびょう)やで。 「どの犬でもなるわけやないで。狂犬病に感染してる犬だけやで」  アキちゃんはネチっこい性格を証明するような口調でコメントしてきた。そんなん知ってるよ。俺も伊達(だて)に長生きしてへんのやで。 「それがどしたん。夏やし、いろんな病気が流行るやろ。お祭りしたら(おさ)まるんとちゃうか」  京都の街では祇園祭の支度が着々と進んでいた。  あれは元々、京都の疫神を追いやるための祭りやで。後ろ黒いやつは、この時期の京都からは逃げたほうが身のためや。俺は今年は平気やけどな。だってアキちゃんが手つないで祭りにつれてってくれる約束やもん。  うふっ、と思って、俺はにやにやした。アキちゃんは俺の顔見て無くて、それにツッコミもせえへんかった。寂しい。あらゆる意味でツッコミ不足のアキちゃんに、欲求不満や俺は。 「そんなもんなんか、病気って。祭りごときで解決するもんか?」 「信じるかどうかやないのか。だって病は気からって言うやん。おかんに()いてみ」  信じてない顔のアキちゃんは、俺ににこにこ言われて、ちょっとむっとしたようやった。  アキちゃんちは拝み屋で、世が世なら陰陽師(おんみょうじ)でもやってたんやろか。おかんは巫覡(ふげき)や言うてたけど、何や知らん、とにかく鬼道(きどう)の家柄らしいで。よくある嘘モンやのうて、おかんにもアキちゃんにも確かにそういう力がある。並みやない。  常識家のアキちゃんは、子供の頃から、そんな人並み外れた血筋が嫌でたまらんで、ぼんくら息子やってたんやけど、今年は心を入れ替えて、おかんの後を継ぐ決心をしたらしい。おかんはそう信じとる。でもアキちゃんは微妙顔やで。まだどっかで納得してへん。  悪いけど、おかん。アキちゃんが自分の、ただならぬ力を受け入れたんは、家のためやない。俺のためやねん。  去年の冬、クリスマスの奇跡とかいうやつか、そんなガイコクの神さんが、ほんまに日本までカバーしてくれてんのか俺には謎やねんけど、アキちゃんは偶然俺に出会った。そして運命的な恋をしたんで、覚悟を決めたんや。  自分も只人(ただびと)ならぬ身で、別にかまへんという居直りや。なんせ俺は人ではなかったし、人を食うような奴や。人の精気を吸わんと、生きていかれへん。そんな俺とずっと一緒にいたかったアキちゃんは、まともな暮らしを(あきら)めたらしい。  愛の力は偉大やでえ。鏡割りの日の鏡餅並みにお堅かったアキちゃんが、今では一丁前に、鬼道(きどう)の人や。  それでも二十一まで(なま)けてきたぶん、まだまだ新人やよって、おかんは頑張って修行せえ言うてる。マザコン野郎のアキちゃんは、おかんに言いつけられたら結局それには逆らわれへん。せやけど複雑らしいで。  インターネットと携帯電話(スマホ)の時代の子やからな、アキちゃんは。怪談は、遊びで友達と話すもんで、マジにとったらアホなんやで。ましてその怪異が、いつも身の回りにあるとなったら、人には言われへん。アキちゃんにとっては恥なんや。俺みたいな、妖怪っぽいのと組んずほぐれつしてんのは。  それとも、あれかなあ。俺が男やからかなあ。それは。妖怪部分は別にええんやろか。謎やなあ。  まさかそれで最近、修行しよ思て、家の仕事にも嫌な顔せんと付き合うようになったんやろか。  おかんが言うには、俺はアキちゃんの(しき)で、アキちゃんの心がけしだいでは、俺の性別を反転させることなんか訳もないんやって。アキちゃんは俺を女に変転させようとしてんのやろか。  別にええけど、なんか複雑。だってアキちゃんは、俺が何でもかまへんて、言うてくれてたやん。男でも女でも、鬼でも人でも、俺が俺ならかまへんて。一緒にいてくれ言うてたやん。 「狂犬病のワクチンが、足りへんらしいで。亨、お前は殺しても死なへんのかもしれんけど、出歩く時は犬に気いつけや。噛まれんように」  アキちゃんは真顔で、優しいんかどうか訳わからんような警告を発した。 「俺を噛もうっていう犬はおらんよ」  苦笑して、俺は答えた。  またパソコン見てるアキちゃんに、寂しなってしもて、俺はしゃあないから(そば)まで行って、座ってるアキちゃんの頭を抱いた。アキちゃんはそれに、気がつかないようなふりをした。  耳を持って(なぶ)り、俺の体にアキちゃんの頭をくっつけさせると、アキちゃんはちょっと、心地よさそうな顔をした。 「俺を噛むのはアキちゃんだけやろ」 「噛んだりせえへんやろ」  往生際(おうじょうぎわ)悪く、まだパソコン触ってるアキちゃんの返事に、俺はくすくす笑った。

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