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18 追思〈8〉

 何感傷的になってるんだろう、と利人は苦笑いを浮かべて冷えた身体を震わせる。  やっと眠気もやって来たしそろそろ部屋に戻ろうか。そう思って腰を上げ掛けると廊下の奥からひたひたと足音が聞こえて視線をやった。 「白岡教授」 「やあ、利人君。眠れないのかな」 「少し。すみません、勝手に開けて」  良いんだよと言って白岡は自身が肩に掛けていた羽織を利人の肩に掛ける。そして雨戸を更に押すと利人の隣に腰掛けた。 「今日は来てくれてありがとう。妻も喜んでいたよ」 「あ、こちらこそご馳走様でした。本当に美味しかったです」  楽しかったですし、と言い掛けて夕との事を思い出し言葉をつかえる。そう、食事までは楽しかった。  利人の反応に気づいた白岡は面白そうにふふと笑う。 「夕と何を話していたのか知らないけど、随分仲良くなったようだね。まさか息子と利人君のディープキスを拝む事になるとは」 「あ、あれは違います! 決して息子さんに手を出した訳ではなく!」 「あはは、その選択肢はないなあ。利人君すごく真っ赤になるし逃げ出すし。童貞臭やばい」  白岡の発言に利人は顔を赤くして睨みつける。 「童貞童貞うるさいです。親子揃って失礼です」 「あの子、そんな事利人君に言ったの?」  へえ、と興味深げに目を光らせる白岡に利人ははっとして夕の言動を思い出す。あの猫被り具合を見るに、親の前だからこそ一切毒の吐かない礼儀正しい少年で通している可能性は高いのではないか。 (いや、でも教授が部屋に入ってくるの分かっててあんな悪戯したんだよな?)  あれ、と首を傾げる。  その時ひゅうと風が吹き花びらが吹き込んだ。それを摘まんだ白岡は、ああと庭に視線を向ける。 「暗くてよく見えないけど多分紫陽花の花びらだね。春ももう終わりだ」  白岡の視線の先を追い、利人は目を閉じて鼻から息を吸う。  湿った草花の匂い。 (終わり、か)  長いようであっという間だった。けれど白岡とは少なくともこの先二年以上付き合っていく事になるのだからたったひとつ季節が過ぎ去るだけで憂いている場合ではない。 「利人君って、美人タイプではないけどよく見ると綺麗な顔立ちしてるよね。骨格が案外しっかりしていて、健康的ですごくイイ」  ぎょっとして目を開き隣を見ると、まじまじと見つめられている事に気づいてまた驚いた。 「……ありがとうございます」 「あ、やだなあ心配しなくても平気だよ、ここでは君に手は出さないから。椿さんにもあまり無茶させないように言われてるんだよね。余計に盛ってここに来なくなったら困るって言うんだもの」  本当に利人君の事気に入ってるんだなあ、と白岡はほのぼのとした口調で笑う。しかしその口調に釣られそうになった利人はぴたりと動きを止めた。 「白岡教授……? それ、まさか椿さんは俺達の事を知っ」 「おや、雨が降って来たね」  ぱらぱらと降り出す雨に利人の視線が上がる。  もう寝ようか、と白岡が立ち上がった。利人もまた開いた口を閉じてはいと頷く。 『そう』なのか『そう』じゃないのか気になるところだが、何だかもう今日は疲れてしまった。今なら眠れそうだし、この件は一先ず保留だ。  ギイと雨戸を引く。  そうして夏めく夜空にそっと蓋をした。

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