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17 追思〈7〉

 先日の一件はなかった事にしませんか。  翌日、研究室を訪ねて白岡にそう言うと彼は瞠目して利人を見た。 「驚いた。学生課に話してゼミの移動願いでもするとばかり思っていたけど、僕のところに残るつもり?」 「貴方に襲われましたって言うんですか? 嫌ですよそんなの。一応悩んだ末にこのゼミを選んだ訳ですしこれ位の事で投げ出したくありません。人間性はともかく教授としては貴方の事を尊敬していますし」 「言うようになったね。ますます気に入ってしまったよ」 「それはどうも」  ははは、と笑う白岡に利人はむすりと答える。今も身体はガタガタだがこんな理由で授業を休むのは情けないにも程がある。今日の授業数がマックスじゃないだけましだ。 「でも、本当に良いのかい? また君に手を出してしまうかも」 「やめてください。手を出さない努力もしてください」 「えー」  ぶう、白岡は唇を尖らせる。齢を考えてほしい。  ひとつ溜め息を吐いて利人は瞳を伏せたまま口を開く。 「お蔭様で、昨日妹と仲直りしました。妹の事故に関してはやはり俺の不注意が招いた事なので一生消せない罪ではありますが、恐らくもう妹は俺を許してくれてるんだと思います。……それに甘えるつもりはないですが」 「強情だね。でも、良かったね」 「はい。だから、」  ちらと白岡に視線を戻した後、再び睫毛を伏せ言い淀む。白岡が首を傾げると、利人はきゅっと唇を噛んで決心したように口を開いた。 「何があったのかは知りませんが、白岡教授もあまり思い詰めないでください。俺が言っても説得力はないし出過ぎた真似だとは思いますが、生きていくって簡単な事のようで難しい事だと思うので」  そこまで言い切って、やはり言うべきではなかったと後悔した。沈黙がきつい。何か言ってくれれば良いのに、返答はまだ帰って来ない。  床を見つめているのが堪え難くなりそろりと視線を上げると、白岡は怒るでも呆れるでもなく困ったように微笑んでいた。 「君はちょっと優し過ぎるね。心配になる位だ」 「は……? そんな事はないですが」  眉を下げ戸惑う利人に白岡はにっこりと笑う。 「君がそう言ってくれるならそうする努力をしよう。そしてそう言うからには君は僕が思い詰めないよう手助けしてくれるんだよね」 「はい?」 「だよね?」 「は、はあ……俺に出来る事でしたら、しますけど」 「オーケー、よく言ってくれた。僕は君のような優秀で優しい学生に恵まれて幸せだよ」  白岡はそう言うとスマートフォンを掲げて画面をタップする。すると今しがたの会話が流れ、今更出来ないはなしだよと言ってのける。 「僕、若い頃はセックス依存症でさ。今はもう流石に落ち着いたけど、それでも定期的に男とセックスしてないと研究活動にも身が入らないんだ」 「え、男と? 白岡教授、ご結婚されてますよね……?」  驚いていると、白岡はけろりとそうだよと答える。 「でもうちの奥さんあんまりそういう事好きじゃなくてね。息子が生まれる前から男とは幾らでも寝ていいって約束してくれているんだ。奥さんは奥さんで子供産んだら僕の事は割とどうでもいいし。あ、でもうちの奥さん優しいし息子はぐれてないし家庭環境は良好だよ?」  僕愛妻家だしね、と微笑む。それは本当に愛妻しているのか疑わしいところだが、世の中には色んな夫婦の形があるだろうから他人が口を挟む事ではないのだろう。それにしてもおかしいが。 「昨晩は酷い抱き方しちゃったけど、次からはちゃんと君が気持ち良く感じられるよう優しくするよ。身体無理させちゃってごめんね」 「可愛く謝っても駄目です……というか決定事項のように言うのやめていただけませんか。まだその件に関しては許してませんから」 「君だって溜まる事あるでしょう? 大丈夫だよ怖くないから。僕多分上手いし」 「そういう問題じゃありません」 「旧資料室」  その一言にぴくりと反応する。 「以前一度だけ紹介した時に君とても興味を示していたね。あそこ、僕の許可がないと入れないんだけど、君にはいつでも入れるようにしてあげてもいいよ。勿論僕が揃えた秘蔵の本も読み放題」  利人はごくりと生唾を飲み込んだ。それは利人にとってすごく魅惑的な条件だ。  結局、時々ではあるが流されるようにして身体を重ねるようになり、そうしていくうちに利人も諦めるようになった。  実際あれから白岡は利人の身体を丁寧に扱うようになったし、面白がって言葉で虐められる事はあっても一度達せば大抵それで終わりなので身体の負担は大分ましになった。それに淡々としているから利人もそれをただの性処理だと思えるようになっていった。  少なからず負担があるとはいえそれを許してしまえるのは別にセックスを気持ち良いと感じているからではない。最初に内側のほうで強い快感を与えられた時はもうそれは嫌だと頑なに拒んだ位だ。必要以上に気持ち良くなんてならなくていい。  もしかしたらまだ『男』でありたいと思っているのか。それとも深入りする事を恐れているのか。  ただ、利人は白岡のあの空虚な瞳を時折思い出してしまう。  あの顔は、嫌だ。だから彼が望むのなら、いくらでもとは言わないが時々なら付き合ってもいいと思ってしまった。そうやって少しでも隙間を埋められると言うのなら。  多分、伊里乃の事で自分の中で区切りが出来た切欠を与えてくれた人間に恩を抱いたのだと思う。  それに、彼は恐らく自分以上に大きな痛手を負って生きている。そんな彼に情を寄せてしまうのは必然だ。  それ故、利人は白岡に少し弱い。

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