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63 鷲宮医院
広い玄関を抜けると待合室に沢山の人が座っているのが見える。
利人は右手に果物籠を下げ、受付の前に立った。
「すみません、白岡霞さんのお見舞いに来たのですが病室はどちらでしょうか」
若い看護師は「少々お待ちください」と言って確認に行こうとするが、それを年配の看護師が止める。
「こんにちは。白岡様は特別室にいらっしゃいます。ご案内しますよ」
「あっ、あの時の……。ありがとうございます。態々すみません」
看護師はふっくらと微笑んで利人を案内する。
白岡がこの病院に搬送された時、付き添っていた利人と話をしたのがこの看護師だった。
(それにしても『特別室』って)
ここは地元では有名な鷲宮 医院という大きな病院だ。いくら大学教授とはいえ扱いが大事過ぎるのではないか、もしかしてそれ程身体が良くないのかと不安になっていると看護師が口を開いた。
「雀谷君だったわよね? すぐに救急車を呼んでくれて助かったわ。霞坊ちゃん、もう随分回復されたんですよ」
「いいえ、俺は何も。……坊ちゃん?」
「あら、いけない。昔の癖でつい」
首を傾げる利人に看護師は振り返ってにこりと微笑んだ。
特別室の扉が開かれると、まるでホテルの一室のような広々として温かみのある室内が広がっていた。
そしてその奥、ソファに座るようにして波打つリクライニングベッドに横になっている白岡は窓の外へ向けていた視線をゆっくりとこちらへ向ける。
「やあ、雀谷君。よく来たね」
穏やかな白岡の表情を目の当たりにしてふっと肩の力が抜ける。
白岡が倒れてオペ室の中へ消えてから彼を見るのは今日が初めてだ。夕から無事を聞いてもまだ心は安心しきれていなかった。
「白岡教授……」
じわ、と涙が込み上がりそうになってぐっと堪える。
「では霞坊ちゃん、私はこれで。お夕飯、また残したら許しませんからね」
「うめさん、またそうやって子供扱いして。僕ももういい年ですよ」
「ならもっと大人になってくださいね」
頬を膨らます白岡に看護師はそれではと去っていく。
一人残された利人は手に汗を握って部屋の奥へと進んだ。
「白岡教授、こんにちは。お身体の具合はどうですか?」
「こんにちは。君には驚かせてすまなかったね、もう大した事ないよ」
利人はそうですかと言って安堵の息を吐く。
「あの、これゼミの皆から。皆で押し掛けても迷惑になるので、僭越ながら俺が代表で来させていただきました」
「ああ、ありがとう。そこに置いてくれるかな? 気を遣わせて悪いね」
いいえと言って果物籠を近くの棚の上に置く。
白岡ゼミは人が少ない上に利人の他は卒論に励んでいる四年生しかいない為ゼミ生間の交流は殆どない。
雑用やら何やらで白岡と一番交流があったのが利人だという事は彼らは知らないだろうが、白岡が倒れた時その場に居合わせたのが利人だったからという理由で代表に選ばれたのだった。
「そういえば白岡教授、ここの病院白岡教授のご家族が経営されてるんですね。さっき初めて知りました」
「ん、まあね。うちは代々医系で今は一番上の兄がこの鷲宮医院を継いでるんだ。二番目の兄も医者だから、医学に携わらず気ままに暮らしてるのは僕だけだよ」
僕は家も出たしね、と白岡は穏やかな口調で言う。
けれど姓が変わっても家族は家族だ。白岡が『特別室』にいる理由はそういう事なのかもしれない。
「教授になるのもすごいと思いますけど」
「そう? 僕はたまたま運が良かったんだね」
「そんな事……」
トントン、と扉をノックする音が聞こえて振り返ると夕がパックジュースを抱えて入って来た。
「利人さん、来てたんですか」
「うん、ついさっき。夕、学校は?」
「今日は午前放課なので」
学生服のままの夕はジュースを冷蔵庫に仕舞う。二つ持って来て、と白岡が言うと夕の視線がちらりと利人へ向けられた。
「オレンジ、林檎、葡萄、グレープフルーツ、ミックスがあります」
「じゃあ、オレンジ頂こうかな」
「僕は林檎ー」
どうぞ、とオレンジが描かれたパックジュースを渡される。触れた指先が微かにじんとした。白岡に誘われるままベッド際の椅子に腰を掛ける。
「夕、帰って来たところ悪いけどもう一度お使い行って来てくれる? 購買で新聞を買って来てほしいんだ」
「……分かりました。新聞ですね」
パックジュースにストローを差しながら飄々とそう言う白岡に夕は浅く息を吐くとくるりと踵を返す。ごゆっくり、と扉の前で利人に向かって振り返るとその背中は扉の外へ消えた。
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