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01 モノクローム〈1〉
予感があった。
「末期の癌だ。もう、長くは生きられないだろう」
兄、平良 の口から淡々と紡がれるその言葉を霞は静かに聞いていた。
「……霞?」
平良は仏頂面の顔を更に険しくして霞の顔を覗き込む。
ああ、すまない。平気だよ、ちゃんと聞いてる。
平良は霞の気が狂ったのではないかと心配しているのかもしれない。
自分は笑っていたから。
だって嬉しかったのだ。
やっと解放される。やっと死ねるのだと、ほっとした。
だからこれは正確には予感ではない。ただただ、期待していたのだ。
「霞」
ああ、そんな辛そうな顔をしないで。
僕は、あの日からずっと死に損なって今日まで何十年も生きてきた。
それは僕にとってあまりにも長過ぎる人生だ。
きっと安らかには死ねない。
ただ身を投げるより遥かに苦しんで死んでいくのだろう。
だからこれは、快挙なんだ。
***
鷲宮霞は代々病院を営む鷲宮家の三男として生まれた。
裕福な家だったからお金には困らなかったが、ホームドラマでよく見るような温かみのある家庭とは少し違っていた。けれどその淡白な空気は霞にとって当たり前だったし、奔放な霞は家の微妙な空気を全くと言っていい程気にしていなかった。
八歳上の優秀な長兄は親の期待を裏切る事なく有名大学の医学部に進学していたし、五歳上の次兄・平良も何故か死にもの狂いで勉強に励み何とか地元の医学部に受かっていた。平良が必死だったのは彼が愛人の子ゆえだったのだが、兄弟に執着も関心も大してなかった霞は平良を煙たがりはしないものの興味もなかったのだ。
家は長兄が継ぐ。もしもの時に平良という保険もある。霞は高度な勉強を強いられる事もなく甘やかされてすくすくと自由に育っていた。
前野 太樹 と出会ったのは高校一年の春だ。クラスメイトらしいその少年はわざわざ遠くの席からやって来て霞の目の前に現れた。
「お前、霞だろ? 久し振りだなあ!」
太樹は食い気味に身を乗り出し顔を近づける。
霞は思い切り眉を顰めた。馴れ馴れしいこの少年は一体何なんだ。こんなどこにでもいそうな凡庸な人間の顔に覚えはない。
霞は欧米人である祖母の血を濃く引き継いだ為に髪と瞳の色素が薄い。顔立ちも良いものだから男女問わず人の目を引いた。
だからこの少年も花に群がる蝶のように易々と近寄って来る類の人間かと思ったが、どうやらそれは少し違ったようだ。
「俺だよ俺、前野太樹。覚えてねえの? 子供の頃、軽井沢で一緒に遊んだだろ」
軽井沢。
その場では知らないと答えた霞だったが、太樹の言葉はしこりのように胸に残った。そして気になって部屋中を探してやっと思い出した。
クローゼットの奥から出てきた古い缶の中には車の玩具やセミの抜け殻など今となってはガラクタにしか見えない当時の宝物が詰まっている。
そしてその中には赤いガラスの破片があった。
それは子供の頃、軽井沢の河原でたまたま一緒に遊んだ少年と共に見つけたガラスだ。角が取れ丸みを帯びたそれは光に照らすと虹色に輝く。霞が欲しがったそれを少年はしぶっていたものの最後にはいいよと言って譲ってくれたのだ。
「前野太樹……タキ……?」
少年の名前も、夏の思い出もすっかり忘れていた。それを思い出した今でも少年の顔は靄が掛かったように覚えていない。
でも。
『タキ? 変な名前』
そう、タキと。珍しい名前を口にして笑ったような気がする。
話してみると太樹は気さくで話しやすく、すぐに親しくなった。
たまに授業をサボる事もあれば他校生に絡まれ取っ組み合いになる事もある。霞は見た目が派手なせいか目をつけられやすく来る者拒まずの性格でもあったが、太樹もまた喧嘩っ早く好戦的な面があった。
当時まだ中学生だった周藤岳嗣と肩をぶつけたのは高校二年の時だっただろうか。いかにも不良ですと言った風貌の岳嗣に絡まれるまま伸したら懐かれてしまい、以降度々霞たちの高校に侵入しては後をついてくるようになったのだ。
こうして太樹と二人、時には岳嗣も加わってつるむようになった。うざい奴と思いながらもいつの間にか三人でいるのにも慣れて、太樹と二人で『ガク』と呼んで親しんでいた。
太樹の隣は居心地が良い。同類の人間だったから一つに溶け込むようにそれが自然なのだ。
くしゃりと笑う太樹の髪が陽の光に透けて微かに赤く照らされる。黒髪より少し色が抜けたようなその髪は明るい場所だと赤みを帯びた。霞は太樹によく似合うその色が好きだった。
そして太樹本人にもいつしか親友の枠を超えた想いを抱いた。他の女を抱きながら、これが太樹ならどんなに良いだろうと夢見た。
太樹が一番で、太樹にとっても自分が一番の親友で。
そう思っていたからその時はそれで満足していた。
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