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01 上京

 真っ白な一瞬の光。  ひっきりなしに鳴るシャッター音。  こうして撮られるのも慣れた。ステージには自分ただ一人。一瞬一瞬を切り取るカメラ。  まるで普段過ごしている現実から切り離されたかのようなこの時間を夕は割と気に入っている。 「良し、オッケー。お疲れ様」  カメラマンがひょいと顔を上げそう口にすると、そこでやっと非現実的な空間は遠ざかる。カメラマンの横でカメラの画像を覗いていた男は満足そうに顔を上げた。 「夕、お疲れ様。時間遅くなって悪いね」 「いいえ。今日もお疲れ様でした」 「また連絡するよ。気を付けて帰って」  はい、と頭を下げてスタジオを出る。近くの扉を開け、首に巻かれたストールを外すと椅子の背もたれに掛けた。  学校帰りにスタジオに直行、時間はとっぷり日が暮れての十時だ。今日はもう一人モデルがいたが夕が最後だった為着替え室には夕以外誰もいない。夕はふうと溜息をついて椅子に腰を下ろした。  モデルをやらないかと声を掛けられたのは去年の夏。『CHLOM(クロム)』という当時はまだ名の売れていない小さなファッションブランドがあった。シックでモダンなテイストを売りにしていて、主に二十代の男女をターゲットにしている。けれどどういう訳か当時高校一年生でまだ十六にも満たない夕はそこのデザイナーに大層気に入られたのだった。  だが夕に声を掛けた男の目は正しかった。夕をモデルにした広告は人目を引き、次第にブランドは広く知れ渡るようになった。勿論そのブランド自体に魅力があったのだろうが、切っ掛けというのは重要だ。そしてそれは夕にも言える。  東京への出店が決まった時掲げられた目玉のポスターに起用されたのは夕だった。それは注目を呼び、それまで殆ど『クロム』でしか表に出ていなかった夕はメンズ雑誌や他の広告にも度々出るようになった。  クールでセクシー。とても高校生とは思えない危うい色気がありセンスも良いと評判だ。  夕は中学を卒業してからの一年間で更に背が伸びついに父の背も越えた。暇潰しに始めたジム通いは習慣化し、中学で入っていた空手部を辞めてから衰えていた身体は均整が取れて結果的にモデルの仕事にも良い影響を与えている。  たった一年で夕の生活は大きく変わった。慣れない仕事に疲れ沈むように眠りにつく事もある。  けれどそれ位が丁度良い。  そうして着替えを終えた頃、スマートフォンが着信を知らせた。電話はモデル事務所からだ。 「はい、白岡です。いえ平気です。はい。……春休みですか、確か二十一日からですが……はあ」  夕は電話口から告げられる言葉を相槌を打ちながら聞き最後に分かりましたと言って通話を切る。  それは東京での撮影が決まった事の電話だった。場所が遠い為遠方での仕事はたまの週末にしかやっていないが、長期休暇を利用して長めに滞在し複数の仕事をまとめて行う算段らしい。 (東京)  脳裏を過ぎるのは海を背に立っている利人の姿。  あれから一度も会っていない。  東京へ行く時、いつもほんの少しだけ期待する。もしかしたらどこかですれ違うかもしれない。利人も東京まで出て来ているかもしれない。そんな都合の良い事、ありえないと思いながらも帰りの新幹線の中で肩を落とす。そして同時にほっとしてもいる。  きっと会わない方が良い。もう終わった恋だ。  あれから一年。一年も経った。  きっと少しは大人になった。自分でお金を稼ぐようにもなった。  なのに心の柔らかいところは今でもあの頃のまま、時の進め方を忘れてしまったかのように止まっている。    ***  春の訪れを感じさせる三月下旬。夕は東京駅に着くと電車を乗り継ぎ目的の駅へと辿り着いた。  ガラガラとキャリーバッグを引き、度の入っていない眼鏡越しに辺りを見渡すと髪の短い女がひょいと手を上げているのが視界に止まる。 「ユウ君おっはよー! 久し振りね。元気だった?」 「はい、ご無沙汰してます。薫さんもお元気そうで」  黒のインナーにパンツスーツを合わせたその女は溌剌とした笑顔を浮かべて元気元気と弾んだ声を上げる。  南薫(みなみ かおる)。事務所の人間で、夕が東京に来る時にはいつも世話になっている明るく元気な女性だ。姉御肌で、遠方に住む夕をいつも気遣っている。正直鬱陶しいと感じる事もあるが、素直で嫌みがないのは彼女の長所でもある。 「ユウ君ご飯は? もう食べた?」 「いえ、まだです」 「ホント? 良かった、私もまだなの。もうお腹ぺっこぺこ。事務所に行く前に食べちゃお」  時刻は昼をとうに過ぎている。夕は頷くと薫と他愛もない話をしながら人気のない道を歩き、マンションの一階にある『Autumn(オータム)』と看板に書かれた喫茶店に辿り着く。  静かな場所に建つその店は風情があり落ち着いていて、薫が扉を開くと香ばしいコーヒー豆の薫りが鼻腔を擽った。  薫は慣れた様子でカウンターの向こうにいる中年の男と挨拶を交わし奥へと進んでいく。店長だろうか、くりくりと跳ねた緑がかった茶髪の男は目が合うとにこりと優しく微笑む。 男の落ち着きのある柔らかな空気は喫茶店によく溶け込んでいて、やはり彼が店の主なのだろうと思わせた。 「薫ちゃんが人を連れてくるなんて珍しいですね。すごく綺麗な男の子だ。もしかして?」 「そう、ウチの子。遠くから来てる子でね、ご飯まだって言うから連れて来ちゃった。『ユウ』こと白岡夕君って言うの」 「夕君? 店長の畑山(はたやま)です。どうぞゆっくりしていってくださいね」  夕が頭を下げると男も目尻柔らかに軽く頭を下げる。店内では音量低めのジャズが心地良く流れている。  ユウ、とは夕の芸名だ。正式には『YU』と英語で表記する。『クロム』でのみ活動していた時に自然とそう明記される事が多かった為、改めて事務所に所属した時にもその名を使ったのだ。 「さ、まずご飯にしましょうか。マスター、私カレーね。ユウ君は何にする? 遠慮しなくていいわよ」 「ええと、じゃあサンドイッチをお願いします」  食後にコーヒーお願いね、と言う薫に畑山はかしこまりましたと微笑んで背中を向ける。  ランチタイムを過ぎているせいか店内に客は少ない。カウンター席の隅で本を読んでいる幼い女の子が一人いる位だ。大人の姿が見当たらないが果たしてあの子も客なのだろうか。 「前にも話したけど仕事は明日から。これ、最終調整のスケジュール目を通してね。撮影の他にもレッスンや顔合わせがあるからちょっと忙しくなるけど、一週間頑張りましょう」 「はい」  渡された紙に視線を落とす。冬休みにも四日程滞在した事があったが一週間もの長い期間東京へ来るのは初めてだ。 (明日はレッスンの後Cスタ、明後日も都内か……)  神奈川への移動はないのだろうかと意識してしまうのはもう癖だ。 (……馬鹿か)  ふう、と気づかれないように溜息を吐いて席を立つ。やや狭いトイレで用を足し席に戻ろうとすると、薫の明るい話し声が聞こえた。

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