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02 再会

 店長と話しているのだろうかと顔を上げるとすぐにそうではない事を知る。その背姿は彼のものではなかった。  どうやら他に店員がいたようだ。畑山と同じように白いシャツ、腰には黒いエプロンを巻いている。 (ああ、また)  赤褐色の髪に引き寄せられる。どうせ違うのに、ざわざわと急に落ち着かなくなる。店員が運んで来たところなのだろう、テーブルの上にカレーとサンドイッチが並んでいるのが見えた。  あの人なのか。そう思って顔を確認する瞬間が嫌いだ。  期待、そしてそれを遥かに上回る落胆。微かな安堵。  なのに飽きもせずそれを繰り返してしまう。  すると夕が席に着く前にその店員は身体の向きを変えた。手を振る薫に彼は振り返りながら軽く頭を下げるとくるりと顔をこちらに向ける。  視線を落としたその顔を正面に捉えて息を飲んだ。  どくんと強く心臓が鳴る。 「――利人さん」  勝手に口が、身体が動いていた。  夕の隣を通り過ぎようとした店員の腕を咄嗟に強く掴むと、その青年は目を真ん丸に見開いて見上げてくる。  雰囲気が少し違う。視線の高さも記憶のものより低い。 けれどそれだけの月日が経った。この顔を見間違える筈がない。  髪色と同じ赤みがかったその瞳は更に大きく見開かれる。 「ゆ、う……?」  その青年は、利人は、腕を掴まれたまま呆然として動かない。  夕も動けなかった。何も紡げない。  掌に利人の体温がじわりと移る。 「何々? 急にどうしたの、利人君の事知ってるの?」  時を止めたかのようなその空間は薫の陽気な声によって強制的に引き裂かれた。  はっとした夕は掴んだ手をぱっと離して視線を薫へ向ける。 「あー……はい。中学の時に家庭教師をしてもらっていて、それで」 「へえ! じゃあ同郷なんだ!」 「まあ、そうですね」  ちらりと利人の様子を伺う。利人は信じられないとでも言いたげにこちらを凝視していて、表情を変えないままぱたぱたと腕や肩に触れてきた。 「本当に夕なのか?」  そう問いたくなる気持ちは分かる。夕だってかなり驚いたのだ。  けれど利人のそれはまるで自分を認識しきれていないかのようで、そんなに自分は変わって見えるのだろうかと不思議に思った。そして不安が過ぎる。  もしかして忘れられていたのではないのか。  今声を掛けなければ、もし顔を合わせても利人は気付かなかったかもしれない。 「そうです、俺ですよ。久し振りですね、利人さん」  眼鏡を外して微笑んで見せる。何事もないかのように、平静を装う。  すると利人はくしゃりと破顔して触れていた夕の腕をぎゅうと掴んだ。 「元気……だったか? 身体壊してないか?」  利人のその反応に思わずたじろいだ。ぎくしゃくして戸惑うか、何もなかったかのように笑うか、きっとどちらかだろうと思っていた。  けれど返ってきた利人の反応はそのどちらとも違っていた。 「は、はい。元気ですけど」 「そっか。……良かった」  ぱんぱんと肩を叩かれる。  驚いた。 (そんな何で、ちょっと泣きそうなんだよ) ちりちりと胸の奥がくすぐったい。  思わず吹き出すと利人はきょとんと目を丸くした。 「利人さん、世話焼きのおばさんみたい。何それ」 「おば、それはないだろ。人が折角心配してたのに茶化すなよ」  強張っていた身体から一瞬で力が抜ける。  嬉しい。 (心配してくれてたんだ)  期待する程ではないかもしれない。でも、忘れられてやしなかったという事実にこの心は簡単に躍ってしまう。 「ちょっと、感動の再会のとこ悪いけど私もいる事忘れないでくれる?」 「あっ、すみません薫さん。料理冷めちゃいますね。じゃあ俺はこれで」  唇を尖らせる薫に利人はぺこりと謝りそそくさと身体を引く。  去り際、目が合うと「またな」と肩を叩かれて利人はカウンターの奥へと消えていった。 「あん、行っちゃった。中学生のユウ君の話とか色々聞きたかったんだけどな」 「あれは逃げますよ。というか薫さん、利人さんと随分親しいんですね」  お互い下の名前で呼び合う程に、とまでは言わない。  夕が席に着くと、薫は「うん?」ととぼけたような声を上げる。 「私ここの常連だもの。利人君良い子よねえ、私の失恋話も真面目に聞いてくれて必死に励ましてくれるのよ」 「薫さん、それは営業妨害では」 「失礼ね。ちゃんと人の空いてる時よ。それよりご飯頂きましょ、本当に冷めちゃうわ」  頂きますと手を合わせる薫を見て夕も頂きますと言葉を続ける。  薫は男の趣味が悪い。というか男運がない。ろくでもない男か叶わない男ばかり好きになってしまうのだ。 (そういえば薫さん年下もいけるんだよな……)  薫が利人にぴったりと寄り添っているのを想像してぞっとする。とても複雑だ。 (待てよ、そもそも利人さん今付き合ってる人いるのか?)  サンドイッチに齧りつきながら重要な事に気づいてしまった夕は、もりもりと咀嚼しながらカウンターの向こうで洗い物をしている利人の背中を盗み見る。  とはいえ利人に恋人がいてもいなくても夕にはもう関係のない事だ。彼が誰を好きになろうがそれは彼の自由。夕がとやかく言う事ではないし、それを知ったところでどうにもならない。  夕はもう戦線を離脱している。 (それとも、まだ父さんを想っているのだろうか)  利人と再会して浮いた気持ちは少しずつ落ち着きを取り戻す。  この一年、彼はどう過ごしていたのだろう。

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