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31 罰*
夜が更け小雨が降り始めていた。
自転車を寮の駐輪場に停めごほごほと咳き込みながら寮へ入る。ずぶ濡れという程ではないが、それでも細い雨を受けた服は湿り頭には細かな水滴が乗っている。急な寒気に身体は冷え切っていた。
(疲れた……)
その日のバイトは皿を割るだのクレームを受けるだの散々で、心身共にぐったりと疲れ果てていた。いつもよりひんやりとした部屋に入ると、タオルで軽く頭を拭くだけでシャワーはおろか着替える気力もないままふらふらとベッドへと倒れ込む。頭がぼうっとして何も考えられない。
ごほりとまた籠った咳が出る。風邪は明らかに悪化していた。身体も鉛のように重い。
そして身体の内側からはじわりと重たい熱が忍び寄る。こんな時でも、否、こんな時だからこそこの身体は反応する。
いつも『そう』だ。
ずくりとした下半身の疼きに耐えかねた利人はそっと手を下ろした。
前を寛がせてまだ柔らかいそれに手を添える。数回揉むように梳くとすぐに芯を持ち始め思わず吐息が零れた。
けれど、熱い吐息を零す顔は次第に苦悶の色を滲ませていく。
(やっぱり、駄目だ)
強く梳いても達するどころか濡れもしない。だんだんひりひりと痛み出しついには柔らかくなってしまい苦虫を噛み潰すかのように顔を歪めた。
いつからだろう。そう考えると恐らく一年位前からかもしれない。自分でこうしていても達せない事が増えたのは。
利人は薄く目を開くと中心に触れていた手を離し背中へ回した。
ほんの少しの躊躇いの後、尻の割れ目を伝う手はボクサーパンツの中へ忍び込む。指先に触れる感触が変わるとぴくりと睫毛が震えた。
その行為を初めてした時当然躊躇いはあった。自分でそこを弄るなんてあり得ないと強く拒んでもいた。
けれどそれしか身体を楽にする方法が思いつかなかったのだ。いつもしているようにしても達せない。それはとても苦しく精神的にも負荷の大きい事だった。
今もそれに慣れてはいない。けれどどっぷりとした重苦しい疲れと眠気で意識は朦朧とし、嫌悪を感じる程の気力は残っていなかった。
「……っ」
目を閉じ、ぐっと指の腹でそこを押すとちりりと細かな電流が走るように身体が痺れて思わず腰が揺れた。たったこれだけで、萎え掛けていた中心の塊も再び熱を持ち始める。疲れた身体は僅かな快楽を端から丁寧に掬い取っていく。
「う……っ、痛、」
けれど指は中々奥へ入らない。ここまで踏み込む事は出来ても積極的に調べて自らを開発する程の意志はなかった。
ただもどかしく、物足りなくてどうにか指を動かしてみてもそうすればする程悦くなるどころか不快感が増していく。
気だるげに目を開いたその時、机の上に何かが置かれている事に気づいた。けれど『何か』だなんて、自分がそこへ置いたのに分からない訳がない。最近発売された雑誌に夕が載っていたから切り抜こうと途中になっていたスクラップファイルだ。
雑誌に写る夕の姿が目に映ると途端に身体が疼き出す。
『ベッドだと豹変するタイプかな?』
後藤の言葉が頭の中で響く。
今自分が何をしているのか、溶けた思考は急速に形を取り戻し自己嫌悪の波が嵐となって押し寄せる。
けれど中途半端に熱を欲した身体はそこでやめる事も叶わない。利人は唇を噛み締めると引き抜いた指を下腹部に下ろしベッドのシーツに顔を押しつけた。
瞳に焼きついた夕の残像が思考を支配する。
『利人さん』
低く声を紡ぐ幻像に身体が縛られる。引き攣ったように呼吸が荒くなる。
それは利人の肌に触れ、全身を支配していく。
閉ざされた奥を無理矢理抉じ開け、広げて、なじって、
そして。
「ゆ、……ゆう、」
絞り出すように小さくそう紡いで、びくりと腰を揺らし果てた。
乱れた呼吸を整えながら見下ろせば掌からは白濁が零れシーツに染みをつくる。
「……ッ」
ぎちりと爪が食い込む程その手を握り締め蹲って呻いた。
利人は体調を崩すとより身体の渇きを覚えるようになっていた。それはまるで発作のように激しい熱を持って忍び寄る。
いつもよりずっと理性の効かなくなった身体は無防備だ。けれどその渇きが癒える頃には罪悪感で消えてしまいたくなる。夕の顔が浮かぶのは何も今回に限った事ではなかった。
(汚い)
鼻先を掠める醜い臭い。
後藤の言葉が頭を過ぎった。
『そんな初心そうな顔して親子二人も手玉に取るなんて』
『次は誰に飼ってもらうのかな』
目尻に皺を刻んで微笑む男の姿が浮かぶ。
そして背が伸びて大人びた『彼』の姿が。
(違う。そんな事してない。望んでない。期待してなんかない。俺はただ、夕が幸せで、夕と笑っていられたらそれだけで――)
それで良いと、本当に思っているならどうしてこんな幻を見てしまうんだろう。
「嫌われたくない……」
苦し気に細く零れた声を聞く者はいない。
罰される事を願いながら同時に嫌われる事を恐れる。自分は何て浅ましい人間なのだろう。
矛盾と孤独を抱いて利人はひっそりと意識を手放した。優しい春の暖かさはここにはない。
凍て返る夜の事だった。
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