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30 榛色の青年〈2〉

「後藤さん。白岡教授とはどんな関係だったんですか?」  思わずそう尋ねると、後藤は目を細めてゆっくりと煙を吐き出す。 「霞はカメラの練習相手――なんて言葉を聞きたいんじゃないよな。セフレだよ。初めて会ったのは僕がまだペーペーのカメラマンで霞は院生だか助手だかやってたなあ。あの人、普段無気力な癖にベッドの中だけは野獣みたいだったんだよ?」  くつくつと小さく笑う後藤の視線を追うようにアルバムを見て、皺くちゃなベッドが視界に映った利人はさっと視線を下げた。 「ああ、ごめんね。大学教授のセックス事情なんて聞きたくないか。――ああ、でもあんたも『普通』じゃないんだっけ」  え、と一呼吸置いた後ゆっくりと顔を上げると後藤は面白いものでも見つけたかのように愉快そうに唇を弓なりに曲げる。 「見ちゃった。エレベーターでユウとキスしてるとこ」 「……っ」  息を詰める利人を後藤はにやにやと見下ろす。顔を覗き込まれ思わず仰け反った。 「あれとはそういう関係なんだ?」 「ち、違います。夕は、ただの友人で」 「ただの?」  後藤はふうんと目を細めると煙草を咥えてぷはっと煙を吐き出す。厚い前髪の隙間から鋭い瞳が突き刺してくる。 「ただの友達とキスして泣くんだ。怒るでも笑い飛ばすでもなく」  低いその声に心臓がぎゅっと握り締められる。 (それも見られてたのか)  利人はきつく唇を噛んだ。  認めたら駄目だ。弱みを見せてはいけない。そう本能が警鐘を鳴らす。  心の奥底までも見透かそうとしているかのような深い暗闇を思わせる双眸が怖い。 (狼狽えるな。落ち着け)  後藤に悟られないよう浅く息を吐き出す。 「何の事ですか?」  そう微笑んでみせると、後藤は片眉を上げて「ふうん、へえ」とじろじろと利人の顔を見る。 「雀谷君って案外頑固だね。隙だらけな癖に何をそんなに必死で守ろうとしてるんだか」 「後藤さん……? 言ってる意味が、」  その時、急に迫る後藤に今度は身体が追いつかない。顎を捕らえられぐっと引き寄せられた。 「な、にを」  顔が近づきじっと瞳を覗き込まれぞくりとする。  振り払おうと手を上げるが、その瞬間突然解放され身体がよろけた。 「うん、悪くない」  ひとり満足そうに頷く後藤に利人は眉を顰める。 「雀谷君、今度撮らせてよ」 「はい?」  後藤のその言葉は全く予期していないもので、利人は意味が分からずただ首を傾ける。 「撮らせてほしいって言ってるんだ。個人的にね。あ、モデル代はちゃんと出すからさ」 「ま、待ってください。俺なんか撮ってもつまらないですよ。夕みたいに顔も身体も見栄えする訳じゃないですし」  驚いてぶんぶんと手も首も振り思いきり拒絶すると、後藤は「ユウねえ」と視線を宙へ投げぽりぽりと頬を掻く。 「僕ユウは大してそそられないんだよな。いくらパーツが似てたって霞とは全然違う。ギラギラしてるって言うの? まあモデルなんてそんな子多いし悪くはないんだけど、僕は完成されたものより不完全なものが好きだから」  分かるかなと問われ眉尻を下げた。身内の欲目抜きに夕の写真は綺麗で魅力的だと思うだけに後藤の発言には納得しかねる。 人の好みは十人十色。それは分かる。けれど夕に興味がないのに自分には興味があるなんて言われても疑問しか浮かばない。良くも悪くもこの顔はあまりに平凡で、今日なんてキモいと評されたばかりだ。 (いや、だからか?)  間接的に「お前は不完全だ」と言われた事に今更気づいて少しむっとした。確かに夕や沙桃、樹のような整った容姿ではないが親から貰ったこの身体をそういう風に考えた事はない。 「何かご機嫌ナナメ? そんなに撮られるのが嫌かい?」  常識人かと思いきや、この後藤という男も那智と同じ血が通っているだけあって相当癖のある男らしい。  自分の発言のせいで利人が不愉快な思いをしているなど思いもしない後藤は煙草を灰皿の上に置くと隣の部屋へ行ってカメラを片手に戻って来る。レンズカバーを外しカチャカチャと操作したそれをこちらへ向けて構えた。 「後藤さん?」 「テストだよ、テスト。気にしないで良いから」  撮られるのが嫌なのかと訊いたその口でカメラを構えるとはどういう了見か。  あまりにも勝手が過ぎる後藤の行動に困り果てるも、後藤はそんな利人に構わずシャッターを切る。  もう用は済んだ。このままここにいる理由はない。居たたまれず痺れを切らした利人は帰ろうと決意して口を開いた。 「後藤さん、俺帰ります。ノート、ありが……」 「雀谷君さあ、霞とはただの先生生徒の関係じゃなかったでしょ」  軽く頭を下げる利人に後藤の言葉が突き刺さった。ひやりと一瞬身体が硬直する。  その僅かな反応を後藤は見逃さない。 「いけないねえ、そんな初心そうな顔して親子二人も手玉に取るなんて。それともそういうプレイ? ベッドだと豹変するタイプかな?」  ねえ、とレンズから外れた瞳の鋭く怪しい眼差しにぞっとする。後藤の腕が伸び利人の口元を覆うマスクが剥がされる。  まただ。  この目、この声。  ――怖い。 「や、やめてください。俺達はそんなんじゃ……」  声が震える。すると喉が詰まってむせた。こうしている間にもシャッターの音は無情にも響く。  顔を上げると、カメラのレンズと目が合った。 「あんた、駆け引きとか苦手でしょ」  喉が渇く。ひりひりする。  身体は冷えていくのに頭だけは血が上り熱くなっていく。 「いいね、その野良犬みたいな怯えた顔。でもあんたは凶暴な犬なんかじゃなくて飼い主に捨てられた可哀想な犬みたいだ。……誰に飼われていたんだろうね?」  次は誰に飼ってもらうのかな。後藤はカメラを少し下げほくそ笑む。  その言葉のひとつひとつが利人の心臓をきりきりと締め上げていく。 「あんたのその拙さ、丸裸にしたらきっとすごく良い()が撮れるんだろうね」  考えただけでわくわくするよ。そう口にする後藤はまるで悪魔のようだった。

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