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60 結ぶ、ひかり

「えっ、利人さんが来てた?」  茉奈の車に乗せられて家に着くと、予想外の椿の発言に夕は唖然とした。しかもついさっき帰ったばかりだと言う。 「すみません、ちょっと出掛けます!」 「あっ、こら夕! 片付け!」  夕は抱えていた荷物を玄関に下ろすと踵を返し一目散に駆け出す。もう、と呆れる茉奈に椿はまあまあと肩を叩いた。 (どうして利人さんが、っていうか来たなら何で帰っちゃうんだ。電話の一本位――ってもしかして入ってたのか)  息を切らしながら地面を蹴る。ポケットの中には黒い画面のスマートフォン。手伝いの最中誤って池に落として故障させてしまったのだ。全く何というタイミングの悪さだろう。  きっと自転車かバス、どちらにしても利人が通るであろう道は分かっている。夕が先程まで車で通っていたのとは別の道を走っていると、案の定バス停の横に立つ利人の姿を見つけた。 「利人さん!」  額に汗を浮かべて利人の前に辿り着くと、利人は驚いた後罰が悪そうに苦笑いを浮かべた。 「手伝いは終わったのか? お疲れさん」 「利人さん、どうして。俺に用があったんじゃないんですか?」  ああ、利人だ。普段と変わらない姿にほっとする。  肩で息をしていると、利人は目を泳がせ困ったように照れ笑いを浮かべた。 「えっと、あっ椿さんから渡されてない? この前借りた服返しに来たんだけど」 「あ、そういう事……。そんなのわざわざ家まで持って来なくていいのに」  何を期待したのか、嬉しい事に変わりはないのに落胆してしまう。そのせいかつい言葉が突き放したようなそれになった事に夕は気づかない。 「言えてるな。本当は送るつもりだったんだけど、急にこっち来れるようになったから手渡し出来るかなって思ってさ」  やっぱり送れば良かったな、と言う利人の言葉でようやく失態に気づく。違うと、そう言い掛けてふうと息を吐いた。  落ち着け、と自身に言い聞かせる。 「そうじゃなくて、またいつでも会えるでしょう。俺はまた撮影であっちに行くんだから。急いで返そうとしないでいいんですよ」  焦ると禄な事がない。そうしていくらか冷静になった頭で、ふと疑問が浮かぶ。  早く返さなければという義務感があるにせよ、ただそれだけの為に近くもないこの家へわざわざ足を運ぶだろうか。それこそ送る方が早くて楽だ。 「そっか。そうだな」  控えめに、それでも嬉しそうにはにかむ利人を見てごほりと咳き込んだ。 (可愛い……)  利人は義理堅いから直接渡そうとしてくれたのかもしれないけれど、この顔は卑怯だ。  重いエンジン音と共にバスが遠くから近づいて来る。ああ、来てしまったと憎らし気にバスをひっそりと睨み付けた。 「なあ、夕」  バスが目の前に止まり後方の扉が開く。同時に開いた前方の扉からは年老いた老夫婦がゆっくりと降りていた。 「沙……寮の友達が、今度遊びに行こうって。樹さんも一緒で、多分ちょっと遠いとこ。お前……来る?」  暗い空の下、バスの明かりが利人を照らす。  その横顔が綺麗で、つい見惚れてしまった。 「行きたいです」  利人の赤みがかった宝石のような瞳がこちらを向き、柔らかく細められると利人はバスの階段に足を掛けた。 「また連絡する」  そうしてバスが遠ざかっていくのを風に吹かれながら見送った。  肌がゆっくりと冷やされる中、眼差しだけは酷く熱っぽい。

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