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両片想い50

「思ふには 忍ぶることぞ負けにける 逢ふにしかへば さもあらばあれ 俺もその気持ちに応えたいと思った。だから、もっともっと強くならなきゃいけないって。愛しい貴方を守るために」  貴方を恋しいと想う気持ちには 我慢しようとしても負けて逢ってしまう。逢えるのならば この身がどうなってもかまわない。  俺は意味を理解する前に、告げられた和歌を必死になって覚えた。鉄平の気持ちが込められたものだと、本能で嗅ぎとった。 「壮馬……」  珍しく俺の名前を呼ぶ鉄平の顔は赤いままで、困惑とは違う種類の表情を浮かべていた。 「抱き合うだけじゃなく、好きだと愛の告白をするだけじゃなく、あんなふうに自分の気持ちを伝える術を知ってる、先生の傍にずっといたい」  超絶久しぶりに、先生という言葉を使ってみた。それを聞いた恋人は、瞳をちょっとだけ開いて、ふっと息を飲む。だけど気持ちの切り替えをさっさとしたのか、頭を振るなり、いつもの上司の顔に戻した。 「しょうがないな、まったく」  鉄平の腕を掴んでいる手が無理やり外され、やがてそれはあたたかいものに包まれた。  恋人つなぎしている手と柔らかい笑みを浮かべた顔を、思わず交互に見てしまう俺は、もしかして馬鹿だろうか。  だってここは会社の廊下で誰かに見られたら、奇異な目で見られること間違いなしの行為なのに。 「無鉄砲で、考えもなしに行動するおまえの傍にいなきゃ、心臓がいくつあっても足りないだろ。頼むから俺の目の届く範囲内で、危ないことをしろ」 「上司命令だもんな、言うことをちゃんと聞く」  引っ張られながら弾んだ声で答えると、恋人つなぎされた手がぎゅっと握りしめられ、次の瞬間には鉄平の前へと放り出されてしまった。 「だったらサボった分だけ、とっとと仕事をしろ」 「はーい」  放り出された勢いよろしく、部署の扉を開けかけたそのとき。 「早く仕事を終えたら、ご褒美が待ってるかもしれない」  ぽつりと告げられたセリフで、みるみるうちにやる気がみなぎってきた。 「坊ちゃん、ちなみにさっきのは上司命令じゃなくて、恋人からの命令だからな。肝に銘じろよ」  握っていたはずだった主導権が、鉄平の小さな呟きで強引に奪われてしまう現状は、俺としては正直おもしろくない。だけどこうしてるのが、居心地の良さを一番感じられる。  きっとそれは俺だけじゃなく、鉄平も同じ気持ちでいると思う。だってふたりそろって、好きという想いでつながっているのだから。 「白鷺課長、自分なりに仕事を早く終わらせますので、ご褒美をいただけませんか?」  扉の前でおねだりした、俺の脇を通り過ぎながら、ドアノブに触れている手に、鉄平の手が重ねられた。さりげない接触の中で、鉄平のてのひらの感触を忘れないように、肌が感じようとして熱を追いかける。 「今のがご褒美だ」 「えっ?」 「冗談だよ。ご褒美は、坊ちゃん次第ということで」  俺に触れた手を見せつけるように、ひらひらと振りながら自分のデスクに戻る上司を、複雑な心境で眺めた。  自分が次期社長の座についても、鉄平にうまいこと言いくるめられて、頭が上がらない気が激しくする。それでも――。 「頑張りますよ、白鷺課長のために」  両想いを持続させる努力を心の中で誓いながら、部署の扉を閉めたのだった。  おしまい

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