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新たなる挑戦5

「おまえがどこかに行かないように、時々ブレーキをかけてやんないとさ」 「陽さん以外、誰のとこにも行かないっす」  橋本に言われたように、アクセルを緩めた宮本はワンエイティとの車間距離をあけて、後方から車の動きがしっかり見えるように走行した。 「雅輝ってば、穴を開けそうな勢いで、ワンエイティのケツを追っかけ回してたくせに」  執拗に自分を責める宮本の性格を知っているからこそ、橋本の口から出た言葉だった。 (最初は雅輝のあまりのしつこさに辟易したというのに、いつの間にかそうされないと物足りなさを感じるとか、俺もどうかしてるんだよな) 「陽さんなら、俺がそうなる理由くらいわかるでしょ?」 「まぁな。ワンエイティのドライバーの動きから、ここを走り込んでる自信が走りに表れてるし、コーナリングもべらぼうに安定感がある。雅輝とは別の意味で、センスのあるヤツなんだろう」  タイトなヘアピンカーブの遠心力をやり過ごしながら指摘した橋本に、宮本は感嘆のため息をこぼした。 「俺のセンスとワンエイティのドライバーのセンス、どう違うんですか?」 「こんな険しい峠を口にしちゃいけない速度で、平然と走る神経。つまり、頭のネジが外れてるって意味でだ。雅輝が左のネジなら、相手は右のネジじゃねぇの」 「陽さんその表現、どうかと思いますけど!」 「おっ、そろそろ頂上だな。……ってなんか大勢のギャラリーがいるこの感じ、三笠山で見た光景に似ている気がする」  既視感のある雰囲気に、橋本は顔をひきつらせた。ワンエイティを羨望のまなざしで見つめるギャラリーの多さに、嫌な予感が胸を走る。 「雅輝、離れたところに車を停めろ。地元のヤツに絡まれてバトルにでもなったら、間違いなく面倒なことになる」  走り慣れていない場所でのバトル――三笠山で崇め奉られていた宮本がバトルで負けたとなったら、えらい騒ぎになるのは火を見るよりも明らかだった。 「わかった。向こうの空いてるスペースに停めるね」  宮本はギャラリーの目から離れるように、指示された場所に向けて大回りで徐行した。 「よっ陽さん、ヤバい~!」 「どうした?」  無言のまま、宮本が左手親指で後方を指差す。それにつられて、橋本は後ろを振り返った。 「ゲッ! インプのケツにワンエイティがくっついてる!」 「なにか気に障ること、俺ってばしちゃったのなかぁ」 「おまえが途中まで車間距離つめて、ここぞとばかりにワンエイティを追いかけ回していたからだろ。きっとどんなヤツが乗ってるのか確認しに、わざわざついて来てるんだと思う」  宮本は観念して、橋本が停めろと言った場所にインプを停車させる。その隣にワンエイティが駐車した。ギャラリーは遠くから二台の車を、息を飲んで窺う。 「どうしよう。多分、地元の走り屋なんだろうなぁ。峠の迂回路や空いてるスペースで俺たちが登ってくる様子を観戦した人が、駐車場のギャラリーに連絡したのかもしれません」 「頼むから、売られた喧嘩を買うなよ。俺は生きて帰りたい」  橋本が泣き言を吐いた瞬間に、運転席の窓ガラスがノックされた。その音にふたりそろって車窓を見ると、メガネをかけた女がニッコリと微笑みかける。 「雅輝……」 「もしかして、ワンエイティのドライバー?」  慌てふためきながらもシートベルトを外した宮本が、急いで車を降りた。橋本も助手席から降り立ち、宮本の傍に駆け寄る。 「こんばんは! 私の後ろを追いかけることができるなんて、すごい人だなぁって思って、逢いに来ちゃいました」 「こ、こんばんはです。どうも……」  テンションの高い女の態度に宮本はたじろぎ、視線を右往左往させた。そんな恋人の様子に、橋本は複雑な心境に陥る。  長い髪をポニーテールにし、服で隠しきれない巨乳を揺らしながら、メガネの奥から上目遣いで宮本を見つめる、ロリ顔の女。ヲタクである宮本のコレクションのひとつ、フィギュアのセンターにいるキャラにどこか似ているせいで、橋本は自然と敵意を抱いてしまった。  たじろいでしどろもどろの宮本に、女は微笑みを絶やさず、優しく声をかける。 「あのぅ、どこかでお逢いしたことありませんかぁ?」  じりじりと距離を詰めて近寄る女を見て、橋本は苛立ちまかせに宮本の左手を引っ張って、なんとか距離をあけた。 「すっすみません、人の顔を覚えるのが苦手でして……」 「私は得意なんですよ。乗ってる車と、その人の顔を紐づけして覚えるんです。それと一緒に車を見た場所も! 前からインプに乗ってましたか?」 「いえ、この車は隣にいる知人のでして。前はセブンに乗ってました」  どこか恥ずかしそうに宮本が教えた途端に、女は大きく瞳を見開く。目の前の様子を、橋本はメガネザルみたいだとこっそり思った。 「セブン……。セブンと言って有名どころは、三笠山の白銀の流星じゃ」  車種と一緒に、見た場所と顔を覚える女の記憶力の良さに、橋本はヤバいと瞬間的に悟る。しかも女の走りについていくことのできるテクニックを考慮すれば、この答えが導き出されて当然だった。  橋本は迷うことなく、ふたりの会話に乱入する。 「人違いです! 雅輝、帰るぞ。地元の人の邪魔しちゃいけないだろ」  宮本の腕を掴もうとしたら、それよりも先に女が宮本を引っ張り寄せて、胸の谷間に腕を挟み込み、逃げられないようにした。 「ひいぃっ! むむむ胸がっ!?」  胸の谷間に腕を挟まれたせいで、1ミリたりとも動かすことができない宮本を、橋本は黙ったまま見つめるしかなかった。恋人を掴み損ねた手をぎゅっと握りしめ、拳を作って苛立ちをやり過ごす。 「あんな走りを見せられて、黙って帰すわけないでしょ。雅輝だから、まーくんって呼んじゃお」 「まままっ、まーくん!?」 「まーくんか……。とぼけた雅輝に似合いのネーミングだな」  白い目で自分を見る橋本を、宮本は首を激しく横に振って否定しまくった。 「ねぇまーくん、インプのナビシートに乗ってみたいな。まーくんの走りを、すぐ傍で見てみたい」 「それは駄目っス! 信用してる人しか乗せないことにしてるので」  速攻断った宮本に、橋本はニヤけそうになる。信用に値する自分が優位にたっていることについて、女に自慢したくなった。 「そこにいるおじさんは、まーくんが信用する人なんだ」 「陽さんは、おじさんじゃないですって!」 「いやいや。若い彼女から見たら、充分におじさんだろ。しょうがないさ」  女に負けない笑みを、橋本は顔面に表した。普段お客様にしている営業用のスマイルではなく、嬉しさに揺れるような会心の微笑みだった。 (――おじさんに負けてることを、思い知りやがれ!)  ふたりが微笑みあっている姿に、宮本はどうしていいかわからなくなる。しかも谷間に腕を挟まれた状態を脱したいのに、皮膚に感じるふにふにした柔らかさのせいで、下手に動かすことができなかった。 「まーくん、彼女いるの?」 「付き合ってる人がいるので、この腕を離してくださいっ!」  宮本が即答したのに、女は脇を締めて豊満な胸でさらに宮本の腕を包み込む。 「まーくんってば、嘘ついてるでしょ?」 「嘘じゃない、本当のことなんです!」 「そうだぞ。コイツこう見えて年上キラーでさ、美人の彼女持ちだ」  しれっと自分のことを言った橋本に、宮本は目を見開いて固まった。 「まーくんが年上キラー……。なんか意外かも」  橋本の言葉を聞いて、女は腕をやっと解放する。宮本はそれに安堵しながら、ふたたび何かされないように、じりじりと距離をとった。すると橋本が宮本の前に立ち塞がり、さりげなく壁になってくれる。 「まーくん、その彼女の写真見せて!」  ふたりそろってホッとしたのもつかの間、女に写真をせがまれて、ぶわっと緊張感が高まった。 「えっと彼女ってば写真が苦手で、撮影許可がおりなくて。一枚も持ってないっす」  実際は橋本の撮影会をさきほど車内でやって、ここぞとばかりに写しまくったことを、口が裂けても言えないと思った。 「本当に一枚もないの?」 「あ、はい。頭(ず)が高くて、なかなか頼めなくて」  頭(ず)が高いってなんだそりゃと、橋本は振り返って背後にいる恋人を白い目で見つめる。その視線に気がつき、宮本は苦笑いでやり過ごすしかなかった。 「そんなんじゃセックスするのも、いちいち頭を下げて頼んでるの?」  女は大きい胸を強調するように両腕を組み、ニヤニヤしながら橋本の影に隠れる宮本を見つめた。嘲るような女の笑みに宮本は内心イラッとしたが、事実を伝えれば馬鹿にされないと考えて素直に答える。 「それは大丈夫っす。エッチ大好きなんで積極的にぃっ、痛っ!」  余計なことを言わせない勢いで、橋本は宮本の額をグーパンチで殴った。 「おまえ、年上の彼女が聞いたら、ぶっ殺されるぞ」 「ヒイィイィ! ごめんなさいです!」  見るからに憎悪が漲る橋本の視線に、宮本は恐れおののき、両手で口元を覆った。 「おじさんってば、エッチ大好きな年上の彼女と知り合いなの?」  橋本としては、エッチ大好きな年上の彼女というワードに不満はあったが、逆にそれに乗っかってやろうと思いつく。 「コイツらの仲をとりもった関係でな。なにか問題があったら、両方から愚痴が飛んでくるんだ。それってめんどくさいだろう?」 「でも今の話って、まーくんが彼女に言わなきゃいいだけの話でしょ。おじさん友達なのに、殴ることないんじゃない?」  自分の躰を使って宮本を誘う女に対抗すべく、橋本は朗らかな笑みを浮かべながら、胸を張って答える。 「俺はただの友達じゃない。友達の中でも一番信用されてるんだ。そうだよな?」  背後にいる宮本に問いかけたのに、「はぁ、そっすね……」なんていう歯切れの悪い返事をした。 (ま~さ~き~、ここは元気よく肯定しないと、ロリ女にツッコミいれられるぞ! 空気を読んでくれ!) 「なんかおじさん、ひとりで空回りしてない? まーくんの今の口調、それほど大事に思ってなさそう」  女がてのひらをヒラヒラさせて指摘した。  ほら見ろ、言わんこっちゃないと、橋本が反撃の言葉を考えた瞬間、宮本から声がかけられる。 「陽さんは大切にする存在を超えた、友達以上の関係なんです。中途半端な気持ちじゃないですから」  橋本は白目をむき、唇を引きつらせた。カミングアウトするにも、タイミングが悪すぎて、フォローできないと咄嗟に思った。 「なにそれ……。友達以上の関係って、どういうこと?」 「雅輝落ち着け。おまえ、自分がなにを言っちまったか、理解しているのか?」  恐るおそる背後を振り返った橋本に、宮本は親指を立てながら堂々と答える。 「わかってますよ。隣に陽さんがいるから、俺は安心してインプを走らせることができる。セブンに乗っていたときの走りと、まったく変わったんです。考え方から何もかも俺を変えてくれた、かけがえのない存在だって」 「おじさん、まーくんよりも速く走れるの?」 「まさか! 足元にも及ばない……」  慌てて正面を向いて答えた橋本だったが、宮本に告げられた内容に表現しがたい喜びをもろに感じてしまった。それが頬の赤みとなって表れてしまう。どのタイミングで直球を投げつけられるか予測不能なため、心臓に悪いと思わずにはいられなかった。 「だったらこれから、ダウンヒルバトルしない?」 「悪いが遠慮させてもらう。俺たちはただ、ここに遊びに来ただけだから。走りに来たんじゃない」  白銀の流星という二つ名を持つ宮本の体面を考えて、橋本から断った。 「走りに来たわけじゃないのに、どうして私の走りについてきたの? 相当頑張らないと、後ろにピッタリつくなんて無理だから」 「それは――」  後ろを振り返って橋本が言い淀むと、宮本が小首を傾げながら口を開く。 「なんていうか、貴女の運転に引き寄せられちゃった感じっす。うろ覚えの道を走るとき、目の前にある車のリズムに合わせて走ると、気持ち楽に走らせることができるんで」 「それだけの理由で、私の後ろにはりついていたの?」  女は一瞬呆けたあと、目を瞬かせながら問いかけた。 「はい。ここの峠の走り方のお手本を、間近で見せてもらいました」 「じゃあなおさら、ダウンヒルでも私の走りを見たいと思わない?」 「雅輝っ!」  嫌なしたり笑いをした女を見て、橋本が止めに入る。宮本の腕を掴み、首を横に振って口パクで駄目だと告げた。 「見たいっす」  宮本は橋本の意見を無視して即答した。  その昔、攻略できなかった場所を上手に走る車を目の前で見たからこそ、その言葉が口を突いて出たと、橋本はすぐに理解した。だが、今は分が悪い。  宮本が熱心に走り込んでいたときと、たまに峠を流すように走っている現在では、どう考えても技術の劣化が否めない。走り慣れていない峠のダウンヒルなら、危険度が格段に跳ね上がるのは、火を見るよりも明らかだった。  そんなことを考える橋本の心配を他所に、宮本に向かって女が話しかける。 「だったらついてきて。対向車とかの調整は仲間に頼んでみるから、ちょっと待っててね。逃げないでよまーくん♡」  なぜか投げキッスをしてからワンエイティに戻り、宮本の気持ちを煽るようにアクセルをふかしてから立ち去った。 「雅輝、おまえがここを攻略したい気持ちは一応理解するが、あんな女の挑発に乗ることないだろ」 「……上手な人の走りを見たいと思っちゃ、駄目なんでしょうか」  橋本が妬きもちまじりの文句を言ってから、ややしばらくして告げられた宮本のセリフ。車を速く走らせるための手段を考えたら、真っ当な答えだと思うのに、橋本は否定する言葉が出てこない。 「陽さん……」  宮本は返事を強請るように橋本の名前を呼んでから、服の裾を引っ張る。 「雅輝の気持ちもわかるけどさ。だけどここは走り慣れた場所じゃねぇんだ、どう考えたって危ない」  ここに辿りつくまでの上りのことを思い出して、橋本はあえて指摘した。  三笠山よりも傾斜のきつい峠道――コーナーも走り屋が喜びようなS字や、リアを振り回せる感じの大きな角度のコーナーがあったりと、バラエティーに富んだ場所だった。 「陽さん、俺ね――」 「危ない走りはしないからっていうのは、当然ナシだぞ」  宮本が言いそうなことを橋本が先に告げて、見事に言葉を奪った。 「陽さんには敵わないな」  橋本を掴んでいた服の裾から手を退けようとしたら、すぐさまそれが捉えられた。強く握りしめる橋本の手によって、宮本の右手が顔に引き寄せられていく。少しだけまぶたを伏せた橋本が、爪先にやんわりと口づけをおとした。 「んぐっ!」  爪先に感じた橋本の唇の柔らかさに、宮本の躰が一気に熱くなる。普段されたことがないせいで、与えられる衝撃が半端ない。 「なんて声を出してるんだ。俺はまじないをしただけだ」 「まっ、まじない?」 「走りたくてうずうずしてる雅輝を、誰も止められねぇだろ。少しでも安全運転を心がけてくれよな」  白い目で宮本を見る橋本の口から告げられたセリフで、顔が真っ赤になった。卑猥な考えを見透かした恋人の言動に、切なさを覚える。 「陽さんってば、俺の心を見事に振り回してくれますよね。さっきからドキドキが止まりません」 「それは俺もだって。雅輝の直球を唐突に食らって、カウンターでノックアウトされてる。しかもおまえの運転ほど、心を振り回した覚えはない」  目尻に笑い皺を作って微笑む橋本に、宮本はぎゅっと抱きついた。 「雅輝、いきなりどうしたんだ?」  驚いた橋本は抵抗せずに、動かせる手を使って宮本の躰を撫で擦った。落ち着かせるように自分を撫で擦る手に安堵して、宮本は深いため息を吐く。 「雅輝?」 「やっぱり陽さんは年上なんだなって。俺が緊張してることを見越して、いろいろしてくれるじゃないですか」 「すべては無理だけどな。雅輝はわかりやすいから」 「じゃあ俺が今したいこと、わかりますか?」  顔を見ずにあえて耳元で囁いた問いかけに、橋本は一瞬うっと言葉に詰まった。 「おまえなぁ、屋外でそういう質問はいただけないと思うぞ」 「だったら屋内ならいいんだ?」  嬉しそうにクスクス笑いだす宮本に、橋本は拘束している腕を無理やり振り解き、「駄目だ!」と一喝した。 「えーっ、屋外と屋内がダメなら、どこならいいんですか?」 「この峠を無事に走りきることができたら、教えてやってもいい」  橋本のセリフで、思いっきり不機嫌になった宮本が唇を尖らせたタイミングで、ワンエイティが傍らにやって来た。 「宮本まーくん、おまたせ♡」  運転席から降りた女が、宮本に向かってウインクした。大きな胸をわざとらしく揺らすところなど、女のあざとさを感じた橋本は、辟易しながら話しかける。 「調整してる間に、俺らのことを調べたってわけか。暇人だな」  宮本の名字を口にした女の言動から、自分たちのことが調査されたのがすぐにわかり、苛立ちまかせに橋本は突っかかった。 「バードストライカーズの知り合いがいたから、ちょっと聞いてみただけだよ。ちなみに、おじさんのことはわからなかったから安心して」 「そりゃどうも!」 「こうして白銀の流星と一緒に走れるなんて、すっごく嬉しい。よろしくね、まーくん」

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