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シェイクのリズムに恋の音色を奏でて4

***  次の日、ピアノ講師のお仕事が休みだったので、石崎さんがいる時間帯にお店に顔を出し、ピアノの調律をしてあげた。仕事以外で人様のピアノに触れられる機会があることに喜びを感じるだけで、妙にウキウキしてしまう。  いつも以上にテンションの高い状態で調律をしたからか、予想していたよりも作業が短時間で済んだ。 「清哉は本当に、ピアノが好きなんだな」 「え?」  滅多に名前を呼ばれることがないため、思わず手にしていた調律ハンマーを落としてしまった。ハンマーの金属部分が床に当たったけど、これくらいでは壊れたりしない頑丈な道具だった。 「おい、それ、壊れたりしていないか?」  カウンター越しに声をかけてくれた石崎さんに、慌てて頭を下げる。 「だ、大丈夫です。ご心配おかけしました……」  慌ててしゃがみ込み、落とした調律ハンマーを手にして胸に抱きしめる。 「ちなみにピアニストとしての仕事は、いつからやってくれるんだ?」 「石崎さんの希望は?」  質問を質問で返したというのに、石崎さんは気にする様子もなく、平然と答えてくれる。 「このあと店をオープンしてから。と言いたいところだが、聖哉の心の準備やどんな曲を弾くとか、いろいろあるだろう?」 「えっと……。その、バーでよく流れてるジャズクラシックを事前に選曲したので、実はすぐに弾けます」 「マジでか! すげぇな」 「すごくなぃです……」  感心する石崎さんから注がれる視線に耐えられなくなり、首を垂れるように俯きながら、震える声で事実を告げた。  きちんとしたお店でピアノを弾くんだから、あらかじめリサーチして選曲し、耳コピするのは、僕としては当然だと思ったのに、石崎さんに褒められたせいで、それをプレッシャーに感じてしまった。  さっき落とした調律ハンマーを意味なく握りしめながら、思いきって話しかけてみる。 「一応それ用のスーツも持ってきているので、着替えてから弾きましょうか?」 「いやいや、そこまで堅苦しい感じにしなくていい。今の格好で充分だ」  恐るおそる顔をあげて、カウンターの向こう側にいる石崎さんに視線を飛ばしたら、僕のことを優しいまなざしで見つめていた。 「今の恰好って、こんなのでもいいのでしょうか?」  Tシャツの上に長袖のシャツを重ね着し、下は綿パンという出で立ち。お洒落なバーなのに、ラフすぎるのではと僕は思った。 「聖哉が持ってる、普段着で充分だ。それと、おまえがここでピアノを弾きたいときに来てくれてかまわない。変に責任を感じて、毎日来なくていいから」 「それはとてもありがたい待遇なんですが、本当にそれでいいんですか?」 「給金を出す関係もあるからな。そのときの客の入りで、変えさせてもらうことになる。それでいいか?」  僕としてもここで働くこと自体、予想外だったので、臨時ボーナスみたいな感じになる。 「石崎さんにおまかせします。とりあえず今日はこのまま様子を見ながら、軽くピアノを弾いてみますね」 「ああ。選曲は清哉にまかせるよ」  こうして初日から石崎さんに翻弄される形で、ピアノを弾くことになった。コンテストとは違う緊張感に、僕の心はずっとドキドキしっぱなしだった。

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