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第1話
西日で何もかもがカボチャ色に焼かれている。
ガラス越しの夕陽は通りの向こうからミチルの顔を直撃する。眼をすがめて眺める景色は先週からオレンジ色の比率が高い。街灯に吊り下げられたハロウィンパレードのフラッグのせいだ。大きなカボチャが紫の夜を背景に凶悪な笑いをうかべている。
店の二階の窓は建物から張り出したような形で、すぐ下の歩道がよく見えた。大きなウインドウにはミチルの足元のあたりに白い文字で「リユースショップ トリル」と裏向きに書かれている。
ミチルは歩道を行く通行人を観察しているつもりなのだが、ここに立っていると歩道からもミチルの姿が見えるらしい。学習塾の鞄を持った小学生が急に窓を見上げて立ち止まる。目が合ったとたん、ミチルは無意識に手をあげていた。子供はひっと息を飲むような顔をして眼をそらし、走り去った。
今度は自転車が向こうから走ってくる。店の窓の下を速いスピードで通り抜ける。これもカボチャ色だった。
「あーいたいた。サカイちゃん、ワゴンの客寄せやってくんない?」
すぐうしろから店長の声が聞こえ、ミチルはふりむいた。
「今年はドラキュラ? よくそんな仮装できるよねぇ。マントは作ったの? その帽子どこでみつけたの」
「……うちにありましたよ」
ミチルは反射的に頭に手をやって、シルクハットもどきの黒い帽子を押さえた。
「三百円でした。伝票に残ってるはずですけど……」
「そうだっけ? 俺は平井さんが何といおうと毎年これ。ずっとこれ。もう変えない。決めてる」
店長が首にかけた紐をぐるっと回すと怪獣のマスクがあらわれた。どう反応すればいいのかわからず、ミチルは小さくうなずく。すると店長も少し困ったような表情になった。
「あーいやいや、サカイちゃんのおかげでここは助かってるからさ。今年はどんな仮装だって商店街でも聞かれるし、雑誌に載ったり、取材も来たし、平井さん喜んでるし。だから俺は怪獣でいいんだ」
「……はぁ」
「客寄せっつても、立ってるだけでいいから。よろしく」
ミチルがもう一度うなずくと店長は階段を降りて行った。自分も階段へ向かいながら、ミチルはずれ落ちそうな黒い帽子のつばを押さえる。表面はきれいになるまで拭いたのだが、ボロボロの裏地は繕いきれていない。
ハンガーラックの迷路と化した二階から一階へ降りると、今度は所狭しと置かれた家具類と日用雑貨の棚が待っている。ハロウィンワゴンは店の表に出されていた。ふたつあって、ひとつはカボチャのキャンドルスタンドなどのハロウィングッズ類。もうひとつには「仮装にどうぞ!激安セール中」と書かれたポップが吊るされている。
ミチルがワゴンの横に立ったとたん、道を歩いていた年配の男が驚いた顔で立ち止まった。ポップとミチルを交互にみて、納得した顔で歩き去る。
十月は店の外に激安ワゴンを出す、というのはオーナーの平井さんのアイデアだ。このワゴンで売り出される衣料品は派手な柄とか、やたらと長い裾とか、奇抜すぎて売れ残る服ばかり。あわせて店員に仮装をさせると思いついたのも平井さんで、今日のミチルの服装――黒いマントに黒い帽子、ブーツにハロウィンっぽい小道具――はそのためだ。
これをはじめたのは三年前の十月で、今ではこのあたりの住民や商店街で「仮装ワゴンセール」と呼ばれている。ワゴンの中身が売れることはめったにないが、来店客は増えるし話題になるからと、平井さんはいっこうにやめようとしない。
「うわぁ、サカイさん、すごいですねぇ」
夕方シフトのバイトの子が入口から顔をのぞかせる。彼女は今年の夏から働いているのにミチルは名前もろくに覚えていない。来店客へ服について説明するのなら何の問題もないが、ただの挨拶や世間話はミチルにとって高度な技で、女の子が相手だとなおさらだった。
「このマントってどうしたんですか? まさか作ったとか?」
ミチルが返事に困って曖昧に笑うと、彼女は「あ、リメイクですね? そうでしょ。これって彼女さんがやってくれるんですか?」と、勝手に納得して勝手に話を進めた。自分でやっているとはもちろんいえず、ミチルはまた曖昧に笑う。この子はなぜかミチルに彼女がいると思いこんでいる。バイトは短時間の大学生ばかりだ。
ミチルにしてみるとどの子も入れ替わり立ち替わりするばかりで、ろくに覚えていないのだが、たまに懐いてくる女の子がいる。誘いを適当にかわしているうちに噂が広まったらしい。ミチル自身は注目されるような外見ではないと思っているのに、不思議なこともあるものだ。もっとも十月はすこし違う。
ひょろっと背だけ高いせいか、それとも仮装の内容のせいか。ミチルの仮装は目立つらしく、十月になると話しかけられる率が高くなる。去年は写真をインスタにあげていいかと客に聞かれ、承知すると知らないうちにネットで広まっていた。今年に至ってはTV取材まで来た。
ミチル本人は話題になったという写真をろくに見ていなかった。珍しく話すことの多かった大学生バイトが教えてくれたのだが、彼は大学卒業と同時にやめてしまい、二度とこの店には来ないだろう。
ミチルがここに居ついたのは、就職活動で失敗したあと平井さんに誘われたのがはじまりだった。彼は他にもリサイクルショップを経営していて、ネット販売もやっている。この店は一番小さくて建物も古いのに愛着があるらしく、ここ数年は急にハロウィンに気合をいれるようになった。
子供のせいじゃないか、と以前店長がいったことがある。
「いやぁ、この地域って保育園や小学校巻きこんで昔からハロウィンやってるでしょ。平井さんも自宅はこの辺だし、家族で参加できるから楽しいんでしょ。ハロウィンってなんだかんだでクリスマスみたいな家族イベントだしねぇ。都心じゃ若者が仮装して騒ぐらしいけど、商売人にはスーパーでお菓子や惣菜が売れる方が大事だしさ。子供が小学校を出たら熱も冷めるんじゃないかねぇ」
そんなものかとミチルは思う。店長は話好きで、ミチルが聞いてうなずくだけでも嫌がらないのはありがたい。
ワゴンの前を自転車が通りすぎた。
鮮やかなオレンジのスポーツサイクルだ。さっき似たような色を見なかっただろうか。
そんなことを思っていると、同じ自転車が今度は反対方向から戻ってきて、ワゴンの前で止まった。
サドルにまたがっているのはスーツ姿の男だった。ミチルと同じくらいの年にみえる。あっちはスーツを着ていて、こっちはドラキュラ風マントではあっても。
男は自転車にまたがったままワゴンのポップをじっとみつめ、ミチルをちらっとみて眼をそらし、またワゴンをみた。
「……どうぞご覧ください。全部百円か、80%オフですから」
少し迷ってミチルはマントの腕をワゴンと店の入口へ振った。
「――すごい。それここで買える?」
男はミチルのマントを見ているのだった。仮装が買えるのかとじかに聞かれたのは三年目にして初めてで、ミチルは途惑った。
「これは古着のリメイクなので……二階にはふつうの衣料品もありますよ」
「会社のイベントで、何かしないといけないんですよ」
男は気安い調子で話した。
「社長が何年か前から凝りはじめて、年々大掛かりになってるんですよ。去年は百均で帽子買って誤魔化そうとしたんだけど、本気でやれって怒られてさ。変ですよね」
「あ……うちのオーナーも似たような感じなので」
直後にまずかったと思い、ミチルはあわてて付け足した。「あ、変な人ではないです」
男は眼をきょろっとさせた。愛嬌のある顔つきで、人に好かれそうだとミチルは思った。
「それ、自分でやるんですか? リメイクっていうの」
「衣料を買われたお客さん向けの裾上げサービスとか、僕が担当なんで」
「へえ。見ていい?」
男は自転車を降りると片手でワゴンの中をかき回した。けばけばしい色合いをしたナイロンブルゾンや古びたサテンのスカートをつまみあげ、途惑った表情になる。
「ゾンビ仮装とか、どうです?」思わずミチルは口を出した。
「古くなってもう着ない服を裂いて、あとはメイクで。タトゥシールみたいなの、通販で買えますよ」
「服ね。あまり持ってないんですよ。すぐ捨てるから。あ、そうか、このワゴンの百円のを買って、それをやっちゃえばいいのか」
「サイズが合うのを探しましょうか。上で試着もできます」
「ゾンビの?」
男は笑った。白く整った歯がのぞく。
「サカイちゃん、あのさ――いらっしゃいませ」
入口から店長が顔を出し、男をみて唐突に言葉づかいを変える。
一瞬で居心地悪そうな表情になった男は首をふって「ちょっと中を見てみますよ」といった。
「ふつうの服もあるんですよね?」
「はい」
「サカイさん?」
「はい」
「同じ名前だよ」
男は自転車を壁際に停めて鍵をかけると、店に入った。
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