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第1話
“お泊り愛”
そうでかでかと書かれた今週発売予定の週刊誌の記事をバサッと机に投げ出して、この事務所の社長である秋山理 は口を開く。
よくある熱愛スキャンダル記事だが、撮られた方はたまったもんじゃない。
不幸中の幸い、ツーショットではないが、周囲を警戒してかキャップを目深にかぶりマスクをした女性がとあるマンションに入るところをカメラは抑えていた。
「どゆこと?」
元々少々彫りの深い顔の作りに、ゴルフ焼けか、浅黒い肌、そして綺麗に整えられた口髭を蓄えた中肉中背の男が低い声で発する。
質の良さそうなスーツを着こなし、社長の椅子にどっしりと座る姿はそれだけで十分こちらを威圧している。
対面するはそのマンションの住人であり記事の中心人物、俳優、日向健太郎 とそのマネージャー誉田春一 である。
日向健太郎ーー同年代の若手俳優で今最も人気・影響力がある、と某雑誌のアンケートでも書かれたことのある、今この事務所の看板俳優だ。
祖母がカナダ人のクォーターで身長186cmの8頭身。
その日本人離れしたすらっとした体型は、背後からでも十分目立つのに、そこに付いてる顔がとびきり美しい。
芸術作品のように整った顔の作り、色素の薄い涼しい双眸と、それにぴったり合う白く滑らかな肌。
こんなにも目立つ容貌をしているのに、自重するという考えがないのが全く理解できないで、ただ、もう撮られてしまったものはどうしようもない、と顔面蒼白で横に並ぶんでいるのが誉田春一。
健太郎のマネージャーだ。
もう少しで21歳になるという年齢的にも、遊びたい盛りであるが、一方これから俳優としてまだまだ伸び盛りという非常に難しい盛りの男を、なぜこんな平々凡々な自分に任せるのか、と日々健太郎の操縦にもがき苦しんでいる。
春一は、健太郎と打って変わって、木を隠すなら森の中、春一を隠すなら日本人の中、というくらい、普通を絵に描いたような男だ。
身長自称160cm(実際調子がいいと160cm台の計測値が出る)の25歳。見た目に拘りがない春一は、黒い髪を染髪することもなく時折1000円カットで整えているのだが、最近はその1000円カットにすら行く暇がなくだいぶもっさりと伸びてしまった。
更に、ビシッとスーツで決めた秋山の下で働いているとは思えないヨレヨレの服装が悲壮感を誘う。
視力はそこまで悪くはないが、仕事上運転が欠かせないので、常にスクエア型の黒いセルフレームのメガネをかけていて、太らない家系のため太ってはいないが、運動も好きではないので筋肉もない。青白くヒョロっとした春一は、時たま健太郎に「モヤシ」と言われたりする。
『春一番、穏やかな春の日差しのような子に育って欲しい』という親の願いが籠もった『春一』という名前だ。
その願い通り春一は溌剌とはしていないかもしれないが、穏やかで、意外と面倒見のいい子に育った。
だが、よく考えてほしい。
いや、よく考えなくてもわかるだろうが、春一番の吹く日は、春の嵐とも言えるくらい強風の吹き荒れる日だ。
そう、春一の両親は天然だ。
そのせいで自然と面倒見がよくなったのだ。
それもこの仕事に就けた理由の一つ、といえるのかもしれないが…だからこそ…春一は今まさに、嵐の中に佇んでいた。
「この子、泊まったの?」
記事になった女優を指しながら秋山が尋ねた。
彼女は半年ほど前、健太郎がドラマで共演した、こちらも今売り出し中の若手女優だ。
「泊ま……ぁ…りましたね」
首を捻りながらも反省の空気は読み取れない。当の本人は飄々とした雰囲気であるのに、マネージャーの春一の胃は、誰かに握られているかのごとくギューっと痛む。
この事態にマネージャーの責任が問われないはずがないのだ。
そもそも、異性関係という重要事項を把握していないなんてマネージャー失格。
まあ、マネージャーなんて赤の他人だし、プライベートを何でもかんでも伝達しろ、とは思わない。
でも異性関係は、こういうときのために教えておいてほしかった。
事態の責任と、健太郎との信頼関係の両面で相当凹んでいる。
「誉田」
名前を呼ばれてビクビクしながら返事をする。
「は、はい」
「誉田ってどこ住んでたっけ?」
「三茶ですけど…」
「違うよね」
「えっ」
確かに、正確に言うならば最寄駅は三茶ではなくそこから出る路面電車の沿線沿いだが、住んでるところを聞かれると徒歩圏内だしつい三茶と答える妙な見栄をそんなに鋭く追及されるのかと一瞬思ったが、もちろんそんなわけではなかった。
「健太郎んとこ住んでたよね?」
「えっ」
全然意味がわからない、もうやだこの業界の人たち怖い、怖すぎる。
「住んでま…」
「住んでたよね?」
ノーと言えないオリンピックがあれば間違いなく日本代表クラスの誉田は、今日もまたノーが言えない。
「ぁぁ…したね…」
「だよなぁ、健太郎。田舎から出てきて不安なオマエを面倒を公私共に見てるのが春一。」
「…あ、はい…」
名前を呼ばれて健太郎は、そういう設定なのね、とばかりに返事をする。
「そっかぁ、じゃあこのときも3人でいたんだよね。そしたら、まあ、オトモダチだよな」
「そうっすね」
おいお前、全ての元凶、なにその他人事みたいにそうっすね!
吹けば飛ぶA4コピー用紙並みのそうっすね!
思わず春一は健太郎をキッと睨んだ。
「じゃあ、向こうの事務所にそういうことで伝えておくから」
誉田は深々と頭を下げ、それに倣うように健太郎も頭を下げ、社長室を後にしようとしたところで、秋山が声をかけた。
「誉田ァ、三茶の方は解約しとけよ」
「えっ?」
「はっ?」
「そっち帰る必要ねーだろ」
「…それって…」
「えー!ちょっと待ってくださいよ、本当にハルがうちに住むんですか?!勘弁してくださいよ!オレのプライベートはどうなるんですか!」
ちなみに春一は健太郎より5歳年上だが、そんなことは何の考慮もされず、健太郎は外部の人間がいないと春一のことをハルと呼ぶ。
その言葉、そっくりそのまま言いたかった春一だが、勿論春一の性格ではそんなことは言えない。言えるはずがない。
だからと言って、言ってくれた健太郎に、そうそうそれ!と意気投合できるかと言われれば、そうも思わない。
元凶が開き直っていると正直なんかムカつく。
「…2億」
「…えっ」
「2億に比べれば誉田の引越し代金なんて鼻クソみたいなもんだから、そんくらいは出してやらーと思ったんだけど」
「えっ」
「違約金。健太郎払う?」
「………」
「………」
春一と健太郎は一瞬顔を見合わせたが、すぐさま健太郎は方向性を定めた。
「オレたち、結構いいルームメイトだよな」
……コイツ、完全に寝返りやがったな…。
ポンポン、と春一の肩を叩いて親しげな演出をする健太郎に思わず恨みがましい視線を送る。
「家賃はそのまま健太郎が払い続けてくれるっていうし、誉田は食費だけ入れればいいよ。な、健太郎」
言ってない、そんなことひとことも言ってないが社長の発言にもはや否を言える者はここにはいない。
「ウィッス」
心の中で(ふざけんなよ)とでも思っているだろうが、そんなことおくびにも出さず健太郎は承諾した。
「よかったな、誉田、家賃分貯金できるぞ」
今、春一の脳内BGMは『大迷惑』である。
金よりもプライベートがほしい。
それが春一の本音であるが、少なからず自分の責任である事態にそんなことを言えるはずもない。
再度深々と頭を下げて、今度こそ社長室を後にする。
「家間違えんなよー」
念押し、とばかりに秋山が背後から声をかけた。
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