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第2話

今日はもう仕事もないから、と事務所を後にし夜の帰路を走る。 春一は運転が得意、とまではいかないが、ハンドルを握っても性格は変わらない。 穏やかな安全運転だ。 「先にとりあえずぼくの荷物をさっと取ってきてもいい?」 「おー」 そう言って、まずは春一のアパートに立ち寄った。「面白そう」と言って健太郎も上がりたがったが、目立つ行動は避けてほしいとクルマに残したまま、部屋に帰る。 良くないとは思いつつも、2月の寒空下エンジンを切るわけにもいかないのでさっさと荷造りをする。 果たして本当に、自分が健太郎と同居しなくてはならないのか。 未だ決心がつかない。 秋山は家を解約しろと言ったが、本当に解約してしまってから「え、マジで解約したの?」と言われたら目も当てられない。 秋山はよく冗談とも本気ともとれないことを言って、冗談の通じにくい春一を困らせるからだ。今回もお灸がてらの冗談で、もしかしたら一週間くらいの居候で戻れるかもしれない。 そう考え、本当に下着や仕事で使うものくらいの最低限の荷物を用意し、他はアパートに置いておくことにした。 「お待たせ」 「おー。早いね。てか荷物少なくね?」 待ってる間弄っていたと思われるスマホから目を離し、春一の方へ視線を向けた。 「健太郎待たせてらんないっしょ。ほんと最低限しかないから、無いもの貸して」 「え、無いの前提?」 「うん」 「…ま、いいけど…」 健太郎は不承不承といった感じだ。 「なんか、健太郎乗せてうちから健太郎んとこ行くの、不思議な気分…」 シートベルトを締めながらそうボヤくと健太郎も自分の心に素直にボヤく。 「オレなんかハルが住むんだぜ、不思議どころの話じゃねーよ」 「…身から出た錆だろ…」 じとっと睨むと、ハイハイと健太郎は自分の髪をくしゃくしゃと搔きまわした。 カチっとサイドブレーキを下げて車を発進させる。暫く無言の車内だったが、赤信号で車を停めたとき、春一は気になっていたことを口にした。 「ちなみに…本当のところどうなの、その…」 「え、ヤったよ」 ぶっ、と吹き出す春一を他所に、愚問、とばかりに健太郎は続ける。 「家に女呼んでヤらないって選択肢があるの、ハルには」 「あるよ!」 そもそも春一の家に女性が来たことなどないのだが、幸い今の話題はそこに及んでいない。 「てか、そうじゃなくて付き合ってるとか、そういう」 「そっち?」 「そうだよ!」 「付き合ってねぇよ。だからハルにもなにも言ってない」 彼女ができたらちゃんと報告してね、という約束を、健太郎は一応守るつもりがあるらしい。 ただし、見解の相違が甚だしいのが残念である。 「健太郎はそのつもりはなくても向こうは…」 果たして女優が、遊ばれてる男のところに危険を冒してまでやってくるだろうか。 春一は女性ではないけれど、彼女がどんな気持ちで健太郎のマンションにやってきたのか、想像に難くない。 「……向こうのことまで…知らない」 健太郎にしては珍しく、少々言い淀んだところを見ると、少なからず罪悪感があるようだった。 「何それ!そういう話しないの?!」 「オレは一度も付き合うとか言っとらんし」 「でも…その、ヤったんでしょ?!」 「はぁ?それとこれとどう関係あんの」 絶句である。 もうこの価値観、一生健太郎と分かり合えることはないだろうと春一は思った。 察するに、彼女が健太郎のマンションに訪れたのはこれが初めてではない。 幾度か体の関係をもったと見て間違いないだろう。 「どうであれ、もう終わりだろ」 その言葉を聞いて、もしかしたら健太郎はそれを狙ってわざとこの騒動を巻き起こしたのではないかとすら勘繰ってしまう。 ふぅ、と息を吐き出して両手を頭の下に敷き、車のシートに凭れている。 春一のお説教などもうウンザリという態度だ。 だが春一とて言わぬわけにはいかぬ。 まだ未成年だった健太郎を、山奥から引っ張ってきたのは他のだれでもない春一だ。 仕事として、だけではなく、どこかーーこんなことを言っては健太郎は嫌がるだろうけれどーー兄のような、保護者のようなそんな気持ちで健太郎の成長に責任を感じている部分もある。 「…健太郎、人を傷付けるようなことをしてはだめだよ」 上手いことは言えない。 小学生に話すように、当たり前のことを、易しい言葉でしか伝えられない。 運転中の春一は、健太郎の様子を細かく伺うことはできないが、こちらを向いたような視線を感じた。 「正直、きみがあの子と本当に付き合ってる方がよかったとすら思う」 「…社長に言いつけてやろ…」 一瞬健太郎の瞳が揺れたことなど、春一が知る由もなくーー。 不貞腐れ、窓の外を眺めている健太郎がボソリと毒づくと、それから押し黙ったまま、結局家に着くまで何も喋らなかった。 春一にとって健太郎のマンションに行くことは日常だが、健太郎のマンションに入ることは非日常だった。 同じように、健太郎も自分の部屋に春一がいることにかなりの違和感を抱いているようだった。 「意外と綺麗にしてるじゃん」 学生の頃から友人の部屋に入ったときの最初の言葉は、コレか「きったねーな」の2パターン、春一としてはお決まりのセリフだ。 「なんだよそれ失礼だな」 「さすが女優をお泊りさせるだけのことはあるね」 「急なお泊りでも対応できるよ」 「アホか」 皮肉交じりな言葉も健太郎には響いていないようだった。 呆れてため息を吐いた春一を横目に、健太郎はコートを脱いだり荷物を片付けたり、当然だが慣れた様子で身支度を済ませていく。 一方、ほとんど初めてとなる健太郎の部屋に、春一は落ち着かない様子でうろうろとそこらを徘徊した。 2DKのマンションで、DK部分に小さめのなダイニングセットと、奥にテレビとソファがあるシンプルなレイアウトになっている。残りの2部屋は健太郎の部屋とちょっとした物置のような部屋があった。 「一人なのに2DK?」 「たまにじーちゃんばーちゃんが来たとき泊まれるように。ホテルだと嫌がって来ないから」 「ああ、なるほど」 春一も健太郎の祖父母に会ったことがある。 昔気質の厳しそうな、しかし情の深そうなその顔をふと思い出す。 健太郎には両親がいない。 親代わりがその祖父母だ。 「ハル、着替えないの?」 「あ、うん別に。これで寝るし」 今日の格好は深いグリーン系ベースのチェック柄のネルシャツとニット、それにいつも履いていてくたくたのデニムだ。 ニットを脱いでそのまま寝ればいいと思ってきた。 しかし、健太郎はそうは思わないらしく、顔を顰める。 「えっ、もしかして服持ってきてないの…?」 「これと、もう一組」 もう一組もボーダーのカットソーとカーディガン、どうでもいい適当なものを引っ張ってきた感じだ。 必要ならファストファッションの店で適当に買えばいいと思っていた。 「最低!汚い!臭い!うちにいるのにその不潔なのやめろ!」 この業界、何日も着替えない人もいるだろうに、現に春一もそれで平気な方だが、意外にも、というと失礼かもしれないが、予想外に健太郎は綺麗好きなようだ。 もー!と言ってどこかへ行ったかと思うと、程なくして戻ってきて、ほら、と春一に部屋着を渡してきた。 「あ、ありがと…」 「さっさと着替えて、着てるの、洗えるやつは洗濯機に入れとけよ」 意外な面倒見のよさに少し驚きつつ、春一はありがたく渡されたロングTシャツに袖を通し、スウェットのパンツを履いた。 「…健太郎…」 「なに?」 「…デカイ…」 「子供服なんか持ってねーよ!」 裾や袖は捲ってどうにかしてもウエストはどうにもならず、ガバガバな分を掴んで見せると、モヤシ、と罵られたが、春一は思わず笑った。 罵られて笑ったのが不思議だったのか、健太郎が訝しげな視線を寄越す。 「何となくこういうの懐かしい感じもするかも」 「なんで?」 「学生時代、よく友達んとこ泊まったりしたからさ」 それほど健太郎の興味を引く話題とも思えなかったが、意外にも食い付いてきた。 「その度にこうやって借りてたの?」 「借りたりそのままだったり、色々」 「…でも、準備してくって選択肢はないのか…」 「ブレないだろ」 得意気に言うな、と健太郎が御尤もな意見を述べる。 普段と逆になったみたいでなんとも新鮮だ。 それから一瞬間があって、この話題はもう終わりかと思ったときだった。 「…アイツんとこも?」 「アイツ?」 「 五香ごこうさん」 思わず春一はむっとした顔になる。 「こら、アイツとか言うな」 五香さん、とは同じ事務所の俳優である五香慧佑ごこうけいすけのことである。 春一が学生時代所属していた演劇サークルの先輩でもあり、尚且つ大学を卒業してからも定職に就いていなかった春一に、この事務所のマネージャー職を紹介してくれた人物だ。 春一は当然慧佑に感謝しているし、そもそも学生時代から尊敬し憧れの先輩だった。 だが一方で健太郎は当初から反りが合わない…というわけではないと思うのだが、なぜか慧佑と張り合っている節がある。 健太郎を発掘した春一として、健太郎の才能を疑ってはいないし、ゆくゆくはこの事務所どころかこの世界を背負って立つような役者になると信じているが、今はまだ役者としては慧佑の方が一枚二枚上手うわてかな、と思っている。 そして今度ドラマで共演することが決まっており、そこでまた健太郎が成長させてもらえればいいと思っているのだが、この様子では不安が残る。 「だから、五香さんて言ったじゃん」 まったくもー、と窘めてから、よっこらしょ、と春一は勝手にソファに横になった。 「どうだったかなぁ…覚えてないってことは行ったことないと思うなぁ…。何で?」 「いや…オレが知ってるハルの友達って五香さんだけだから…」 まあ、そらそうだな、と思いながら学生時代に思いを馳せる。 「合宿なら何度かしたけどね~」 「合宿…」 「学生ぽいだろ~懐かしいなぁ…」 そう言いながらスマホを取り出しアラームをセットする。 寝坊しては一限に間に合わなかった学生時代とは違う証拠だ。 しかし、充電器に繋げば、もう今日は店じまいである。 「あ~ぼくもうこのまま寝るわ…何か掛けておいてくれない?」 「はっ?風呂は?」 「朝シャワー浴びる…」 きったねーな、と健太郎に益々軽蔑された気がしたが、眠気には敵わない。 「ハルって、人としては結構ダメなんだな…」 「…何とでも…あ、明日4時には出るから!健太郎も早く寝なね」 間もなく4月期のドラマ撮影が始まる。そうなれば休みなしどころか、睡眠時間の確保も不安になるくらいタイトスケジュールになる。 寝られるうちに寝ておくのも大事な仕事だと思いながら、春一は目を閉じた。

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