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第3話

春一が健太郎の家の住人になってから一週間。 夕方まで予定されていた現場が少し巻いたため予定より余裕を持って次の現場に向かうことができる。 健太郎を控え室に入れて、この隙に春一はずっと買おうと思っていた部屋着等を買いに行きたいと思い断って出ようとしたところ「100均あったらポンチョとレジャーシート4~5枚買ってきて」と1000円渡された。 不思議に思い「残念ながら、健太郎は当分ピクニックには行けない」という旨を伝えるとそれでいいから買って来て欲しいと言われたのでそれならば否はない。 自分のものと、言われた通りの買い物を済ませ戻ると丁度良い時間だった。 今日は今度のドラマの制作発表会。 あの記事が出てからマスコミの前に出るのは初めてということもあり、現場は若干ピリッとしていた。 「記事の質問には何も答えない方向で」 衣装を整えながら春一が念を押すように告げると「うぃ~」と適当な返事が返ってきた。フランス人か!と思わずつっこむと、なぜかクスクス笑っている。 突然健太郎はくしゃっ、と春一の髪を掴んだ。 「最後に髪切ったのいつだよ」 「えっ、突然何?!」 えーっと、と思い返してみてもすぐに出てこない。3,4ヶ月前だとは思うのだが。 その間から悟ったように、呆れた空気の漂う健太郎の声がする。 「相当前なんだろ…」 「…ノーコメント…」 そのままぐしゃぐしゃ、とまるで犬の頭を撫でるように春一の髪を掻き回した。 「おまっ、ちょ、やめ…」 「ほんと、ハルはダメ人間だな…」 日向さん、そろそろ、というスタッフの声がドアの向こうから聞こえて健太郎が手を止めた。 「さー行ってくるか。ハル、ちゃんと鏡見てから出てこいよ」 「だっ、誰のせいだよ!!!」 当然だが、健太郎にあんなことをされたのは初めてで、春一は少なからず動揺した。 鏡を見れば、今さっきまで見ていた美しい男との対比で普段よりも3割り増しくらいにもっさりと見える自分が映っている。 裏を返せば、健太郎はこのもっさい男を見ていたわけだ。 果たして健太郎は、うんざりした気持ちにならないのだろうか、などとどうしようもないことを思う。 今更自分の容姿についてどうこう考えを巡らせてもどうしようもないことだし、健太郎やその他の俳優と比較すること自体がおこがましいというか、次元が違いすぎて比較なんかそもそもしないが、最低限他人を不快にさせない程度にはどうにかしなければならないのは確かだ。 ーーもしかして、健太郎ぼくといるのが恥ずかしかったのかな… 鏡に向かって髪を引っ張ったりしながら髪の長さを確認する。 健太郎に言われるまでもなく、伸びすぎだ。もちろんオシャレにではなく、ボサボサに。 マネージャーとして大変申し訳ないことをした、と密かに反省した。 春一は、健太郎に言われた通り少し整えてから会場に向かうと、程なくして会見が始まった。 会場の隅っこに場所を取り、顔見知りのスタッフと簡単な挨拶を交わす。 何事もなく終わってくれればいいが、そういうわけにも行かないだろう。 実際、今日のマスコミの数は前回の制作発表会より多い気がする。 こちらの宣伝をする代わりに、ネタになるものを何か差出せという暗黙の取り引きだ。 事前に他の出演者の方へは謝罪しているが、その際もこっそり「まあ上手くやってください」と言われたこともあったくらいだ。 要するに、今回の騒動を利用して程よく話題にしておいてください、ということだ。 春一は苦笑いで頭を下げるほかなかった。 さすがに慧佑のところに行ったときには、同じ事務所の先輩というだけあり春一は慧佑にも、慧佑のマネージャーである大貫にも大層同情されたが、その分申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 しかも今回のドラマはアクションラブストーリー。 簡単に言うと、刑事ものに恋愛の絡むドラマとなっている。 慧佑がエリートで有能な、健太郎は叩き上げの破天荒な刑事役となっている。 まあ、その二人が事件を解決しつつも同じ女性を好きになってしまうとい、明らかに女性をターゲットとしたドラマで、他にも謎の探偵役を今若い女性に人気の男性アイドルグループの一人である成田真央なりたまおが演じたりと、キャスティングの段階から色々と力を入れている様子である。 熱愛記事(本人曰く全く熱愛ではないらしいが)の後に恋愛ドラマとは。 なんとも間が悪いというかなんというか。 壇上に座る健太郎を見て、春一はついそわそわしてしまう。 健太郎は元々多弁な方ではない。 だが時にユーモアを交えながら爽やかにやりとりする姿は堂々たるもので、実際、隣にいた大貫からも「健太郎くん、だいぶ慣れてきたね、こういうの」と言われ春一は安堵した。 ーー昔の無愛想な頃からは想像つかないな。 成長を喜ぶ気持ちと、ほんの少し、昔の彼には会えない寂しさとが入り混じる複雑な感情を持って見つめた。 一瞬、ほんの一瞬目が合って健太郎の目元がふっと緩む。 ーーちゃんと、やってるだろ。 いつもの強気で、そう言ってるような気がした。 「さて、ここから記者の皆さんの質問を受け付けようと思いますが、質問はドラマに関することだけに限らせて頂きます」 こういう時の司会者の常套句を、すんなり受け取る人間なぞこの場にいない。そんな人間はこんな仕事をしない。それは断言できる、と春一は身を以て知っている分、自分が質問されるわけではないのに思わずピリっとした。 最初はいくつか無難な質問が出て、慧佑を始め出演者が和やかに答えているたが、案の定記事の質問が飛び始める。 「日向さん、今回のドラマは恋愛の方も要注目ということですがご自身の恋愛の方は…」 ほらきた。だいぶストレートだな。 これくらいストレートだと健太郎に回されることもなく司会者がシャットアウトしてくれる。 「今回、三角関係ということですが、三角関係って、日向さんとしてはどう思いますか?」 あーこりゃ、本人かな。 「そうですね、まあ誰でも望んで三角関係は選ばないと思いますけど…。なってしまったら仕方ないというか、それくらい強い想いだから、誰しも潜在意識のどこかでそういう強い想いを求めてしまう部分があるのかもしれないですね」 おーなかなか無難にいい事言うじゃん。 「実際、三角関係なんじゃないかという噂もありますが、その強い想いがあるんですかね?」 初めて聞いたー。誰とそんな記事出てたっけ? 思わず隣の大貫と顔を見合わせてしまう。 健太郎も一瞬きょとんとした顔をした。 「同居してるというマネージャーさんと例の彼女が元々デキてるっていう噂が…」 ………… ……ぼく……? いやいやいや、待てよ、そこのスポーツ新聞の記者よ、お前だってわかるだろ、女優がもさっもとしたぼくと付き合ってるわけないだろ、冷静に、いや、冷静に考えなくてもわかるだろ。 突如話題に巻き込まれ事故の春一は驚きを隠せない。背中に嫌な汗が流れる感触がしたところで、こちらを見ていた健太郎と再び視線がぶつかる。 先ほどと違って、何を考えているのか表情からは読み取れないが、 ーー怒って…る…? そもそも、普段は無愛想ではあるが、感情の起伏の少ない男である。 周囲の混乱をよそに、別にあんな報道屁でもないといわんばかりだった健太郎が、今更何でそんなに気を悪くしたというのだ。 何も起きてくれるなよ、という春一の願いは届かなかったようで、司会が遮ったにも関わらず健太郎がマイクを取った。 「マネージャーは無関係な一般人なんでそういう記事はやめてください」 先ほどまで纏っていた爽やか好青年の空気がすっと消える。 「そうなんですかねぇ…」 下世話な声を吹き払うように、健太郎が、ふぅ、とため息を吐いた。 「面白きゃ何でもいいの?イカれてんな」 場が凍る、とはまさにこの事だろう。 美しい顔から感情が消えると、こんなにも恐ろしいものなのだろうか。 まだ二十歳そこそこの若造の視線に、その記者が射竦められているのがわかる。 決して声を荒げることはない。 だが聞いた者を凍らせて、まるで液体窒素に入れたバラをバリバリ崩すみたいに破壊していきそうな、ゾッとするような冷たい声だ。 司会も青い顔で場を繋げなくなっている。 シーン、と水を打ったように静まり返った会場を溶かしたのも、またその本人だった。 「…ってセリフがありましたよね」 一瞬にして好青年の様相を取り戻した健太郎が、笑いながら隣の慧佑に話しかける。 今この場で唯一、何て事ない顔をしていたのは慧佑くらいなものだろう。 健太郎に合わせて「それおれのセリフだよね」と笑っている。 でも、以降の様子なんか何も理解できないくらい春一の頭はぐらぐらとして、心臓が早鐘を打っていた。 明日の記事が怖い。社長に怒られるかもしれない。 もちろん、そういう不安もある。 でも、この胸をざわつかせている一番のはそれじゃない。 なぜか、健太郎の、これまで見せたことのなかった顔が、頭から離れない。 ずっと高校生の青年だと思っていた彼の、大人の男の顔がーー。

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