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第4話

あの会見の後、春一はチーフマネージャーに報告の連絡をしていたようだったが、健太郎は詳しく聞いていない。 ただ、きっとあれこれ説教されると思っていたのに、珍しく、帰りの車内、春一の口数が少ないのだ。 あれほど泊まり記事関連の質問に関しては「何も答えるな」と念を押されたにも関わらず、ついカッとなって言い返してしまった。その大人げないないところに関しては健太郎なりに反省している。 だが。 自分自身のことを何と言われようともどうでもいいが、事が春一に及ぶとなると話は別だった。 さっきのあの、青ざめた春一の顔が、脳裏から離れない。 まさか、こんな風に春一に嫌な思いをさせるなどと考えてもみなかったのだ。 その点に於いては、今回女優に手を出したこと、失敗したな、と思っている。 「…社長、意外と怒ってないって…」 ポツリと春一が話し出した。 「ハルは?」 「え?」 「ハルは怒ってる?」 ハンドルを握る春一が健太郎の方を向く事はないから、代わりに健太郎が春一の方を見つめている。 「…怒ってないよ…」 「じゃあ、怖かった?」 「…何が?」 「何かが」 「…何だそれ」 ようやく少し、表情を緩めた春一を見て、健太郎は内心ほっとした。 「会見お疲れ様。明日は午後からだから、午前中はゆっくりしていいよ。ぼくは朝事務所に行くつもりだから…迎えにこようか?」 「いいよ、タクるから」 「じゃ、事務所集合で」 「うぃ」 車内で簡単に明日の打ち合わせを済ませて、そうこうしているうちに健太郎に家に着く。 まず、健太郎をマンションの前に下ろして、その後いつのまにか近場のコインパーキングを数カ所ピックアップしていた春一が、そのどこかに停めて家に戻るというのがパターンになっていた。 先に部屋に入った健太郎は、着替え等の身支度を一通り終えると、春一に買っておいてもらったレジャーシートを敷く。 意外と大きめなものを用意してくれていたので2枚敷くと丁度よさそうだった。 ピンポーン、と春一の到着を告げるインターフォンが鳴り、解錠すると程なくして帰ってきた。 そして、室内に敷かれたレジャーシートを見て怪訝な顔をした。 「何?え?室内ピクニック気分なの?癒し?疲れてんの?やっぱり癒しを求めているの?」 「ハル、いいからそれ着て」 「は?」 指差されたポンチョを見て眉間に皺を寄せている。 よっこらしょ、と言いながら健太郎がレジャーシートをの上にダイニングの椅子を載せ、春一を呼んだ。 「そしたらここに座って。|早《は》よ」 「……もしかして…」 引き出しを開けて、健太郎が手にしているもの。それはーーハサミである。 「ちょ、健太郎、それはイヤ…」 「いつまでもそんなボサボサな頭してる方が悪い」 「だからってハイリスクすぎるだろ!それだって工作用のハサミとかだろ!」 「大丈夫だって。オレ高校のときこういので自分の髪切ってたから」 「まじで…」 「どーせ1000円カットとか行くんだろ。そしたらオレの方が上手いよ」 どうも図星だったらしく、春一がうっ、と言葉を詰まらせた。 「…バカ、相手はプロだぞ」 「でも、ことハルに対してはオレの方が詳しい」 ハルのこと、ずっと見てるから、とはさすがに言えなかった。 引く気のない健太郎の気配に、いよいよ春一は観念したようだ。 言われた通りに椅子に座る。ただ、その表情は不満でいっぱいのようだが。 健太郎は春一の背後に立ち、髪を梳いて長さを確認する。 「どんながいい?」 「……とりあえずなるべく短めに…」 「短めぇ?どうせ次の散髪までの期間延ばすための横着だろ」 「いや、実際色々楽だし」 「ほんなら坊主か」 「それはヤメテ!」 ばっと振り返り軽く健太郎を睨んでいる。 「…じゃあ、お任せってことで」 「言ってないよ!!!」 有無を言わせず前を向かせて、ハサミを入れる。 ジョキジョキ、と小気味よい音と共に、春一の髪がパラパラ落ちた。 「ああ…」 ため息混じりの春一の声。 「まだ言ってんのかよ…往生際が悪ぃな」 しかしハサミが進んでいくうちに春一も諦めたのか、何も言わなくなった。 「…そういや、まだ前の家解約してないんだろ?」 「…ああ、うん…」 「社長が怪しんでたよ」 「え?何を?」 「誰か囲ってんのかって」 「か、かこ…?!」 春一が反射的に顔をぐるっとこちらへ動かしそうになったのを感じ、健太郎は頭を手でぐっと押さえた。 「切ってんのにあぶねーよ」 「あ、ごめ」 「まあ、それは冗談に決まってるけど。春一が女囲うなんて絶対ないし」 「…そう言われると、それはそれで複雑だな…」 「でも早く解約しろって言ってた。金ももったいないだろ」 嘘だ。 そんな話はしていない。 でも、健太郎は、そう言わずにはいられなかった。 少しの間のあと、ポツリポツリと春一が話し始める。 「…本気なのかな…」 「あ、何が?」 「同居の話だよ」 「今更?」 「ぼくは、ほとぼりが冷めたら、社長に『ほんとに引っ越したの?!』とかって笑われる気がしてるんだけど…」 「……」 確かに、あの社長ならそういうノリかもしれない。 当初は健太郎もあまり乗り気ではなかった。 こんな気持ちで、春一と一緒に暮らすのは、それこそ色んな意味で我慢の連続だと思ったからだ。しかし、ーーそれは確かに間違いではなかったがーー今はもう手放す気はない。 春一との暮らしは想像以上に楽しくて、甘くて…。 そう。 健太郎は春一のことが好きだ。 それは仕事のパートナーとして、とか、人として、の範疇を超えて、恋愛対象としての「好き」である。 いつからそういう気持ちになっていたのかは自分でもわからないが、今は確実に|好き《そう》だ。 叶うなら、もちろん体の関係も持ちたい。 でも、性別や立場、そういう幾つもの障害が立ち塞がり、身動きが取れないでいる。 何より、いつの間にか違和感のなくなった、この甘えて甘やかす関係が壊れてしまうのが怖い。 なぜ、こんな茨の道を選んでしまったのかわからないが、気がついたら引き返せないところにいた。 誉田春一、恐ろしい男だ、と健太郎は後から気付いたのだ。 こういう世界にいて…いや、こういう世界でなくてもわかるが、取り立てて造形がいいわけではない。別に、悪くはない。良い悪いの2択なら良いに分けられると思う。だが目を引くほどではない。 でも、人の懐に入るのが異常に上手い。 健太郎よりもこの業界が長い春一に対してこう言うのもなんだが、どうしてこの純真無垢を絵に描いたような男が人を蹴落としてナンボみたいなこの世界で働けているのか、大丈夫なのか心配で、年下の健太郎ですら目が離せない。 でも、天然なのか何なのか、意外と図太い神経をしていて、なんでか頼れる。 武器はきっと、表裏のない性格と、だからできるんだろう、きらきらした笑顔。 誰でも闘争心が削がれてしまう。 これまで鋭い牙で戦ってきた獣ほど、その牙を奪われたら最後、あとは猛獣使いの為すがまま。 決して抜け出せない魔性の男だった。 勿論本人にその自覚はこれっぽっちもないのに、周りにはいつも神経を研ぎすましている一匹狼が多いからタチが悪いことこの上ない。 「…健太郎?」 「…ほら、できた」 ハサミを置いて、春一の頭をぐしゃぐしゃと搔き回すと、春一がやめてくれとばかりに健太郎の手首を握った。 「もー何すんの…」 「毛ぇ払ってんだよ」 「もう少し丁寧にできないの…」 「掃除機で吸ったろーか」 「…ぼくの頭を何だと思ってるんだ…」 「ほら、来い」 春一が何かぶつぶつ言っているがそれを無視して洗面所に引っ張る。 鏡の前に立たせて美容室のように「どうですか?」と鏡を合わせた。 ポンチョを着たままでてるてる坊主みたいなシルエットだが、髪型は悪くないはずだ。 「…なんかちょっと…なんていうか…若くない…?」 少し照れているようだが、春一もまんざらでもなさそうである。 我ながら上出来だと健太郎は満足した。 「オレが若いからな」 「…んー…ま、いっか。ありがとね」 「…おう」 ありがと、そう言われて春一の見ていないところで健太郎の顔が思わずにやける。 「…噓から出たまことだね」 「え?」 ふふ、と春一が笑っている。 「社長に健太郎のところに行けって言われたとき、健太郎言ったじゃん、『結構いいルームメイトだ』って」 「ああ…」 「あんときはくっそと思ったけど」 「…くそかよ…」 健太郎は軽く春一を小突き、それに対して春一が「健太郎のせいでしょ!」と抗議した。 「でも実際、結構いいルームメイトだよね。だって仕事で一緒で家でも一緒なのに、なんだかんだうまくやれてるしねぇ」 「…オレが家事して…」 春一の思いがけない言葉に、思わず皮肉っぽい言葉が出てしまうが、それは自分が望んでやっていることだ。 それで春一が居心地いいと思ってくれているなら願ったり叶ったりである。 「髪まで切って!なんか公私逆でおもしろいね」 「ほんとだよ…。オレはハルのプライベートのマネージャーみたいじゃん」 なんとなく春一の髪を整えるように指で梳いて、改めて実感する。 こうやって少しずつ、春一は今自分の元にいると主張できるのが嬉しい。 同じ洗剤の匂いがしたり、同じシャンプーの匂いがしたり、そういうささやかなことで喜んでいるうちに、もっともっと、と思ってしまう。 そういえば、こんなに触れていたのは初めてかもしれない。 欲望には際限がない。 ーーきっと抱き合ったら、もっと同じ匂いになれる。 思わず背後から抱きしめそうになって、春一の両方の二の腕をぐっと握った。 「いった…!何?!」 途端に春一から抗議の声が上がる。 「…そのまま風呂入って流してこいよ」 春一を洗面所に残し、健太郎は自室に入った。 本当なら、春一の髪が散らかったままのリビングをすぐに掃除したい。 散らかってると言ったって、シートを敷いてあるのだから、それごとまとめて捨てる程度の簡単なものだ。 でも、それ以上に、気がついたら大きくなっていた欲望を、どうにか処理せねばならぬ状態になっていた。 「やばい、オレどんどん変態になってくんだけど…」 思わず頭を抱える。 やっぱり二人で暮らすのは、楽しくて甘くて…苦い。 健太郎はふと、出会った頃のことを思い返していた。

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