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第5話

健太郎が通っていた高校は、絵に描いたような田舎の山奥にあるのどかなところだった。 中間試験が終わり、ほっとしたのも束の間。 7月に入ると担任が考えたくない現実を突きつけてくる。 「おい〜、7月1日やぞ、何の日か知っとるよな?」 生徒たちは「あ夏休み?」「海の日やろ」などと軽口を叩いている。 「たーけがぁ。高3に夏休みなんぞあるか。求人票の公開日じゃ、就職組はちゃんと見とけぇよ」 うえ〜、と隣の席の永田明良(ながたあきよし)がこぼして、その流れで机に肘をついてぼーっとしている健太郎に話しかけてきた。 「けんたろは進学?」 「うんにゃ、就職」 「ほぉか。意外〜。けんたろなら大学行けるやろ」 高2のクラス替えで知り合ったのだが、その名の通り明るくて良いやつであり、何だかんだで健太郎が親しくしている友人の一人だったが、思い返してみれば進路の話をした記憶はない。 永田に限らず、クラスの友人とそういう話をしたことはないと思う。 「金無ぇ」 「あ〜、ワカル〜うちも」 そして、健太郎の家庭の事情も話したことはない。 話した事はなくとも、こんな小さな街ではどこからともなく話が流れて知っているのかもしれないが。 別に隠しているわけではないが、言いふらすことでもないので言っていないだけだが、健太郎は父方の祖父母と暮らしている。 母は健太郎が小学1年生の頃に蒸発し、父は中学1年のときに交通事故で亡くなった。 以来、父方の祖父母が健太郎を引き取り山奥のこの地で面倒を見てくれている。 幸か不幸か、父子暮らしの長かった健太郎は、祖父母の家に引き取られた頃には大まかな家事をこなすことができたが、かといって中学生などまだまだ子供だ。 それまでここから離れた市内で暮らしていたため、時折顔を見せる程度だった孫を引き取るとなると面倒な面が多かろうに、そんな気配は微塵も感じさせず、父が亡くなるとすぐに引き取り、両親のいない健太郎を実の息子同様、愛情を注いで時に厳しく時に優しくーーとはいえ戦後間もなくして生まれた祖父母は、どちらかというと厳しい人間なのだがーー育ててくれており、一方ならぬ恩を感じている。 だから、早く独り立ちをして、祖父母に少しでも楽をさせてやりたいというのが健太郎の考えだった。 就職希望者が半数以上いる高校だが、成績上位者の健太郎に、当初は担任も強く大学進学を勧めた。しかし一方で、家庭の事情を知るだけに健太郎の意志が固いと知るとそれ以上反対もしなかった。 「じゃ、放課後進路室行かね?」 「おー」 その約束通り放課後進路室に行くと、これまで見たことがないくらいたくさんの人がうろうろしていた。 中には生徒ではなく、求人票を持ってきたと見られるスーツを着た人もいる。 「ながっちゃんは?何系?」 届いたと見られる求人票をぺらぺらと捲る。 もちろん、多くの生徒は今日の今日まで何も準備をしていないわけではなく、高2の辺りからうっすらと就職を意識していた者は何度か進路室に足を運び、これまでの求人票からだいたいの検討をつけているのである。 「製造。けんたろは?」 「んーまあ何でもええけど、できれば地元のが…」 「地元?」 だがそれは厳しいかな、というのが本音である。 山の中にあるこの片田舎で職を探そうとなると選択肢が相当狭まる。 「地元の来とるで」 そう言って永田が手にしたのは地元の老舗旅館の求人だった。 「接客…ようせんわ。オレ愛想ないしな」 「ほやね」 「そこは否定せぇや…厨房とかないの?」 以前から家事をし、食事の支度もしてきた健太郎としては調理職ならば興味がある。 軽口を叩きながらも求人票を見る目はお互い真剣だった。 「公務員にしときゃ良かったかな…警察とか」 「ほやけど、警察学校どえらい厳しいらしいで」 先輩からそう聞いたという永田が顔を顰めた。 そんなとりとめのない会話をしていると、忙しそうな、定年間近と見られる教員が二人に声をかけてくる。 「おまんた就職やったかや?」 「…はあ…」 「何ぃ?旅館か」 「や、接客業はようせんて言うてたとこです」 「ほんなら、おまん何がしたいんじゃ」 「何って…」 返答に詰まると教師は訛りの強い早口で捲し立てるように言ってきた。 「決まっとらんのか。ほんでこんな、ペラっペラ見よっても決まらんぞ」 「……」 その後、教師は永田とも同じようなやり取りをして二人を解放した。 “やりたいこと”と聞かれても、そんなものはない。 いや、正確には考えないようにしてきた。 もし、“やりたいこと”が見つかったとして、それをやれる人生を自分は送れるはずがないのだ。それなのにやりたいことを探して、向き合うなど残酷なことではないだろうか。 本当に、本当に自分に正直になれば、似たり寄ったりの求人票を見比べて、どこか納得の行かない企業でも、現実のためにそこには目を瞑って、入りたいです、オレにはここしかないんです、と頭を下げるなんてしたくない。 平均寿命ベースで考えれば、人生、まだ半分も生きていないのに、夢を抱けないという現実に向き合うと心が暗くなる。 でも、ここにいる大多数の人間が、きっとそうやって自分の心に折り合いをつけて、生きるために、消極的ながらも前向きになっているからこそここに足を運んでいるのだ。 「ハァ、エライなァ…」 帰り道、二人でとぼとぼと歩きながらため息を吐く。 今日は求人票公開初日ということもあり、混み合う中で求人票を閲覧していると普通に見るよりどっと疲れた来がした。 夏休みまでまだ半月以上あるし、今日慌てて決めることでもないが、いざそういう物を目にすると気は焦る。 それに夏休みには実際会社見学にも行くし、9月になれば試験だ。 受験なら受験勉強、就職なら履歴書書いたり面接練習やらで、本当に、高3の夏休みはあってないようなものである。 「けんたろ、祭りは行く?」 ふと、永田が今日のこの日に似合わない話題を口にする。 いや、こういう滅入っているときだからこそ、楽しい気分になりたいのか。 「わからん…」 「高校最後の夏やぞ」 「…まー確かに」 ここには盆の時期に大きな祭りがあり、普段人気のない田舎町もこのときばかりは人が集まるのだ。娯楽のない地元の高校生にとって数少ない大イベントである。 「…行くかぁ…」 その返事に永田が「お!」と嬉しそうな顔をした。 ********** 祭囃子の音が聞こえると、無条件にテンションが上がる。 クォーターである健太郎が、自分は日本人なんだな、と実感する瞬間である。 友人と祭りに行くというと、祖母が浴衣を着付けてくれた。 「そう遅うまでおったらかんよ」 大きくなった健太郎に対しても、子供の頃と同じことを言う。 祖母にとってはいつまで経っても子供、ということなのだろう。 「おー」 適当な返事をすると、祖母が背後で苦笑いした気配を感じた。 永田と待ち合わせた場所で落ち合うと、他にも数名クラスの男子がおり「待ってました」とばかりに手を振られたので、こちらも振り返した。 「待っとったで、けんたろ!!!」 「よぉー。何や男ばっかおってむさ苦しい…」 「それな!」 びしっと言われて、健太郎は「はぁ?」という顔をする。 「今彼女おらんよな?」 嘘をついても仕方がないので、まあ…、と渋々頷く。 この後の展開が読めるだけに気が乗らないのだ。 「ほいだら、一緒に彼女ゲットせな…高3の夏は二度と来んぞ!」 「いや、オレ別に今要らんし…ながっちゃん、知っとるやろ」 少し前に永田とそんな話になって、今は忙しいから彼女を作る気はないと話していたのだが、まさかこの日のために事前リサーチでもしていたのだろうか。なかなか食えない男だ。 「けんたろ!!」 「何ぃ…」 「よぉわかった。けんたろは何もせんでええから、とりあえずおって、な?」 そしていい子がいたらかっさらわずにこっちに回してくれ、ということだろう。 自分自身自分の見た目の良さを理解しつつ利用することもある。だから綺麗事を言うつもりはないが、面倒くさい。 健太郎がいたら確かに女の子は寄ってくるかもしれない。しかし、それはつまり女の子は健太郎とどうにかなりたいのだ。彼らもそれを承知の上で健太郎を利用しようとしているのだろうが、ただでさえ就活が始まり忙しい時期に色恋沙汰のなんやかんやに巻き込まれたくない、というのが本音である。 だが、いかに無愛想な健太郎といえども一人で祭りを見て回るほどの物好きではないし、元々友達と回るつもりでいたのだ。しょうがない、と一応皆の気持ちを汲んでやることにした。 屋台を回りつつ、一番盛り上がっている場所へ向かってのろのろと歩く。 いつもは閑散としている通りが、今日は人でごった返していてのろのろとしか進めないのだ。 「ええ子おったか?」 あまりの人ごみに皮肉混じりに健太郎が言うと、永田は少しげんなりした表情を浮かべた。 どれどれ、と健太郎が周囲を見回すと、人ごみの中なのにばっちり、ある小柄な男…の子ではないだろう、男性と目があった。 それからじーっとこちらを見ている。 ちらり、と健太郎を見てくる人は山のようにいるが、普通は見知らぬ人をそんなにガン見できるものではない。 それからすぐ、その目が合った男性が、こちらに向かってくるのはたぶん気のせいではない。 怪訝に思い、しかし友人を変なことに巻き込んではいけない、と「悪ぃ」と一言断って人ごみに紛れようとした。 しかし、彼もまた慣れなさそうな浴衣と下駄で人ごみに飲まれたりしながら、確実に健太郎の方へ向かってくる。 知り合いか?と思い返してみたが、あんな知り合いはいない。 絡まれる?としても、相手はひょろひょろの男だ。どう見ても健太郎に分がある。 そんなことを考えているうちに、その男性が健太郎の前にやってきた。 やっぱり、どうやら健太郎に用事があるようである。 「きみ、……事務……して…?」 「え?何?」 人ごみと祭囃子の中で、はっきりと言葉が聞き取れない。 「事務所!」 「事務所?」 「…と!…いい?」 人ごみから外れたいのであろう。人の少し空いている駐車場を指さしている。 健太郎としては不審人物の誘いに乗る義理はないのだが、なぜだかその時は促された通りに、人ごみを抜けた。 不審ではあるが、間近で見ても危険な感じは一切ない。 どころか、やはり何かあればすぐに捻りあげてやれそうな男だったので、警戒する方がバカらしいとも思えた。 「はー…しんど…すごい人だね…」 言葉に一切の訛りがない。 市内の人でも、ここほどではないが多少イントネーションが標準語のそれと違う。そもそも昔は健太郎も市内にいたからよくわかる。 東京の方から来た人なんだろうな、と瞬時に健太郎は判断した。 「なんすか」 「あ、ごめんごめん、突然」 がさごそと手に持った巾着の中から財布を出し、更にその中から名刺を取り出した。 「ぼく、誉田っていいます」 そこには会社名と思しき「アウトゥンノ」という文字とこの人物の名前であろう「誉田春一」と書かれていた。 「…はぁ…」 「って見てもわかんないよね、東京の芸能事務所の者です。きみもうどっか事務所に所属してる?」 事務所…そういうことか、と健太郎は理解した。 「…もしかしてこれって…」 スカウト、というやつだろうか。 本当にこんなことがあるんだ、テレビの中の話かと思った、と内心で少しどきどきしながら一方でこういう詐欺があると聞いたこともある。実際目の前の人物は浴衣を着て社会人感ゼロの学生みたいな男だ。 「まだフリー?地元の子かな?まだ学生さん?」 なぜだかものすごくキラキラした目で健太郎を見て、しかも怒濤の質問攻めだ。 ーー詐欺…か…? これが詐欺師だったら若くして健太郎はこれからもう一生人間を信じられなくなるだろうと思うくらい、はっきり言って健太郎よりも純真な眼差しを向けてくるのだ。 「…浴衣で仕事っすか…」 「あ、や、実はぼく、今、夏休みで観光に来てるんだけど…」 あまり追及されたくないことだったのだろうか、誉田という男はあたふたした。 「…休みに仕事っすか…」 「あ、ブラックとかじゃないよ、全ぜ…あ、うーん…」 一度否定しておきながら、ブラックじゃないと言い切れない何かが彼にはあるようだった。 「でもね、逸材を見つけたら休みとか関係ないから!だって今きみに声かけなかったら、たぶんもう二度と会えないでしょ?」 「…まあ…」 そらそうだ。 ただでさえこの人ごみの中から自分を見つけた、それだって奇跡的だと思うのに、ここで声をかけられなかったらもう一生この人と会うことはなかっただろう。 「芸能界とか興味ない?」 逆に聞きたいが、こんっな山しかないところにいて芸能界に興味があると思うのだろうか。 いや、ある人もいるだろう。 だが、そういう人はきっと早々に上京してそういうチャンスを目指すに違いない。 勿論目の前の人物は健太郎の生い立ちも、進路選択も知らない、知る筈がない。だからそう聞いてくるのも理解できるのだが、心の中では「あるわけねーだろ」一択である。 「ないっす」 「…即答だね…」 「いや、オレちゃんと就職するつもりなんで」 「え?いくつ?」 「高3」 大人びてるねーと笑っているが、自分が幼いことに気付いた方がいい、と健太郎は思った。 はっきり言って社会人には見えない。 「就職希望なの?なら尚更丁度いいタイミングじゃん」 「いや、興味ないって…」 「え、じゃあなんか他に夢があるの?」 唐突に、だがずっと心の底にあった問いに、健太郎はまだ答えを持っていない。 「…そんなん、初対面の人に何で言わなきゃいけないんですか」 そう言ってはみたものの、健太郎の気持ちを見透かしたように対面している男は折れることがない。 「きみは表に出るべき人間だと思うよ」 「は?」 「初対面で何がわかるのかって言いたいんでしょ。わかる、わかるよ。でもね、理屈じゃなくて天性の、何て言うか…華があるっていうのかな、そういう人はぼく、見ればわかるんだよ」 「…?」 胡散臭い、そんな超能力みたいなことを言われても健太郎は応じることはできない。 「太陽みたいなんだよ、そういう人は。いるだけですごい光を放つから…目をひくんだよね」 頑なな健太郎に、春一は苦笑いを浮かべた。 「まあ、確かにこんな立ち話で決める話じゃないね」 「…はあ…」 「とりあえず、名前と連絡先教えてくれる?」 「は?何すか、その新手のナンパみたいの」 「ナンパ…!ぼくしたことないや、ナンパね…」 春一はくりっとした目をぱちくりさせたかと思うと、すぐに笑った。 「じゃあきみはぼくの初めてのナンパ相手だね」 「いや、意味わからないし…」 「ぼくの連絡先は名刺に書いてあるから!」 「いやいやいや…家の者も絶対反対しますし」 見かけによらず意外と押しが強いな。 「ご挨拶?行くよ、ぼく明後日まで宿取ってあるから!」 「いやいやいや、じーちゃん怖いし」 「えーそうなの?うちの社長とどっちが怖いかなぁ」 そんな無邪気な笑顔で言われてもですね… 「ね!」 ついに健太郎は根負けして、名前と連絡先を教えた。 健太郎くんね、よろしくね、ともう決まったように春一が言うのがなんだかおかしかった。 ナンパをするつもりがされてしまった、と心の中で呟いた。

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