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第6話

翌日本当に電話がかかってきた。 「急なんだけど、これからご挨拶に伺ってもいいかなぁ?保護者の方いらっしゃる?」 「まじか」 「さすがにお仕事?」 「…いや…もう働いてはいないんで…」 とっくの昔にリタイアした祖父たちは今やっていることと言ったら農作業くらいだ。 だから予め伝えておけば時間は設けられるだろうけれども…さて祖父がそんな話を聞いてくれるだろうか。 とはいえ、会うチャンスは今日くらいしかない。 とりあえず時間を決めて、春一の泊まっている地域にあるコンビニで落ち合うことにする。 言っておくがこの地に待ち合わせのできるカフェなんてものはない。 健太郎の家は少し山奥に入ったところにあるため原付で迎えに行くと、春一が先に着いていた。今日はTシャツとデニムというカジュアルな格好をしている。 「後ろ乗ってください」 指で示すと何の躊躇いもなく寄ってきたのでメットを渡した。 原付で走りながら家までの道中他愛ない会話をする。 あまりよく聞き取れないため、自然と大声になる。 何度もお互い「え?」「え?」と聞き返しながらの不便な会話だ。 「昨日の浴衣は持ってきてたんですか」 「いや、旅館の人が貸して着付けてくれたんだ。サービスなのかな?」 旅館、と聞いて健太郎はふとあの求人票を思い出し、流れで就活のことが脳裏をよぎる。 夏休み中そのことがどこか頭の片隅にあり、ふとした時に思い出す。 「急に仕事みたいなことして、お友達とかは大丈夫なんですか?」 「お友達?」 「誰かと一緒じゃないんですか?」 「え、一人だよ」 「一人?」 「そうだよ」 一人で観光、まではわかるが、一人で浴衣着て祭に繰り出すとは、やはりこの男想像以上にハートが強そうである。 「一人で祭来て楽しいの?」 「え、むしろお祭りとかの方がすぐ友達になれない?」 昨夜も地元のおじさんたちと意気投合してだいぶ遅くまで踊っちゃったよ〜と笑っている。 ちなみに踊った、とは盆踊りのことだろう。 当然だが、このようなところにクラブだの何だのはない。 さすが、これくらいの神経でないとぐいぐいスカウトなんてできないのだろう。 程なくして健太郎の家に到着する。 大きな声を出したせいで、のどがカラカラだ。おそらく春一もそうなのであろう、周囲を見渡すと少し枯れた声で 「本当に美しいところだね…」 と呟いたのが聞こえた。 緑が濃いこの時期独特の稜線が、鮮やかに青い空と地を分け、視線を下にすると夏の日差しを受けてぐんぐんと育つ稲が風に揺れる。 植物の緑も、空の青も、強い日差しを受けてできる影の色も全てがビビットな、ここに来てから、健太郎が毎年目にする風景だ。 つまらない田舎の何て事ない平凡な風景と思っていたものを褒められた気がして健太郎は少しだけ嬉しかった。 「ただいま。じーちゃん、おるやろ」 2階建てのこの家は、3人で暮らすには少々広い。 だが特別大きいわけではなく、田舎なのでこれくらい普通だ。 「あ、ばあちゃん」 祖父を呼んだが、先に出てきたのは祖母だった。 「まー、きゃーなとこにようきなすった」 「あ、突然すみません。突然すぎて手ぶらで来てしまったんですけど…私誉田と申します。誉田春一です」 春一が大人らしく丁寧な挨拶をし、さっと名刺を渡すと祖母が受け取りはするがちらっと見るだけでちゃんと読みはしない。春一の名前さえわかればそれでいい。 悪気はないのだが、細かい文字は読む気がしないのだ。 「じーちゃんは?」 「おらんか?ひょっとせりゃ倉におるんやないかや。まー、ちーと待っとけ」 「倉ぁ?お客さん連れてくるって言っとったやろが。あ、誉田さん上がってください」 春一を居間に案内し、麦茶を出す。 暫くして祖父母が揃うと、春一が真剣な顔で事情を説明し始めたが、ろくに聴きもせず祖父が話を遮った。 「たーけが!|工場《こうば》に行く言うとったやろが」 予想通りの反応だ、と健太郎は思う。 この堅物じーさんが、芸能界などという意味の分からない世界で働くことを許すはずがないのだ。 しかし、春一も負けていなかった。 「ぼくも、健太郎くんに何か他にやりたいことがあるのなら、無理強いはしません。でも、もし今夢がなくて、この世界に少しでも興味があるのなら、チャレンジしてほしいんです…してみたいんです」 春一が祖父に一生懸命話している言葉だが、それは同時に健太郎にも向けられている気がした。 健太郎自身、やる、とも、やりたい、ともまだ春一に告げていない。 だが、じゃあ「やりたくないのか」と言われると、そうも言えない。 突然降って沸いたような話に健太郎も正直追いついていない部分がある。 「夢やら何やら、ええ言葉やけど、ほいで。ほいで何の芽ぇもでんかったら、健太郎の人生は取り返せんぞ」 「取り返せないなんて、そんなことありませんよ、健太郎くんまだまだ若いですし…」 「他人はどうでも言えるしな」 「健太郎くんが心配だという気持ちは重々承知しております。でも、絶対、大事にしますから!ぼくが面倒見ますから!どうか、お願いします…!!!」 そう言って深々と頭を下げる姿は、まるで…こう言っていいのかわからないけれども、「お嬢さんをぼくにください」っていうアレみたいな感じだった。 自分のことで、ここまで一生懸命になってくれる大人に、健太郎は初めて出会った気がする。 ーー夢、見てもいいのかな。この人となら… そう思える大人だった。 渋い顔をしたまま、ふー、とため息をついて祖父が健太郎の方を向いた。 「…健太郎」 「何ぃ」 「何ぃて、おまんのことやろ!」 「あ…おお…」 「健太郎は、どうなんや」 どう、と聞かれて一瞬返答に詰まる。 今までジャムの蓋のようにぎゅっと真空にしてしまっていた気持ちを、一度開けてしまったら、もう二度と戻せない気がしている。 「健太郎くん、何を選んでも人生は案外どうにかなるもんだよ」 「…」 「このお仕事を選んでも、そうでないお仕事を選んでも、きっとどうにかなるよ」 どうにかなる、というのはこれまで社会に出たことない健太郎にとって全く想像のつかないものだった。 「ただね、どうにかなったときに、ふと昔を思い出すんだ。そしてそのときの気持ちは、やりたいことを選んだかそうでないかで全然違う。やりたいこと選ばないと、あのときなんで勇気を出して踏み出せなかったんだろうって後悔するよ」 「やりたい…こと…」 「何でもいいけど、今就こうと考えている仕事をしている自分を想像してみて。それで10年後、今日のことを思い出して、あの時挑戦してみればよかったなって後悔しない?」 ポン、と心の中で弾けるような音がした。 この人に上手いこと唆されているのかもしれない。 でも、それでもいい。 もしかしたら、心のどこかで待っていたのかもしれない。 この世界から、この人生から、連れ出してくれる誰かを。 「オレ…やってみたいです。誉田さんと一緒に…」 「健太郎くん…!」 ぱあっと表情を明るくして、春一が健太郎の手を握った。 そしてそれ以上祖父母も反対することはなかった。 思えばあの時既に、春一の術中に嵌っていたのかもしれない。 春一を送ろうと外へ出ると、先ほどまでの焼けるような日差しが少し柔らかく西へと傾いていた。 「誉田さん、一つ聞きたいことがあるんですけど」 メットと共に質問を投げかけた。 「なに?」 「誉田さん、何か後悔してることがあるんですか?」 「え…」 「いや、さっきそんな口ぶりだったから」 健太郎の質問に、うーん、と苦笑いを浮かべている。 「…まあ…今は気にしてないし、大したことじゃないけど…この年だもん一つや二つくらい…」 「何ですか?」 「え、いや、大したことじゃ…」 「教えてくださいよ。今後の人生の参考までに」 言うか言うまいか迷っている様子だったが、にじり寄る健太郎に根負けしたように春一が口を開いた。 「…学生時代気になってた子がいたんだけど…何にもできないまま気がついたら彼氏ができてたことがあって…」 「え…!」 そんなこと…という言葉が喉まで出かかってそれを飲み込む。 「なんか、渦中にいるとすごい大事に感じるけど、よくよく考えてみると別にそこでフラれたからって死ぬわけじゃないし…なんかしておいたら人生変わったのかなーとか…」 「……くく…っ」 健太郎は堪えきれず笑い声を漏らす。 「あ!笑ったな!…だからイヤだったんだよ…」 「だ、だって…そりゃ誉田さんの恋も大事だろうけど…オレなんかちょっとした人生かかってんのに…」 まさか、そんな淡い恋愛事の教訓だったなんて。 すっかり騙された気分だ。 …でも不快に思うことはなかった。 「誉田さん、もう少し時間ありますか?」 「え、うん、大丈夫だけど」 「さっきここがキレイだって言ってくれたじゃないですか」 「うん」 「よかったらちょっと付き合ってくれませんか。…夕焼けがきれいに見えるところがあるんです。今日はきっと、キレイに見えると思いますよ」 幾度目にしても変わらぬ感動を与えてくれる。 美しく、そしてどこか切なさを孕んだあの夕焼けを、ふと春一と一緒に見たいと感じたのだ。 「連れてってくれるの…!」 春一は目を輝かせている。そんな様子を見て健太郎は胸が暖かくなるのを感じた。

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