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第7話

健太郎に切られた髪の長さにまだ慣れないまま、春一は今日、一人事務所に来ていた。 色んなスタッフに「髪切ったの?」と、そしてとある言葉をほぼ付け加えられるので少々居心地が悪い。 当の健太郎の仕事は、今日は午後からのため昼までフリーで、事務所で待ち合わせという話になっている。 「お、ハルじゃん」 おはよ、という声を聞いて振り返ると、そこには人好きのする美丈夫が立っていた。 身長こそ健太郎より少し低いが、それでも180センチを越える長身。黒髪をだいぶ短くしているせいで、ただでさえ小さい顔が更に小さく見える。 彼はこの事務所の看板俳優とも言える人物で、27歳の爽やかな色気と、くしゃっと笑う笑顔のギャップが女性のハートを鷲掴みにしている。 「あ、五香さん!おはようございます!今日はこれからですか?」 五香慧佑(ごこうけいすけ)。 春一の大学の2年先輩であり、この事務所を紹介してくれた人物である。 春一が今こうやって働けているのも全て慧佑のお陰であると言っても過言ではない。大学卒業時、演劇が好きでそのまま学生サークルのノリみたいな劇団で裏方として働いていたーーというと聞こえはいいが、つまりはフリーターだったーー春一にこの事務所を紹介してくれたのだ。 今でも恩を感じている。 更に、演劇サークルの中でもその見た目だけではなく、人の心を動かす演技は一度見たら忘れられない、尊敬する人物でもある。 「そう。社長に呼ばれて。あ、俺は撮られてないよ」 いたずらっ子のような笑顔を春一に向けてくるが、それを言われると思わずげっそりとした顔になってしまう。 「もーー五香さんまで…やめてくださいよ…」 「ごめんごめん。てか髪切ったの?可愛いじゃん」 うぐっ… まただ。 春一は思わず渋い顔になる。 そう、声をかけられたほぼ全員に「可愛い」と言われるのだ。 いいおっさんを捕まえて可愛いなどと勘弁してほしい。 「…切ったっていうか…切られたっていうか…」 「何それ」 慧佑が不思議そうな顔をしている。 他の人には言っていないが、相手が慧佑ということもあり、春一の口も軽い。 「健太郎にやられたんですよ…」 「健太郎に?」 健太郎の名前に反応して、慧佑が眉間に皺を寄せる。 「…いつまで健太郎んとこいんの?」 「終わりが見えないんですよ…」 もー社長の思いつきには困ってます、と春一がぐちぐち言っている。 「ふぅん…」 慧佑が春一の髪を一束手に取る。 「趣味がよく出ててる」 「へっ?」 「いや、悪ガキに手を焼いてるみたいだね」 昨日の件か、慧佑がクスクス笑っているが、当事者としては笑えない。 「笑わないでくださいよ、もー…」 「当のお坊ちゃんは?いないの?」 慧佑がきょろきょろと周囲を見渡す。 「今日は午後からなんでもう少ししたら来ると思いますよ」 午後一、女性誌の取材からスタートだ。 「へー。ハルは?今忙しいの?」 「いや、溜まってた雑事も粗方片付いたので…」 「そしたら久々メシでもどう?っつってもこの時間じゃランチだけど」 「五香さん大丈夫なんですか、時間。それならぜひ!!」 春一が目を輝かせてそう答えた時である。 「はよーございます」 事務所のドアが開いて、噂の健太郎がやってきた。目敏くすぐに慧佑と談笑中の春一を見つけた途端、視線に火花が散ったように見えたのは春一の気のせいだろうか。 「…お、噂の悪ガキ」 「…何してんすか、おっさん」 「ちょっと!健太郎!」 先輩に向かって暴言を吐く健太郎を嗜め、続いて慧佑に頭を下げる。 「すみません!」 そんな春一の気苦労などどこ吹く風で、健太郎はずかずかやってきて、チラリと慧佑を一瞥したかと思うと小言を言ってきた。 「おいハル、シャワー浴びたらマット上げとけっつったじゃん」 「えっ…あっ…ごめ…」 「浴室すぐカビんだよ…」 家のこととなると、途端に立場が逆転する。2人のやり取りを聞いていた周りのスタッフがクスクス笑って人の気も知らず「誉田さん完全に尻に敷かれてますね」などとのたまっている。 慧佑は慧佑で爽やかな笑顔を浮かべながら、しかし目は笑っていない。 「意外と面倒臭い男なんだね」 「一緒に暮らすとよくわかりますけど、ハルかなりズボラなんですよ。一緒に暮らしてない人にはわからないと思いますけど」 何でもう険悪な雰囲気なんだろう…春一は内心げっそりする。 まあ、同じ業界人同士、馴れ合いすぎて向上心がないのも問題だが、普段は周囲のことに興味がなさそうな健太郎がなぜか慧佑にはライバル心剥き出しだし、慧佑も慧佑で本来なら歯牙にも掛けないような相手をわざわざ挑発するようなことをする。 春一としては仲良しこよしとまでは言わないが、先輩後輩として良い関係を築いてもらいたかったが、早いうちからその理想は塵となって消えた。 気が合わないわけではなさそうなのだが…むしろ、合いすぎてぶつかっているような気すらする。ドラマの撮影は果たして無事に終わるのだろうかと気が気ではない。 「…お守り開始じゃメシどころじゃないか。ま、そしたら今度ゆっくり飲みにでも行こう」 「ぜひ!あ、新木とも今度ゆっくり飲もうって話してたんですよ。覚えてます?ぼくの学年の。五香さんも一緒に来たらきっと喜びますよ!」 新木、とは春一と慧佑が所属していたサークルのメンバーの一人だ。 大学に上がる前の春一だったら絶対友達になどならないタイプの、言うなれば春一とは真逆のタイプで女をとっかえひっかえしているような男だったが、気がつくとなぜだか学生時代はよくつるんでいた。 慧佑とはまた違う雰囲気だが、あれはあれで顔の整った男で、数回サークルの劇で共演したこともあり、忘れているはずはないだろうと春一は踏んでいた。 しかし思いの外ピンとこなかったのだろうか、慧佑は一瞬遠い目で「新木…」と呟いたが、すぐ「そうだな」と頷いた。 そして 「健太郎んちがイヤになったらいつでもうち来ていいからなー」 と言って肩をポンポンと叩くと奥の社長室へ去って行った。 「…油断も隙もねぇな…」 「はぁ?」 その声を聞くや否や、じっと春一を睨むように見つめる。 「ハルは隙だらけだし…」 「…はぁ???」 「なんでもねーよ。ほら、仕事だろ。女性誌だっけ?」 腑に落ちないながらも、仕事の話が出ると無視するわけにはいかない。 「そう。前に伝えておいたよね?読んだ?」 健太郎が「ん」と適当に頷いているが、態度とは裏腹にしっかり準備をしてくれることを春一はよく知っているので、深くはつっこまない。 今回取材を受けるのは健太郎よりも少し上、20台後半から30台前半をターゲットにした女性誌だ。 これまで健太郎は年齢のせいもあり、若い役、ともすると高校生役などを中心にしてきた。実際20台半ば、童顔な役者なら30くらいまで、平気で高校生役は回ってきたりするので、20歳の健太郎がやってもおかしいことはない。 高校を舞台にしたドラマや映画は多いし、青春群像劇のような作品は定番でよくあるものだし、登場人物の人数も多いため、最初のうちは重宝するかもしれない。 ただ、長い目で見ると若い役で過ごせる時期は短い。 更に、健太郎はその血筋のせいか年齢より大人びて見えるから、制服を着ていられる時期はあっという間に終わるだろう。 しかし、一度そういうイメージが付いてしまうと、そこから脱却するのに結構苦労したりするものだ。 だから、若いさだけでなく、その中に大人の色香を孕んだ俳優として差別化し、売り出していきたいと春一は考えている。 もちろん、春一が勝手に考えているだけでなく、上司とそしてもちろん健太郎本人と話し合い、全員一致で決めた方向性だ。 そういう意味でも、今回のドラマでは実年齢より高い役で、いい役をもらったと思っている。 「じゃ、行こっか」 「ん。あ、ハル昼飯は?」 「どっかコンビニで買うよ」 「…ほら。ついでだったから」 健太郎から紙袋を渡されて中を見るといくつかおにぎりが入っていた。 驚いて思わずそれと健太郎の顔を交互に見てしまう。 「女子なの?健太郎女子なの?」 「…要らなねーならいいよ」 健太郎がさっと春一の手の中の紙袋を奪おうとしていたので、春一は全力で防御した。 「うそうそ!ほんと嬉しい!!ありがとー!!」 思わず満面の笑みが浮かぶ。 素直に喜んだらそれはそれで「おう」とぶっきらぼうな返答がくるだけなのだが、それで構わない。 きっと健太郎は午前中、久々の貴重な自由時間だというのに、掃除や洗濯、そういう家のことをやっていたに違いない。 そしてその中で、こうやって居候の春一のことを思いやってくれたのだ。 嬉しくないわけがない。 「…なにニヤニヤしてんだよ…」 「五香さんとご飯も行きたかったけど、今日は行かなくてよかった」 そう言うと、健太郎がハルの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 「ちょっと!」 最初こうされたときはちょっとイヤだったのに、ふと気がつくと今は全くそれがイヤだと思わなく、むしろ心地よくて…でもどこか胸がしめつけられるような感じがする。 「ほら、行くんだろ」 「もー!!」 春一は乱された髪を手櫛で整えながら駐車場へ向かった。

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