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 次の日、朝職員室へ行くため少し早めに起きる。七時になったら長谷川が迎えに来てくれるらしい。「教師×転校生が見れるかもしれないのに逃す訳なくない?」と言っていた。意味は分かりかねるが俺のためにわざわざ、という訳ではなさそうだから大人しく厚意に甘えておいた。  三浦は朝が弱く、出席確認ぎりぎりまで寝るのが常らしいのでこれにはついてこない。長谷川曰く、三浦はゲームが好きで、夜遅くまでやりこんでいるから朝が遅いのだという。  朝ご飯用にスープとサラダを作る。大した手間でもないので三浦の分も作っておく。好き嫌いまでは把握してないからかえって迷惑にならないといいが。  自分の分を急いで胃に流し込み、三浦の分にラップをして食卓に置く。三浦に宛てたメモを添え、部屋を出た。 「わっ」  玄関を出ると、インターホンを押そうとしている長谷川がいた。このタイミングで戸が開くと思っていなかったらしく、彼は少し驚いているようだった。 「おはよう長谷川君」 「おっはよ~、ゆかりん!」  朝が苦手ではないのだろう、長谷川は昨日と変わらずハイテンションだ。 「じゃっ、職員室行こっか~」  職員室にはすでに多くの先生がいた。今日が始業式だからだろうか、その様子は少し慌ただしい。長谷川はおじゃましまーすと言い中を見やる。少しきょろきょろした後、「あー……」と残念そうにため息をついた。 「まだ田上ちゃんいないみたい」  担任はまだ来ていなかったようだ。始業式の日くらいは早めに来てるかと思ったんだけど、と長谷川も少し呆れている。発言から察するに、担任はいつも遅めに来る人のようだ。彼はあまり熱心な先生ではないと昨日長谷川が言っていたことを思い出す。  長谷川曰く、先生方の朝礼というものが生徒の朝礼よりも少し早い時間に職員室で行われるらしく、田上先生もそれまでには来るだろうとのことだった。その間は職員室に生徒が立ち入ることは禁止されるらしい。  果たして、朝礼の時間ぎりぎりに先生は来た。ボサボサの髪にだらしなく結ばれたゆるいネクタイ。髭も無造作に伸びたままだ。寝坊でもしたのだろうか。 これでは職員室の前で待つほかない。生徒の朝礼もあと10分ほどで始まるため、長谷川には一足早く教室に行ってもらうことにした。どうせ俺が教室に行ったところで座る席さえ決まっていないのだ。田上先生と一緒に行く方がいいだろう。 「じゃあまた休み時間にね~!」  白いハンカチを頭上で振り別れを惜しむ長谷川に、苦笑しつつ見送る。結局彼は無駄足になってしまったようで申し訳ない。  長谷川を見送って5分ほど経ち、職員室の戸が開いて先生方が出てくる。どうやら朝礼が終わったようだ。その中に田上先生の姿を見つけ、駆け寄る。 「おはようございます、先生」 「……? ……桜楠……じゃないな、誰だ?」 「編入生の椎名です」 「あー……編入生、編入生……そんな資料をもらったようなもらってないような……」  この先生ときたら資料の覚えすらないらしい。だらしがないにも程がある。  ボリボリと顎をかき、溜息を一つついて彼は言う。 「俺は田上(はじめ)。数学教師だ。よろしく」 「椎名由です。桜楠円の弟です。よろしくお願いします」  田上は自己紹介に弟か、とひとりごちる。なるほど、資料を読んでいないから俺と円の血縁関係が分からなかったらしい。この先生、本当に大丈夫だろうか。 「ま、教室行くか」  彼はそんな俺の不安などつゆ知らず、半ば俺を置いて行くように教室へと向かった。  予想はできていた。が、まさかこれほどとは。  田上とともに教室に入ると歓声に包まれた。田上は鬱陶しそうな顔をしながらしっしっと追い払うかのような仕草をする。 「ほら、静かにしろー。朝礼終わらせて始業式に行かにゃならんからさっさと終わらせるぞー」  自己紹介を、と促され黒板の前に立つ。 「椎名由です。生徒会役員の桜楠円とは双子です」  どっちがお兄さんですかー、恋人はいますかー、というような質問に軽く答え、よろしくお願いします、という挨拶で締める。 「いろいろ分からんことも多いだろうからお前らちゃんと面倒見ろよー。じゃあ席は……花井の隣が空いてるな、窓際一番後ろの席だ」  日当たりがよさそうだ。  指さされた席に着き、カバンを机に掛ける。ちらりと隣を窺う。花井と呼ばれた彼は小柄で可憐な顔つきな美少年だった。ただ目が少し小生意気そうで、そこだけが彼の印象を裏切っているように感じる。  彼は俺の顔を穴が開きそうなほど熱心に見つめていた。かと思えば唐突に鼻を鳴らし、満足げに一言呟く。 「合格」 「は?」  え? 今なにか判定された?   戸惑っていると向こうから握手を求められる。 「僕は花井鴇人(ときと)。よろしくね」 「俺は椎名由だよー。よろしく」  戸惑いながらも握手を返すと、彼はにんまりと笑った。獲物を見つけた蛇のような獰猛さを感じ一歩後ずさる。  花井は可憐ではない。むしろ彼の目こそが本質を表していたのだと気づいた。 「顔がいい人は好きだよ。仲良くしてね」  なるほど、面食いか。ここまでオープンだとかえって好印象を抱くものなんだなぁ、と他人事のように思う。 「うん、よろしくね」  面白い人が隣の席になったなぁ。  始業式が始まった。 『生徒会長挨拶』  突如、会場に歓声が巻き起こる。花井ははた迷惑そうな顔をして会長を睨みつけている。 「うっさ」  ふむ、花井は少し口が悪いらしい。 『麗らかな春の日差しの中、今年も無事新たな新入生を迎え始業式を執り行えたこと、うれしく思います』  よく通る聞き取りやすい声で会長は挨拶を始める。ちらりとステージの袖を見る。向かって右には生徒会、左には風紀委員会が座っているようだった。  “彼”がいるかと思い風紀委員の方の袖を注視する。意志の強そうな目をした男、その隣には黒髪で物静かそうな雰囲気の男が座っている。黒髪の先輩は剣道が似合いそうだな、と思い視線をその隣に外す。  果たして彼はいた。  いつもは柔らかい表情を湛えているその面持ちは幾分か固く、口元も気難しそうに引き結ばれている。  あんな表情、初めて見た。溜まり場に乗り込んできた連中を返り討ちにする時でさえ緩い微笑みを浮かべてるやつなのに。  あの場に俺と同じ二年生の彼がいるということは、恐らく彼が次期風紀委員長なのだろう。今日の式典で風紀委員長は引き継ぎも行うと聞いたからそのために袖で待機しているのだろうと見当をつける。  会長の挨拶を碌々聞きもせずに彼をじっと観察していると、彼がごく自然に視線をこちらに投げた。この席に俺がいることを最初から知っていたかのように。  彼の口が何事かを呟く。  それと同時に割れるような拍手が会場に溢れた。どうやら会長の挨拶が終わったらしい。  拍手にかき消されたはずの声。しかし何を紡いだか、不思議と理解できてしまう。 『赤』  あの表情は、彼──夏目(なつめ)久志(ひさし)が俺を呼ぶ時の顔だ。 「青」  彼を呼ぶ声は声にならずに消えた。

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