37 / 212
2-5
「貫通かぁ、縫合いるね」
普通は骨のとこに当たって止まるもんだけど、と言いながら医師は書類を取り出す。
「これ、フォークね。縦に刺さってるから筋肉の損傷自体は深い割に少ないと思うのね。でも手には神経が集中してるし、貫通してることには変わりない」
言われてみれば指の感覚がなかった。
「という訳で今からここら辺の皮膚を切開して、患部周りの筋繊維と神経の縫合をしなくちゃいけないの。フォークを抜くと血液もたくさん失われるから、輸血も必要になってくる。これがその同意書。よく読んでサインください」
書類には今話されたことと同じ内容が記されていた。右手でサラサラとサインをする。依然左手にはフォークが刺さったままだ。
「ん、ありがとう。じゃあ手術室行こうか」
医師はぴ、と廊下を指差す。歩いて行こうとすると一秀に抱きかかえられる。
「う、わ」
「心配だから大人しく頼ってくれ」
「おー…」
くらりと傾いだ頭を一秀の肩に委ねる。頭の上でくすりと笑う気配がした。
※
そこそこ大掛かりな手術だったが、家にはその日中に帰ることができた。破傷風にかかる恐れがあるから明日もう一度来てくれと言われ帰宅する。包帯とガーゼの下には縫合跡。皮膚を切開したところだ。だいたい一週間くらいで抜糸するらしい。桜楠の保健医に頼んでおくと言ってくれた。
朝慌ただしく出た家は静まり返っていた。母さんは自室にいるのだろうか、姿が見えない。
「た…だいまぁー」
「お帰りなさい、由くん。怪我はどうですか? 痛みますか?」
畠さんが心配そうに近寄ってくる。彼がこの時間に家にいるのは珍しかった。俺の怪我が心配で家に戻ってきてくれたのだろう。申し訳なさを感じる。
「うんまぁ痛むけど、痛み止めもらったから平気」
「手を使わないよう注意してくださいね。もう昼時ですしお腹すいたでしょう、用意してありますからこちらへ」
奥様はもう召し上がられた後です。畠さんはにこりと笑う。時間が被らないように調整してくれたのだろう。
「畠さん。この間テーマパークの話が挙がってたよね? その資料、用意してもらえる? 昼食べたら確認していくつか案をまとめたい」
「承りました。お任せください」
畠さんは一秀に何事かを指示して部屋を出ていく。一秀は頷きテーブルに近づく。
「ほら、由。俺が食べさせてやる。口開けろー」
「……俺、右手使えるから別にいいんだけど」
「父さんによる職務命令だ! 観念しろ」
渋々と口を開け食べ物を受け入れる。今日の昼食はほうれん草のクリームパスタだ。
「……満足かよ」
「勿論。さ、口開けろ」
皿が空になると、一秀はにっこりと口元を緩めた。
「よくできました」
「……ごちそうさま。なぁ一秀、畠さんが言ったって嘘だろ?」
「あ、バレた? そうだよ。俺が甘えさせたかっただけ」
「なんだそれ」
突拍子のない言葉にふは、と吹き出す。髪の毛が大きい手にかき混ぜられる。
「この後仕事するんだろ? 無理はするなよ」
「しないよ」
「どうだかな。お前、そう言って無理するし。自分の限界のラインを見極めるのが下手なんだよな。なまじ出来てしまうだけに性質が悪い」
ポンポンと頭を撫で離れていく手。
「後で部屋におやつ持っていくな」
「……プリンがいい」
「ハイハイ。お前プリン好きだよなぁ」
くすりと笑われ、眉を釣り上げる。
「いいだろ、それに好きなのは俺だけじゃなくて──」
言いかけた言葉を飲み込む。敢えて先を促さない一秀はその言葉の続きをきっと知っている。酸素を求め唇を震わせた俺は、もそりと言葉の続きを紡いだ。
「……円だって、プリン好きだろうが」
「円も相変わらずプリン好きなのか」
変わらねぇ。
一秀はいつも通りの口調を装い相槌を打つ。言葉は思いの外頭の中をざわめかせた。
「……もうそんなこと聞けねぇよ」
もっと単純で簡単なことだったはずだった。複雑で難解なものになりはてたそれはどう扱うのが正解なのだろう。純粋に願うことができなくなっているそれを叶えようとしている俺は、一体何のためにそうしているのか。願いはもはや俺から乖離したものになっていた。
「……聞けるといいな」
一秀の慰めに眉尻が下がる。そうだなとも、聞いてみせるとも言えなかった。
聞いたところで俺はどんな気持ちでその答えを受け止めれば良い? 一番彼の幸せを願っていたのは自分だったという自信がある。そのために生きていたとさえ言い切ることができる。
──なんかイラッときて、つい。
田辺の存在が頭をちらつく。円を守るやつが仮に俺でなくなる時が来るとして。その時俺は一体なんのために生きれば良いのだろう。
「何が正解なんだろうな」
円のことも、俺のことも。眉根を寄せると一秀にゆるりと額を解かれた。
ともだちにシェアしよう!