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 月曜日。神谷の教室に向かう。相も変わらず廊下は俺が通るたびにざわめく。円と間違えているのだ。風紀の腕章や包帯から大抵の人は気付くが、それでも戸惑う人は多い。  俺も早く金に染め直したい。というのも母さんの看病でバタバタしていたので直すタイミングを失ってしまったのだ。学園に染髪剤の一つや二つあるかと思われたが、いくら探せど黒のカラーしかない。それも学生用というよりは教師用の白髪染めタイプばかり。校則は緩いくせにそういうところばかり頑固だ。校則で染髪を許可してるなら購買でも売っててほしい。  はぁ、と溜息を一つ落とす。1-Sはもうすぐそこだった。ざわつく群衆を通り抜け、ガラリと教室後方の扉を開く。 「神谷くんいますかー」 「……ッ? テル! 副委員長がお呼びだぞ!」  テルって呼ばれてるのかとぼんやり思いつつ神谷の登場を待つ。神谷はいつも澄まし顔か怒り顔をしているから、なんとなく渾名で呼ばれているイメージがなかった。ちょっと新鮮だ。 「お待たせしました」 「いや。付き合ってくれてありがとう。行こうか」  少し、言い淀むも言葉を続ける。 「……テルくん?」  失敗した。からかってやるつもりだったのにこれじゃあ俺の方が恥ずかしいじゃないか。頬が火照るのを感じた。神谷の様子をそろりと伺う。  神谷は下を向いていた。俯いたまま深く、深く長い溜息を吐き、顔を上げる。心なしか目が据わっている。お怒りである。 「いや、その、悪かった。からかったのは反省してるが正直俺も思ったより恥ずかしくてダメージ受けてるから勘弁してくれるとその、嬉しいなって……」  怒られる前に先に謝る。できたらこれで許してほしい。ねっ? と拝んでみせると神谷の額のシワはさらに深くなった。なんでだよ。  ジリジリとにじり寄ってくる神谷に冷や汗をかきながら後退する。神谷は何事かぶつぶつと呟きながら俺を壁際に追い詰める。とん、背中に壁が当たった。 「か、神谷~?」  ドン、頭のすぐ横の壁が叩かれる。壁ドンってこういうやつかなぁと現実逃避したくなる程度には重い音がした。ひぇ。 「……流石にアンタが悪いと思うんですよね」 「悪かったって……」  言いつつ半ば俺は諦めていた。一発くらいで許してくれるかなぁ……。神谷が真っ直ぐ俺を見つめる。何かを堪えるように細められた目は、暫く俺を映していたが、やがて溜息と共に離れていった。 「何も分かってないアンタに手を出すほど僕はずるくない」  許可を出すまで下の名前で呼ぶの、やめてください。押し殺した声で言われ、即座に頷く。それで許してくれるならお安い御用だ。 「じゃ、F組行きましょう。くだらないことして時間取りました」  さっさと歩きだす神谷に慌てて付いていく。歩きだすとほぼ同時、ポケットに入れていたスマホが振動した。取りだし電源をつける。見ると、LINEを受信していた。青からだ。 『Fに行くんだろうと思って2-Aに出張ってたのに赤がいない……。 手の怪我が心配だからまだFに付いてないなら待っててくれ』  一緒に送信された犬のスタンプにクスリと笑う。神谷が怪訝そうにこちらを振り返る。 「どうしたんですか」 「青からLINE。Fまで行くなら危ないから送るよって。神谷がいるから大丈夫って送っとくか」  神谷は俺に向かって静止するように手を構えると、考え込む素振りを見せた。 「……いえ。悔しいですけど、夏目先輩にも来てもらった方が安全です。僕一人でFを相手取れるとは思いませんから」 「分かった」  どうやら本当に、俺に暴れさせるつもりはないようだ。これでいざとなったら自分も暴れるつもりだったと明かせば怒られそうである。  待つこと五分。青が登場した。走ってきたのだろうか、息が乱れている。 「待たせた」 「ゆっくり来たらよかったのに」 「ゆっくりしてる間に変なのに絡まれでもしたらどうするんだよ。拳が唸るわ」  唸らすな。 「お。神谷だ。赤の動向に気付いてくれたのか。ありがとう、流石だな」 「……い、え」  大喜びするかと思われた神谷は、意外なことに複雑そうな顔をしている。これの中で何か心境の変化があったのだろう。盲目的に青に憧れていた頃の彼とは明らかに反応が違う。 「では、先輩もいらっしゃったことですし行きましょうか」  話題を逸らした。不思議に思うもそれに乗る。触れられたくないものにわざわざ突っ込むこともない。  教室には順調に着いた。というのも廊下にいる人数が明らかに前回より少なかったのだ。前回を思い起こせば、2-Fの生徒は比較的教室にいる人数が多かった。廊下ではあれほど多くの不良に絡まれたというのに不自然な話だ。  あの日はもしかしたら俺がFを訪れるという話が漏れていたのかもしれない。否、あの不良たちの反応から見るに、訪れるのが俺だとは分かっていなかったように思える。なんにせよ、奴に話を聞いてみる必要はあるだろう。  ガラリ、無遠慮に2-Fの教室のドアを開ける。視線がこちらに集中した。

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