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3-4
牧田は興味深そうに自身の下唇を軽く揉む。
「1-Fと3-Fに伝令。今から北校舎に新聞部員が来る。恐らく新聞部という腕章を付けている。そいつには手を出さないように。出したら風紀が噛みついてくるそうだ」
長い指をうっそりと傾け、牧田は言葉を足す。
「お前。そう、そこの坊主頭。お前、新聞部員迎えにいってきな」
坊主頭は不満げに頭を一撫でし、了承する。「坊主頭……」と小声で呟いていたところを見るに、スキンヘッドと言ってほしかったようである。細かいが本人にとっては大事なことなのだろう。分かる気がする。
坊……スキンヘッドが教室から出ていくのを見届け、牧田は俺に視線を流す。
「で? なんでそう思ったか聞いてもいい?」
「今ので認めたようなものだろ」
「そう、認めた。だから、そう思った理由を聞いてる。足掻くためじゃなく、ただの興味本位で」
認めた今になって言うことではないと思えばそういうことか。お願いを聞いてもらった以上、こちらも答えねばなるまい。不満げな顔をする神谷を押し止め、説明をする。
「……この前F組に来た時、2-Fだけ教室に人が多かった。他の学年のFは出歩いてる人も多かったっていうのに」
「……」
ちらりと反応を確認すると、牧田はどうぞというように手を傾け話を促す。
「俺がここに来ることを知っていたのは二村。二村が話すとしたら気心が知れてそうなお前だと思った。何より、」
見た瞬間にすぐに分かった。油断ならない空気感。笑っている時でさえ、足元は次の動作のために構えている。
「北校舎ではお前が一番強い」
牧田はニヤリと犬歯を覗かせた。唸るように低く笑い、顔にかかった前髪を手櫛で後ろに流す。
「あったりぃ」
嘲るように言い、目元を緩める。
「でもさぁ、椎名くん? それじゃあ俺がFのトップであることの証明にはならないよねぇ。現に他のFは出歩いてたみたいだしぃ?」
「あの時も俺は今日みたいに風紀の腕章をつけていたんだが。余りにもそれに気付くものが少なすぎた。生徒会が来ると情報が流れていれば別だが、あそこまで盲目的に俺を円と誤認するのは不自然だ。現に今日は腕章に気づいたようだったし」
髪色も黒である今日の方が間違えられそうなのにも関わらず、だ。
「2-Fだけが他のFと動きが違った。この騒動の中心がFのトップであるという証拠だ」
だからお前だと思った。論を重ねる俺に、牧田は気のない口調で相槌を打つ。
「大正解。椎名くんは多少生徒会よりマシらしいねぃ」
「円のことか」
あいつ矢鱈F組に嫌われてんなぁ。一度橙に原因を調べてもらった方がいいかもしれない。
「まぁ、菖ちゃんが信頼してる男だし。多少こちらも信用しようか」
不意に牧田が教室のドアを見る。ガラリ、と扉が開く。
「連れてきました!」
大津が到着したようだ。気持ちを入れ替え、表情を取り繕う。
「やぁ大津くん。来てくれてありがとう」
教科書を睨みつけていた二村がギョッとした顔で俺を見やる。大津は首から下げていたカメラを軽く持ち上げ、俺に見せる。
「持ってきましたよ」
「ありがとう。じゃあ、やろうか」
青は自分に降りかかる災厄を思い出し、身を縮める。
「さ、夏目。ウインクだっけ? してくれるんだよな?」
青の頬がひくりと動く。事態の概要が察せてきたらしい。俺が大津に持ちかけた話はこうだ。
『夏目がウインクした写真、二人で売りさばいて一儲けしようぜ』
別に金には困ってない。欲しい物も特にないから、今ある分で十分足りてる。ただ、やったら楽しそうだと思っただけだ。青のおかしな冗談を返り討ちにしたかったというのもある。神谷と二村が呆れた顔をして俺を見ているが無視に限る。
「さ、夏目。売れそうなポーズ決めてくれ。あ、大津くんが小道具持ってきてくれたからそれ持つか?」
「なんでそんな物あるんだよ……」
「? お前、新聞部の部費、どこから発生してると思ってるんだ?」
「まさか、これ売った金であの号外やらは刷られていたのか……」
青が愕然とした顔で遠くを見つめる。知らなかったのか。橙から伝えられているかと思ったんだが。なんでも、俺が円と新聞部の部室で対談をすると知り、新聞部の調査をしたらしい。
すると新聞部には使い道の分からない小道具が多くあると判明。生徒会に探りを入れたところ、新聞部は毎年人気のある生徒のブロマイドを販売しており、その売り上げが部費に使われているのだとか。
生徒会も、新聞部の部費のほとんどが正規に学園から支給されていないお金によるものであることは当然ながら把握している。しかし、ブロマイドの売り上げに代わる金を支給できるかといえばそうではなく。黙認しているのが現状であるらしい。
青のブロマイドは出回ってないところを見るに、風紀には取り締まられかねないから遠慮しているのではないかというのが橙の考えだ。だから赤も大丈夫だとは思うけど、一応気をつけてね、とも言っていた。
まぁブロマイドはそんなに大っぴらに売られていないようであるから、青が知らないのも無理はない。
「流石に風紀に手を出すとマズイかな~と遠慮していたんですが! まさかこんな機会をいただけるとは! ありがとうございます、張り切って撮らせていただきます!」
大津は浮かれ気味に準備を進めていく。簡易の撮影セットをテキパキと組み立て、あっという間に照明まで用意してしまった。F組に。新歓で見た時はもう少し大人しそうに見えたんだが。
我を忘れているのか、電話で怖いと称していたはずの相手に向かって、邪魔だから端に寄れだのなんだのと言ってる。大津はどうやら夢中になると我が道を行くタイプであるらしい。
F組の面々はそんな大津に戸惑いつつも、特に暴力を振るうことなく作業を大人しく見守っている。珍しい光景に興味が引かれているのだろう。神谷は呆れ果てたのか教室の窓際で本を読んでいた。申し訳ない。
「さっ、委員長! 始めましょうか!」
「え、嫌だ……」
「金蔓委員長、覚悟を決めなよぉ」
牧田が野次を飛ばす。金蔓委員長とは言い得て妙だ。
「……よし」
青は呟き、ぎゅっと両目を瞑る。気合いを入れているのだろうか。……しかし、それはこちらが想定したよりも長かった。どれだけ気合い入れてるんだよ。もう一気にドバッと入れろよ。ドバッと。俺たちの間に困惑が広がる。青がそろり、窺うように目を開けた。
「もう撮れたか?」
「まさかあれ、ウインクのつもりか?」
「え? ああ、そうだけど」
できねぇのかよ。
内心呆れる。なんでできないのにやるって言っちゃったんだよ。そうだよな、冗談だったんだもんな! なんかごめんな!
心の中で謝罪する俺の心に構うことなく、牧田は吹き出し笑いだす。
「全然できてねーじゃんっ! もっかいやって、もっかい!」
こうか? と言いもう一度両目を瞑る青に、牧田はヒーヒーと息を切らし笑う。俺は青の顔をスマホで撮影し、宮野へ送りつける。今頃怒っているであろう宮野へのせめてもの詫びになればいいのだが。また、どうせ自慢だとかなんだとか邪推されるんだろうなぁ……。心底めんどくさい。ああも噛みつかれてばかりだと、こちらも多少は疲れるというものだ。案の定、すぐに既読を付けた彼はぎゃーぎゃーと何やら喚いている。相手にするの面倒だから猫のスタンプでも送っておこう。宮野からくるLINEの通知をオフにし、ポケットに仕舞う。撮影会は順調に進んでいた。
「ウインクは諦めましょう! はい、そこに立って! ボタンを一個外してください。はいそうです! 体をあちらへ向けて、視線だけこっちの下の方へ!」
青の髪型はいつの間にやらオールバックになっている。大津が持ってきたのだろう。準備のいいことで。
「はい、じゃあ次はカメラの方をじっと見つめてください! こう、力強く!」
青の目がカメラを見据える。さながら獲物を捕らえるかのような視線に、大津は興奮気味にシャッターを切る。ふと、青の目が大津君の隣にいた俺を捉える。瞬間、青の目の鋭さは瓦解し、ふわりと微笑みを湛える。大津が「あっ」と小さい声を上げ、カメラを構える。
「だめだ」
止めた声は無意識だった。俺が大津の撮影を止めるとは、青も、大津も、牧田も、神谷も、二村も、そして俺自身でさえ予想していなかった。それでも、なんだか無性に。
「……これは、だめだ」
他の人にくれてやるのは惜しいと思ったのだ。
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