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やんやと騒ぐメンバーに首を傾げながら工房へと向かい完成した和紙を受け取る。和紙は自分で作ったということもあってか手作りならではの趣があった。
満足した俺たちは、お土産を買い、一クラス一台の貸切バスで学園へと帰る。着く頃にはすっかり日が暮れていて、疲れ切った俺と三浦は風呂も入らず就寝してしまった。
遠足も終わり、週末。俺は役員用の特別階にある江坂の部屋の前にいた。インターホンを押すとバタバタと駆け寄る足音が聞こえる。
「勘弁してください……!」
「江坂……っ?」
「あっれ、副くん?」
開かれることなく懇願されたことに戸惑う。俺だと気付くと江坂は強張った声を和らげドアを開ける。
「新歓の時に借りた傘を遅くなったけど返しにきた。これ、ありがとう、助かった。遠足でお土産買ったんだけど、ちょっとしたお菓子だから口寂しいときとかに食べて」
お土産には遠足で作った和紙を一筆箋として付けている。江坂はきょとんと無邪気な表情をした後、微笑んだ。
「ありがとう。……折角の茶菓子だから、副くんも一緒に食べよう。お茶淹れるよ」
冗談じゃなく、と付け加える江坂の言葉に甘えることにした俺は、お邪魔しますと断り部屋に上がらせてもらう。
「……ごめんね副くん。僕は効かないと分かってても回避する道が欲しいんだ」
「、え? なに?」
どういう意味、と訊こうとする俺を制し、江坂はポットに火をかける。出鼻をくじかれた俺はリビングで大人しく待つことにした。
「お待たせー。高級茶だからありがたーく飲んでよねっ! まぁ嘘だけど」
江坂が持ってきたカップは三つ。首を傾げる俺に、江坂は弱々しく微笑む。
「直に分かるよ。僕としてはそんな未来が来ないことを強く祈ってるけど」
溜息をつき俺から目を逸らした江坂は哀愁が漂っていて、深く突っ込むことは躊躇われた。すごく不穏だが気にしない方向で行こう。すごく不穏だが。
「……僕さ、副くんに聞きたいことがあるんだよねぇ」
江坂は気怠げに頬杖をつく。
「この前の体育からかいちょーの元気がないんだけど。副くんと何かあった?」
円が? 思い当たる節のなさに眉を寄せる。
「いや? 何もない、はずだけど」
「そう、……なら、いいや。うん、よかったよ」
茶化すでもなく真剣に話す江坂に、Coloredの面々を思い出す。仲間意識が強く働いている時の彼らの目と、今の江坂の目はよく似ていた。どこか鋭さを帯びたその目に軽く微笑むと、江坂は息を呑み、掴みかかるように俺の手を取った。どうした、と問おうとした声は予想外の人物によってかき消される。
「あっら、お邪魔だった?」
「ッ!? 日置……ッ?! なんでっ、鍵は閉めて……っ!」
リビングの扉に悠々ともたれかかる日置に江坂が毛を逆立てる。日置は江坂の反応を気にする様子もなく胸ポケットから学生証を取り出した。見せびらかすかのように学生証を指先で弄び、日置は笑う。
「合鍵設定にしちゃったんだよね」
「ヒィ……ッ!?」
江坂は引きつった声を出し俺の背中に隠れる。やめろよ人を盾にするの。
「──で、今日はこの本です。椎名くんもいることだし、江坂と一緒に演じてもらうね」
楽しげに本を取り出す日置。表紙に裸体の男が描かれているのを確認した俺は、内心げっそりとしながら紅茶を啜った。
「あ、いいな。椎名くん、俺にも淹れて」
軽く頷き紅茶を淹れる。なるほど、カップが三つあるわけだ。江坂め、日置が来ることを知ってて巻き込みやがったな。江坂にじとりと視線を送る。
大方、俺の存在で日置が自重することを期待したのだろう。端から望み薄だったようだが。
居た堪れないとでも言いたげに目を逸らし、ごめんねと言う江坂にデコピンをする。これで許す。江坂は意図を汲み取ったのか、へにゃりと眉を下げた。
「椎名くんの役はぁ~、攻めでいいかな。江坂は受けね。ここの場面よろしく」
いや、攻めとか言われても分からんが。長谷川や日置が男同士の恋愛ごとに興奮している姿はよく見るから、そういうものだと理解はしている。してはいるが、専門用語を出されてもピンと来ない。訊くと日置は、この漫画では金髪の男のことだと答えた。ふぅん。
日置に指示された場面を読む。金髪が黒髪に何やら言い募っていた。
「これ、どこまでやればいいの?」
「えっ、副くんやるの?!」
「時間あるし。割と暇だから別にやってもいいよ」
「椎名くん最高。連絡先交換しよう。また呼ぶわ」
「地獄かよ……!」
喜びながらスマホを取り出す日置と、フローリングに拳を叩きつけ男泣きする江坂。酷い絵面だ。
「やっった、今なら全人類に優しくできる気がする」
「よかったね日置。それじゃあ、僕は終わるまでこの部屋を出ていってもいいかな?」
「何言ってんの江坂。さっさとこの場面演じてよ」
「僕にも優しくしろよ!!」
「あ、今のセリフいいね。ベッドシーンで言ってくれる?」
何を言っても無駄だと諦めたのか、江坂はノロノロと漫画を確認する。ヤる直前まで演じてね、という日置の指示に半泣きになりつつ江坂は配置についた。今まで散々とやり込められていたのだろう。諦めの色が強い。目を閉じ、演じる役を反芻する。
俺が演じるタイヨウは、幼馴染のフウタを想っていた。幼い頃の約束を果たすため、タイヨウはフウタを密かに甘やかす。そんなタイヨウの優しさを知らないフウタは、着々と交友関係を広げタイヨウの元から離れていこうとして──…という内容だ。
聞いたことのある話だと自嘲する。日置が全てを知っていてこれを選んだのではないかと疑いそうなほどによくできている。
「よーい、アクション!」
パン、と手を叩く音に目を開ける。そこにいるのはタイヨウとフウタ、ただ二人。
ゆらり、近寄る“俺”にフウタは不安げな顔をする。
『……フウタ。俺から離れるの? フウタは俺の片割れなのに』
「ふ、副くん……っ?」
『…ん、どうしたの』
追い詰めるように壁に手をつきフウタを囲う。不安げに瞳を揺らすフウタにクスリと笑い、目の下を撫でる。フウタは撫でつける指の暖かさに媚びるように目を閉じた。眦に軽くキスを落とすと、片割れは体温を上げる。責めるように見つめる彼に微笑むと、拗ねた片割れは目を逸らした。
片割れの、片割れだったはずの彼の声が聞こえなくなったのはいつからだっただろう。喋るたびに言葉が重なり、笑い合う。そんな当たり前が失われ始めたのは。
『……タイヨウ、寂しいの?』
タイヨウに向けたはずのセリフが、俺自身に向けられたかのように思えて、密かに息を呑む。問うたのがフウタなのか、江坂なのか俺には分からないけど。どのみち、答えは一つしかない。
「……さみしいよ」
自然と溢れた言葉に、江坂は目を見開く。
『だからさ、フウタ。慰めてよ』
指先で腰骨を撫でながら手を後ろに回す。覆いかぶさるように首筋に顔を埋めるとフウタは息を漏らし、力なく壁にもたれかかった。
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