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江坂内海side
「げ……」
受信したLINEに顔を引きつらせる。日置からの連絡はいつだって碌でもない。不幸の手紙の方が回避の方法がある分まだかわいげがあるというものだ。新しい漫画を手に入れたからアフレコしてもらうよ。何度読み返しても変わることのない無慈悲な通知に、僕はアプリを閉じた。
逃げようがない。経験から理解はしているが頭は逃げる手段を探している。どうにか、どうにかして日置から逃げる方法は……。
ぴんぽーん。
憂鬱な気持ちとは裏腹にインターホンの明るい音が来客の存在を告げる。ぐるぐると渦巻く思考を遮る音に内心パニックになる。
えっ、日置……ッ!? 来るの早くないか……ッ!!?
来客が誰かを考えるよりも先に体は条件反射のようにドアへ駆け寄り、見えるはずもない土下座する。スライディングしながら土下座へと移行する様はなかなかきまっていたと思う。情けないことこの上ないが。
「勘弁してください……!」
「江坂……っ?」
「あれ、副くん?」
日置でない声に一気に安堵する。ドアを開けると、困惑した表情の副くんが。本当に日置ではなかったようだ。ふむ。副くんには悪いが巻き添えになってもらおうか。第三者がいるともしかしたら日置も踏みとどまってくれるかもしれない。まぁ、そんなので躊躇する日置なんて誰かのなりすまし以外ありえないだろうけど。
企みを内心に秘めながら、副くんを部屋に招き入れた。
*
「よーい、アクション!」
手を叩く音一つで副くんは変貌する。存在ごと作り変えるような、変化は不気味ささえ感じさせた。ゆらり、近寄る『タイヨウ』に恐れを感じつつ、内心で嘘つきと吐き捨てる。
嘘は分かりやすくあるべきだ。自他ともに認める嘘つきとして僕はそう思う。中途半端な嘘は他人を惑わせる。誰も騙されない、そんな嘘を吐く。それが僕のポリシーだ。
副くんは嘘つきだ。彼がどういった嘘を吐いているかなんて知り得ることではないが、同じ嘘つきとして感じるものはある。ただ、同類かと問われるとそうも言えない。副くんの嘘は酷く分かりづらい。本人さえも騙そうとしているかのような分かりにくさ。それは僕のポリシーと相反するものだ。今、この瞬間彼が演じること。それさえ副くんの嘘の一環であるように思える。それほどに今の彼は『タイヨウ』以外の何物でもなかった。まるで自分自身でさえ己が『タイヨウ』だと信じているような。そんな危うさ。
フウタを演じながら彼の様子を伺う。寂しいの? 声は自然と漏れた。
「……さみしいよ」
幼い声に、目を見開く。意図せずして彼の本心に触れた。そんな感覚があった。刹那、全ては塗り替えられる。
「だからさ、フウタ。慰めてよ」
腰骨をぞわりと快感が上り詰める。覆いかぶさるように首筋に顔を埋められる。まるで捕食されるみたいだ。やめろ。副くんを止めようと開いた口は、言葉を紡ぐことなく熱い息を漏らす。撥ね付けようとした手は副くんに縋りつくかのように弱々しい。不思議と体からは力が抜ける。体を壁に預けうなだれた。
「はい、そこまでっ!」
パンパンと手を打つ音にハッと意識が浮上する。副くんもそうだったのか途端に『タイヨウ』は椎名由に戻る。
「っあ、ごめん江坂」
「いんやぁ……? 気にしてないよ」
嘘だけど。付け加えることなく内心で呟く。まだ息が整いそうにはなかった。
「に、しても椎名くんはとてもいいね……ッ、さいっこう。ありがとう」
それは大興奮している日置も同じようだが。なんか嫌だな……。
「あ、あぁ……お役に立てたならよかったよ」
副くんも少し引いている。
「お、俺はそろそろ行こうかな。他の人にもお土産を渡しに行かないといけないから。江坂、傘ありがとう。返すの遅れてごめんな」
腰を浮かし立ち上がる副くん。いやちょっと待って。僕を置いていかないで頼むから。
「副くん、お茶のお替り欲しかったりしない?」
「……お邪魔しました。ごゆっくり」
なんてことだ。
副くんは苦笑し部屋を出ていく。日置は機嫌よさそうに副くんの背中を見送った。手元に積まれた漫画が恐ろしい。
机に目線を落とし項垂れる。先ほど手渡された遠足のお土産が目に留まった。一筆箋には「傘、ありがとう」の一言。一筆箋には、カンパニュラの花。カンパニュラの花言葉は、感謝。
なんというか、なぁ……。
仕方ないな。溜息を噛み殺し、微苦笑する。
「副くん、お土産ありがとう」
逃がしてやるのは今回だけなんだからね。カンパニュラの花は、まだほんのりと香りを宿していた。
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