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 江坂の部屋を出た俺は、寮長、真壁がいるであろう寮の管理人室へと向かった。小窓から中を覗くも、相変わらず中は暗い。  中でDVDでも見てるんだろうな、と思った俺はコンコンコン、と控えめにドアをノックする。田辺のようにドアを蹴り飛ばしたら早いのだろうがそれは流石に忍びない。しかし真壁は一向に出る気配がない。仕方なく『ぶんぶんぶん』の曲のリズムでドアをノックしはじめる。いずれ気づくだろう。曲がそろそろ終わるかという時、中から「シャラァァァァ───ップ!」という声が飛んでくる。  ガチャリ、というよりガジャンッといった方が適切に思えるような乱暴さを伴いドアは開いた。 「うるさいんじゃ! なんやねん! ゴンゴンゴンゴンと!」 「ぶんぶんぶんの曲だったんだけど」 「分かるかっ! リズムずれとるやないか! 音楽下手くそくんか!」 「や、椎名くんです」 「こりゃどうもご丁寧にぃ。真壁(つづる)ですぅ、ってアホか!」  一通りじゃれ終わると真壁は「やっぱM1目指そや、なぁ」と流し目をしてくる。結構です。 「で? コンビ組みに来たんちゃうなら何か用事があるんやろ? とりあえず吉本のDVD貸そか?」 「いらん。DVDじゃなくて配達伝票くれ」  探すわぁ、と言い部屋に引っ込んだ真壁につられるように部屋を覗く。見終わったDVDが床に平積みされている。塔が部屋の隙間を埋めるように建っている景色は圧巻というべきか、汚いというべきか。うん、汚いな。 「はい、あったで。これと一緒に荷物を事務に出したらええから」 「お、分かった。さんきゅ」 「ええんよ。未来の相方のためやもん」 「組まねぇって……」  いけず、とシナを作りながら絡ませてきた腕を振り払うと、真壁はよよよと泣き真似をはじめる。それに構わずもらった伝票を指で挟み背を向ける。 「じゃ、伝票ありがとな!」 「もうちょい人のギャグに反応しようや、相方」  だから相方じゃねぇって。  事務に伝票を提出し配達を頼んだ俺は、自室で電話を掛ける。プルルル、というコール音の後、はいという声が聞こえる。 「一秀?」 「由か」  一秀は緊張しているのかいつもより声が硬い。ほんの少し、疲労も滲んでいた。いつも余裕ありげな空気を醸し出している一秀にしては珍しい。タイミングが悪かったか、と臍を噛む。 「あ、悪い。今立て込んでたか?」 「いや、大丈夫だ。どうした?」 「さっきお土産を家に送ったんだ」  お土産? と尋ねる声に、遠足のね、と答える。送ったのは、施設で買った菓子折りと自分の作った和紙四枚だ。 「和紙を作ったんだ。畠さんと、一秀と、修二。それから、母さんの分」  一秀の息を呑む音が聞こえた。奥様に、と掠れた声が呟いた。その声に頷く。見えるはずもないが。 「花言葉を、考えて作った。母さんのは、ハルジオン。……渡して、くれるか」 「……っ、ああ、必ず。必ず、渡しておくよ」  ハルジオンの花言葉は、追想の愛。まだ俺を俺として見てくれていた頃の母さんに向けた、懐かしくも切ない、そんな。 「由。奥様は、心を休めるために田舎に療養しに行くことになった。夏休み、由と奥様が会うことはない」  安心して帰っておいで。一秀の声は相変わらず緊張していた。その理由が分からず、俺は困惑する。何かが、いつもと違う。  一秀は強張った声で、は、と息を漏らす。 「由。悪い。そろそろ電話切るぞ」 「あ、ああ。忙しいのにごめんな」  焦ったような声に謝罪する。電話の向こうで息を詰める気配がした。 「……いや、俺こそごめんな」  すぐに電話を切らねばならないことについての謝罪であるはずだ。そうであるはずなのに、一秀の声はひどく強張っていて。何か他のことについて謝っているようにしか聞こえなかった。やはり、おかしい。 「由──、」  迷ったように頼りなく震えた言葉尻。思わず「かずにぃ」と懐かしい呼称で呼ぶ。一秀は、暫く黙った後、ふ、と息を吐いた。肩の力を抜いたのだろうか。気配が先ほどよりも柔らかい。 「お土産、ありがとな」 「どう、いたしまして」  一秀は、何も教えてはくれなかった。  切れた電話を床に置く。自分のお守りとして作った和紙を手元に引き寄せる。入れた花は、ヒぺリカムとカモミール。  ヒぺリカム。……悲しみは続かない。  カモミール。……逆境に耐える。逆境に耐える力。  和紙にそっと口付ける。どうか力を分けてください。和紙からは、リンゴのような甘い匂いに混じり、ほんの少しカレーのような匂いがする。  食べ物ばっかりだな、と苦笑し鼻を離す。ロケットペンダントに和紙を入れ、ネックレスとして首にかける。不審な態度の一秀。何かが起こると予感がする。俺の波立つ胸を宥めるように、ロケットペンダントはきらりと光った。

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