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 目が覚めた。太陽の日差しが淡く保健室に滲んでいる。簡易ベッドを俺のベッドの横に出し眠っている南部先生に気づき、申し訳なくなる。先生は俺の身じろぎする音でも聞こえたのか、小さく唸り目を覚ます。 「椎名、具合はどうだ。……ん、微熱、かな」  一応測ってくれ、と手渡された体温計を脇に挟む。ぴぴ、という音と共にはじき出されたのは先生の診断よろしく微熱だった。 「吐き気とか、眩暈は? 体育祭はどうする?」 「大丈夫です。出ます」  心配そうに言う先生に微笑む。ここ数年感じたことがないほど気分が良かった。今日ならなんでもできそうな、そんな解放感。枷が取れたようだった。先生も俺の顔色が良いことに気付いたのか、無理はするなよと注意するに留める。 「先生。俺、徒競走で一位取ります」  にっと笑う。 「見ててね」  先生は呆気にとられたような表情をし、固まる。そして不意に笑いだした。 「そりゃ、いい。写真でも撮っといてやろうか? 去年買って使わないままだったカメラがあるんだ」 「撮ってくれるの?」 「ああ。どっからがいい? 横? それともゴールテープの方か?」  ニヤニヤと楽し気に言う先生に、へにゃ、と顔を緩める。 「ゴールがいいな。父さんが昔そこでカメラ構えてたから」 「そっか。任せろ。今からカメラの使い方マスターするから」 「へへ、よろしく」  なんだか楽しくて、嬉しくて、どうしようもない。まるで昔の自分に戻ったような、そんな錯覚。ふわふわして、泣きそうなほど幸せな気分だった。微熱のせいだろうか。熱に侵されたような、溶けた思考の甘さに目を細める。忘れたくても、忘れられない。そんな夢のような昔をもう一度。 「さ、応援団の衣装に着替えて風紀室に行かなきゃ。打ち合わせがあるんだ」 「おー、気を付けてな。朝飯ちゃんと食うんだぞー!」 「はーい!」  ドアを閉める寸前、振り返る。不思議そうな先生に、緊張する自分を自覚しながら言う。 「……いってきます」 「いってらっしゃい」  勝気な瞳を優しく細め、先生は応える。ただそれだけなのに馬鹿みたいに嬉しくて。いってきますともう一度言えば、先生は困ったように手を振ってくれた。  寮に帰り、衣装に着替える。裾の長い黒の学ランに、応援団の腕章。結んでもなお腰まで余る臙脂色のハチマキをつける。ポケットには、ロケットペンダントと風紀の腕章をねじりこむ。部屋を出ようとしたその時、貰い手のいない和紙の存在を思い出す。一番大切だと思う人に贈れと花井に言われた一枚だ。それが無性に母さんからの言葉のように思われて、一緒にポケットにしまい込む。 「……よし。頑張ろう」  寮を後にし、風紀室に向かう。途中、校内のコンビニで朝食用のゼリー飲料と昼食を買う。ゼリー飲料を食べ終わる頃、丁度風紀室にたどり着いた。 「おはよーございます」 「あっ、おはようございます、副委員長!」 「おはようございます、先輩」  口々に挨拶を返してくれる委員たちに、へらりと笑う。ホワイトボードに今日のプログラムを書いていた青に「おはよう」と言えば、青は「おはよう」と優しく笑んだ。 「機嫌がいいな。何かいいことあったか?」 「うん、ちょっとね」 「そうか。よかったな」  うん、よかった。  返すと、青は眩しそうに目を細める。嬉しそうな青の様子に、そうだ、と思い出す。 「そうだ、言い忘れてた。俺、今日熱あるから」 「ハァッ!!? 寝てた方がいいんじゃないか?!」 「大丈夫ー。微熱だし、すごく今気分いいし」  ご機嫌なのだ。んふふ、と笑うと青は微妙そうな顔でこちらを見る。 「酔ってる?」 「酔ってねぇわ。失礼だな」  気持ちは分かるが。 「んー…、どことなく心配だから、体育祭中の巡回、一年とシフト組んでるとこ、俺とのシフトに変更な」 「りょうかーい」  軽く返すと、青は苦笑しながら俺の頭を撫でる。くそう、こいつ俺より身長が高いからって調子づきやがって。でもいいのだ。今日の俺はご機嫌だからな! 許す! ほら、と頭を差しだすと青は額に皺を刻む。 「……赤。絶対一緒に回ろうな」 「ん? おー」 「前熱があった時は割と普通だったのに今回なんでこんなに酔ってるんだ……」 「ゼリー飲料飲んだからかな」 「ゼリー飲料では酔わねぇだろう……」  じゃ、あれだ。幸せ酔いだ。多分、というか十中八九今の俺は浮かれてる。微熱のせいでそれに歯止めが効いていないのだ。困ったなぁ、と思いつつそこまで困っていない自分がいるのも事実だった。  青がホワイトボードに貼ってあるシフト表を書き換えると、部屋の隅から鋭い視線が飛んできた。宮野かな、と予想しつつ見ると、案の定だ。もしかして、とシフト表を確認する。あぁ、やはりシフト変更前は彼と青が一緒に巡回するはずだったらしい。それを俺のせいで書き替えられたから怒っているのか。申し訳ない。申し訳ないがここで謝るとより彼が怒るのは予想にたやすく。どうしようもないなぁと笑うと、宮野の視線は鋭さを増した。どうしろってんだよ。

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