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 体育祭はつつがなく進んだ。午後、昼食を食べた後、風紀の巡回に入る。校舎内は立入禁止だが立ち入る奴というのはどうしてもいる。 「青、あそこ」 「ああ」  北校舎の裏で、かすかな声が聞こえる。青に合図を送ると、浅く頷かれる。挟み撃ちである。青が向かいに回ったのを確認し、俺は堂々と声を掛ける。 「何してんだ?」 「っ、風紀か……ッ!」 「いいとこだってのに邪魔してんじゃねぇよ……ッ!!」  襲われていた子の方を確認する。ぐったりと力なく壁にもたれかかっている。残滓で汚れた姿に、顔を顰める。どうやら間に合わなかったようだ。  男が立ち上がる前に肩を蹴り上げる。後ろに反った上体に、更に蹴りを叩きこむ。あ、やべ。顔蹴っちゃった。鼻血の出た男にそう思う。こんなバレる場所蹴ったらまずいかなぁ。思うも、回り込んだ後ろからげしげしと男を踏みつける青に開き直る。やっぱ強姦するやつに手加減は不要だよな!!  男を皆転がし、被害者生徒に近寄る。小柄な生徒は、近寄る俺に怯え縮こまる。 「ごめん。守れなくて、ごめんな」  応援団の衣装を脱ぎ、生徒に被せる。顔まで衣装を引き寄せた生徒は、強張っていた顔を和らげ、泣きだす。しゃがみ込み視線を合わせた俺は、謝りながら生徒の顔を拭う。いつまでもこんな汚れた姿のままなんてかわいそうだ。 「しい、汚れます、やめ、」 「いいんだよ。そんなこと気にしなくて」  辛かったな。頭を撫でると、生徒は俺の体操着にしがみつく。震えるその肩に、フツフツと怒りが込み上げる。一人でも、こんな生徒が減ればいい。青が風紀の応援を呼ぶ。俺たちはこのまま見回りを続けなくてはならないから、手の空いている生徒が必要だった。どれくらいで来るかを尋ねようとしゃがみ込んだまま青を見上げる。目の合った青は、慰めるように俺の頭を優しく撫でた。なんだよ。泣いてるのはこいつだろうが。思うのに、なんだか泣きそうな、そんな感覚が胸を占める。ごめんな、傷付いてるのは、君なのに。  応援に生徒を引き取ってもらった俺たちの元に、二人の人影が現れる。馴染みのある人影は、俺たちの姿に「あ」と声を上げた。 「や~あ、風紀の方々ぁ。巡回中ですかぃ」 「……ちス」  牧田と二村だ。立入禁止なんだがと苦言を呈す俺に、牧田は悪びれることなく「一服しにねィ」と答える。規則違反だし法律違反だ。ため息を吐きタバコを没収する。 「そういえば二村は吸ってるとこ見たことないな。吸わないのか?」 「吸わねぇよ」 「菖ちゃんは禁煙中なんだよねぃ。棒付きキャンディで誤魔化してんの。ねー?」 「菖ちゃんて言うな殺すぞ」  唸りながら威嚇する二村に、そういえば初めて会った時も何かを口に含んでいたなと思い出す。あれ、棒付きキャンディだったのか。 「ん? あれ、こいつFのやつだねぃ」  地面に転がったままの強姦魔を見た牧田が言う。 「三年のゴミじゃん?」 「名前は?」 「知らねー」  流石にそこまでは知らないか。 「おい、二村。こいつら、尋問するから明日風紀に連れてこい」 「分かった」  強姦魔はまだ目を覚ます気配がない。少しやりすぎたかもしれない。 「そういえば二人はなんの競技に出るんだ?」 「俺は玉入れと障害物競走~。菖ちゃんはねぇ~、」 「お゛いッ、言うな!」 「い~じゃん。菖ちゃんは仮装リレーと借り物競争なんだよねぃ」 「ごらッ、言うんじゃねぇっつってんだろうが!」  じゃれる二人に、クスリと微笑む。二村は何の仮装が当たるんだろう。頑張れよ、と言うと小さい声でおうと返ってくる。 「あれぇ、さっきまで俺は出ねぇとかサボるとか言ってたのに出るんだ?」 「るっせぇ! テメェだって言ってただろうが!」 「言ってません~。俺はいい子なのでまじめに出るつもりでしたぁ~」 「きったねぇ!」  やいのやいのと騒いでいた牧田は、はたと何かに気づいたように俺を見て黙り込む。 「椎名は、」 「ああ、俺はもう徒競走だけだな。あとちょっとで出番だ」 「桜楠と同じレースって、」  苛立たし気に目を眇める牧田に、心配しているのだと気付く。ニヤッと笑うと、牧田は毒気を抜かれたのか目を丸めこちらを見返す。 「本気で走って一位取るから。見とけよ」 「勝てないんじゃ、なかったっけぃ?」  ふるり、牧田の瞼が心細げに震える。勝つよ、と返すとその震えはいっそうひどくなった。なんでお前が不安そうな顔するんだ。  苦笑い、応援団の衣装からズボンのポケットに入れ替えたばかりのロケットペンダントを取り出す。 「ほらよ」 「? なに、これ」 「お守り」  中に俺が作った和紙が入ってんの。 「ヒぺリカムと、カモミール。花言葉は、きらめき、悲しみは続かない、逆境で生まれる力」  黙って一位取るとこ見てろ。言うと牧田はくしゃりと顔を顰める。これ以上言うことはないと、青を誘い次の巡回場所に向かう。強姦魔は、どうせ明日呼び出すしあのままでいいだろう。  あと三十分で、徒競走が始まる。時間を確認する俺に、青が不満そうに声を掛ける。 「赤ぁ。なにあれ。牧田にだけお守りとかずっりぃ。俺も欲しいんですけど~」 「はぁ? 何もずりぃことないだろ……」  言いつつ、ポケットにもう一枚和紙を入れていたことを思い出す。これもお守りのつもりだったけど、まぁいいか。今の俺には必要ない。 「……ん。エキザカムの和紙だ。やる」  喜ぶかと思われた青は、予想に反して沈黙を返す。 「なんだ、要らねぇのか」 「いや! いる! いるけど! ……赤、」  これも花言葉とか考えてるのか?  戸惑った口調で問われたそれに、ああと返す。瞬間、青の首が、赤く染まる。 「なん、だこれ……」  頬を押さえながら困惑した風の青に、何がと問う。青は首を傾げながら「何か変だ」と呟いた。

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