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わしゃ。髪をかき混ぜられたことに驚いて目を覚ます。跳ね起き後ろに身を引くと、頭を何かにぶつける。痛い。声もなく呻いていると、横から苦笑する気配がした。
「おはよ、赤。いや、おそよう?」
「……、おそ、よう?」
戸惑う気持ちそのままに見つめると、青は困ったように目覚まし時計を差し出してくる。時刻は十二時二十分。ちょうど昼休みである。
「……青?」
「ん?」
「遅刻してないか?」
「してる」
怒った? と聞く青に焦る気持ちが失せる。俺が人に怒れるよう練習させるため、わざと起こさなかったのだと理解すると同時、昨日の情けない自分を思い出す。怒りの代わりとばかりにやってきたのは、ただひたすらに後悔だけだった。
「……青。昨日のこと、忘れてくれないか」
「赤、」
何事かを紡ごうとした青の口を、手で塞ぐ。青は驚く様子もなくそれを黙って受け入れる。
「弱い俺なんて見られたくなかった」
吐き捨てるように言う俺を、青はただ静かに見つめる。ゆるり。自然な動作で小首を傾げた青は、俺の掌の内で口を開いた。
「それが、赤の願い?」
「あぁ」
「……、そっか」
分かった。たった一言、短く了承の意を示すと、青は俺の背を優しく撫でる。
「さ、赤。昼食べに行こうか」
「……、ぁあ」
青は、俺に制服を手渡すとそっと微笑む。
「……由」
「っ、ん?」
「由は、神様なんかじゃなくて、ただの人だよ。俺の、大切な」
それだけは覚えておいて。
ぽんぽんと俺の頭に触れ、青は部屋を出ていく。肌を見まいと気を遣ったのだ、と気付いた俺は、誰もいない部屋で一人苦笑を零す。
「ばっちり覚えてるじゃないか……」
切なさに抱き込んだ制服からは、ほんのりと青の匂いがした。
■
「隣いーよねぃ?」
「……っス」
頭上から間延びした声と、緊張した声がした。牧田と二村だ、と気付いた俺と青は、食べるのを中断し二人分のスペースを空ける。どしり。俺を押しのけるようにして隣に座った牧田は、いただきますと手を合わせる。青の隣に座った二村も、黙って手を合わせると注文したものを食べはじめた。
あのさー、と牧田が昼食をつつきつつ口を開く。
「風紀のトップ二人が熱い夜を過ごして寝坊したって噂になってるけど」
どーなの? と目を細め聞く牧田に、青と二村がむせ返る。この学園の生徒は耳が早いな。熱い夜でこそなかったものの、それなりに痛い腹のある俺は僅かに顔を顰める。
「……、別に。何も、なかった」
ふぅん? と牧田は眉を顰める。訝しげな視線を、青は涼しい顔で受け流す。
「何もなかった。勉強を赤に教えてもらったりはしたが」
青のフォローに軽く頷く。牧田は暫く不満げな表情をしていたが、何かを思いついたのか人差し指を立てた。
「そうだ、それなら俺にもまた勉強教えてよねぃ。菖ちゃんも分からないとこあるしー」
「あ゛!?」
「あるでしょ?」
「……ある」
「という訳だからよろしく! 俺らの部屋でいい?」
「却下」
答えるより早く。青が俺の言葉を遮る。え、と驚き顔を見やると、青は額の皺を深くし牧田を見つめていた。威嚇するような目力に、何事かと困惑する。牧田と二村も、気付けば似たような視線の鋭さを目に宿していた。
「俺も勉強を教えてもらいたいからな。お前らの部屋に攫われては困る」
「はぁ~? それって独り占めしたいだけじゃないの?」
「そうだが」
あっけらかんとした青の様子に牧田は絶句する。何をそんなに驚いてるんだろう。割と青はそういう子供っぽいこと平気で言うぞ……ってそうか。この学園ではあんまりそういった青は見られないのか。なるほどな。一人ウンウンと納得していると、青は更に二人に言い募る。
「それに、俺は役持ちだから、部屋が広い」
ドヤ顔で言い放つ青。それなら皆して青の部屋で勉強すれば、と提案すると途端にその顔は萎んだ。
「あぁ! っふ、いいねぃ。そうしようか」
「………あぁ」
「……そうだな。いい案だ……」
じゃあ、と牧田は器を片付け、俺の腕を引く。
「ちょ、赤は午後の授業がッ」
「ちょ~っとくらいサボっちゃえばいいじゃん。ねぃ?」
「別にいいけど」
元来俺は真面目な生徒ではない。千頭にいた頃は授業なんてほとんど出なかった。大人しく腕を引かれると、青は焦ったように反対側の腕を取り俺を引き留めた。
「俺の部屋だったら俺もいなくちゃだろう!」
「別にぃ~? 鍵だけ貸してくれてもいいし、なんなら、俺たちの部屋でもいい」
ね、と二村に呼びかける牧田に、青は視線を鋭くする。二村は半ばめんどくさそうに溜息を吐くと、牧田の頭を黙って殴り飛ばした。バシンといういい音と共に牧田の頭が勢いよく振れる。
「いった! ちょ、菖ちゃん油断してる時に殴らないでよ!!」
「うるせぇ死ね!」
「はぁぁぁ?! いきなり殴ってそれかよ潰すぞ!?」
「やれるもんならやってみろやカス!!」
「うるせぇ食堂でじゃれるな!!」
騒ぎはじめた二人にチョップを落とす。途端大人しくなった二人に咎めるような視線を送る。しれっとスルーする牧田と、気まずそうに視線を逸らす二村。二村の頭に手を伸ばし、柔く撫でる。
「騒ぎを止めようとしたとこまではよかった。次はもっとうまくやれ」
拳以外の方法でな。
二村はくしゃりと顔を顰める。お前も殴って止めただろうが、という指摘は聞こえないフリだ。
「で、どうする? 行くか、行かないか」
ほら、と促すと、青は薄く口を開いた。
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