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宮野千景side
不良然としたその男は、俺の姿を認めるとへらりと笑う。
「先輩方、何を言い争ってるんです?」
「コイツが俺を他にやってこの風紀を一人でヤろうとしてんだよ」
「しねーつってんだろ」
「多分っつってたじゃん」
「……俺が見てましょうか」
スキンヘッドの男は提案し、にこりと笑う。
「この間いいおもちゃ買ったんですよ~。俺の部屋にあるんですけど使いません?」
「お、いいな。ついでにローションもくれ」
「いいですよー。コイツ見てるんで、俺の部屋……三〇一から取ってきてください。ベル鳴らしたら同室の奴が出ると思います」
スキンヘッドは、軽い調子で了承する。男たちはスキンヘッドの様子を訝しそうに見た後、盗らないよな? と睨みを利かせる。スキンヘッドは困ったように肩を竦め、苦笑する。
「先輩方の獲物を? 盗りませんよ。俺、Fの遣いっぱしり扱いされてる奴ですよ? そんな度胸があるように見えます?」
笑い交じりの返答に、男たちはそれもそうだと頷くと、空き教室を出ていく。ひらひらと手を振り見送るスキンヘッドからさり気なく距離を取る。スキンヘッドは、男たちの姿が見えなくなったことを確認すると、シャツの上に着ていたジャージを俺に放り投げた。
「それ着ろ」
「っえ、」
「早く。あいつら戻ってくる前に逃げるから」
突如、軽薄そうな雰囲気が霧散する。男の様子が変化したことに戸惑いつつも、引き裂かれたズボンを腰元まで引き上げ、シャツを羽織り、ジャージを着る。男は俺の動きが痛みでぎこちないのを見てとると、ひょいと俺を担ぎ上げた。
「なっ!」
「うるさい。ちょっと黙れ」
面倒臭そうな表情を隠すことなく俺にぶつけると、男は軽い足取りで空き教室を後にする。
「どこに、」
「黙れって言っただろ。ったく、攫われてきてんじゃねーよ。面倒臭い」
質問に答えることなくぶつぶつと文句を言いだす男。
「なんで助けてくれたの。あんた、」
「Fのくせに?」
ハッと嘲るように笑った男は、走りながら答える。
「牧田さんが暴行・強姦を禁止してんだよ」
「それだけ?」
「それだけ!? お前、何も考えてねーのな。これがどれだけすげーことか分かんねーのか」
俺の体を抱える腕に、ぐっと力がこもる。痛い、と零すと男は力を緩めることなくチラリと視線を向けた。
「F組のトップは、喧嘩の強さで決める。上の指示が気に食わなければ頭をすげ替えればいい」
大怪我で済むかね? と言う男のカラッとした笑顔に、目を見開く。お綺麗な顔で誑し込む? 馬鹿を言え。それだけでFが、あの烏合の集が、こんなに笑いながら一つになろうとするはずがないだろう。
「副委員長が、頼んだんですか」
「? 何を」
「暴行・強姦を禁じるようにって」
そうなのでは、という胸に抱いた予感をそのままに思わず問う。
「はぁ?」
返ったのは、予想外の言葉。
「牧田さんが、好きなやつの役に立ちたいって、ただそうやって動いただけに決まってんだろ!」
敵わない。どうやったって、敵わない。一度認めてしまえば、頑なだった心はするりと解けた。だってどうしろっていうんだ。心の奥底から人を魅了してしまう。そんな人にどうやって。ぽろりと涙が溢れた。肩に雫が落ちたのか、男は傍迷惑そうにうわ、と声を上げる。
「泣くなよ鬱陶しい」
「うるさいいいいい~」
ズビズビと鼻を鳴らしはじめた俺を床に下ろし、ティッシュを押しつける。続けて投げ与えられたハンカチにキョトンとする。見上げる俺に、男は使えと顎をしゃくる。ハンカチには男の不良然とした出で立ちに似つかわしくない可愛らしい字で、『じょーじ』と書かれていた。
「じょーじ?」
「呼ぶな。それ俺の下の名前だ。根岸 丈二 。呼ぶなら根岸にしろ」
嫌そうに言った根岸は、廊下のざわめきにはたと表情を変えた。立て、と俺を促し肩に担ぐ。詰め込まれたのは、旧体育館の用具入れだった。手入れのされていない用具がカビ臭い。
「……運ぶ時に悪目立ちしたな、こりゃ」
「なに、今どうなってんの」
「能無しチンコにお前を逃がしたのがばれたんだよめんどくせー。三年共がうじゃうじゃ沸いて来やがる」
「どうして」
「牧田さんはFのトップだけどそれが気に食わねぇ奴もいるってことだよ。何も強制されなけりゃ大人しいモンだが牧田さんみたいに何かを変えようとしたら馬鹿共……特に上の学年の奴らは面倒臭いことになる」
「どうなるの」
根岸はうぜぇ、と顔を歪めるも、背中越しに答えてくれる。
「二年と三年の全面戦争。一年はどっちに付くかってところか。今ここで楯突いたら開戦だ」
根岸は皮肉っぽく笑うと倉庫のドアに手を掛ける。二十人か、という呟きに根岸の手首をクンと引く。
「まっ、!」
「何。俺忙しいんだけど」
「勝てるの?」
「勝てねぇよ? 二十人だぞ? 無理だろ」
しゃあしゃあと言う根岸に絶句する。根岸は俺の反応を見ると不愉快そうに眉根を寄せた。
「勘違いするなよ」
「え、?」
「俺がお前を守るのは牧田さんのためだから」
俺が逃げるか逃げないかは牧田さんのメンツに関わんの。
馬鹿な子供を見るような目。コツンと俺の額を小突くと、根岸はあっさりと用具室を後にする。扉を開いた一瞬、外から喧騒が漏れ聞こえた。
殴打音と叫び声。両耳を押さえ丸くなる。一、二、三……と数を数え恐怖をやり過ごす。怯える頭は、何回も同じ数を浮かべつづけるばかりで、一向に数は先に進まない。蹲る俺の鼻先に埃っぽいマットが触れる。気管に張り付くような匂い。恐怖に息が浅くなる。扉がガタンとレールを跳ねる。足が竦む。後退りをするも、すげなく壁に追い詰められる。
がらりという音と共に扉が開かれる。やってきたのは、先ほど襲ってきた二人組の男。男は何かを俺に向かって投げた。影が俺の横に落ちる。痛みに呻く影の顔を見た瞬間、その正体に気付く。根岸だ。
「根岸っ!」
「う、るせ」
「歯向かってきた割に大したことなかったな」
「はは、先輩方、二十人近くで襲ってきて強者面は流石に笑えますわー。ネタですか?」
倒れているくせに大きな口をきく根岸に、男たちは青筋を立てる。蹴飛ばされた根岸は、痛みに息をかみ殺しながら倉庫の奥へと転がった。追い打ちをかけるように上げられた足に、根岸へと覆いかぶさる。骨が軋む音。関節が痛みを訴える。痛みを逃がそうと息を吸うと、喉の奥から潰れた声が漏れ出た。
「なにこいつ。パシリのこと庇ってやがんの」
「ウケる。ほーら。避けないと肩蹴っちゃうぞ~」
下卑た笑い声に、視線だけ上げる。ニヤニヤと細められた目。甚振るように上げられる足。チクショウ、と睨みつけたところで、体は怯えて委縮する。助けて、と声にならない悲鳴が唇を震わせた。
ドガァッ!!!
突如、倉庫の扉が吹き飛ぶ。風圧に、手入れのされていない床が埃煙を立てた。ぶわり、靄を切り裂くように人影が俺の前に立つ。きらりと光を反射する金髪に、先輩と掠れた声が漏れた。
「テメェら、俺の仲間に手ェ出しやがって覚悟はできてんだろうな?」
──仲間じゃないって言ったくせに。
そう思うのに、単純な心はふわりと浮上する。すらりと伸びた背中に、俺は意識をあっさりと手放した。
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