100 / 212

4-20

「気分はどうだ? 副いいんちょーさまよ」 「……」  ニヤニヤとだらしなく口元を緩める不良。牧田が外泊することになっている今日、F組は俺たちの狙い通りに動いた。することになっている、というのは、実際にはそうではないからだ。牧田いわく、長期休暇に帰省しないため毎年慣例的に学期末テスト後、実家から呼び出しがくるのだとか。通知表を送っておけば問題ないと笑って、牧田は風紀室の取り調べ室に隠れている。  にしてもこんなに上手くいくとは。背後から迫る気配に逆らわず力を逃し、気絶したフリで倒れてみせた俺は、現在北校舎の屋上で腕を縛られ、地面に転がされている。幸い足は縛られてないからやりようはあるが、厳しいものがある。 「キミがぁ、このまま無事でいると都合が悪いんだよねー。困っちゃうの俺ら」  へらへらと痛ぶるために近づいてくる不良を鼻で笑おうとして──思い出す。  一人で傷つくなだったか。難しいことを、と内心こぼし、弱々しく笑ってみせる。 「……俺、一人だけなの?」 「あ?」 「夏目くんは? 俺、一人じゃ何もできないよ。いつも夏目くんに頼ってきたんだから」  体育座りをし、揃えた膝に顔を埋める。バレないよう瞬きをこらえ、涙を仕込む。目が痛い。  他の連中から聞いてた俺の人物像との齟齬に動揺する声が広がる。おい、と乱暴に俺の上体を起こした男は、俺の目が潤んでいるのを見てギョッとした表情をする。 「なに?」 「こないだの喧嘩は、お前が勝ったんだよな?」  あぁ、なるほど。  青の存在までは伝わってなかったのか。通りで攫われたのが俺だけなわけだ。青がいたら今すぐにでも行動を開始するところだが、一人とあってはそうもいかない。今はとにかく時間を稼がなければ。  頼むぞ、と橙からもらった発信機に祈る。桜楠学園が山中に立地している都合上、どうしても電波は滞る。速やかに教室の場所を特定するのは至難の業。機能の制限された発信機と、校内の監視カメラをハックしながら居場所を割り出す作戦だ。 「んー? 俺は夏目くんの後着いてっただけだよー?」  ふにゃ、と笑うと不良たちはまた相談を始める。何事かを言い合った連中は、俺の顔横の壁に足を置き、質問を寄越す。 「お前、随分いつもと様子が違うじゃねぇか」 「?」 「とぼけんな」  ガン、と足が壁を蹴る。あぶねぇな。 「答えろ」 「えーっと。いつもは夏目くんにあんまり喋らないで笑ってるように言われてるから」  その方が賢くて強そうなんだって、と言えば、Fの連中はうぐ、と黙り込む。どうやら信じてくれたようだ。どうしたものかと相談を始める連中。その片隅から鋭い視線を感じ、俺は咄嗟にその主を見つめた。  ──視線が交わる。  ワックスで髪を跳ねさせた赤髪の男。軽薄そうな雰囲気を持ったそいつは、俺の演技に気付いたのか薄っすらと笑む。 「すみません、三年の方々」 「あ? なんだ柴(シバ)」  妙にかしこまった口調で話すそいつ……柴に、俺の演技について報告するのかと身を強張らせる。腕の拘束を密かに確認するも、相変わらず解けそうな気配はない。まずいな。チラリと様子を窺うと、柴はふっと腹の立つ笑みを浮かべた。 「どうやら噂とは違って風紀の副委員長は幼かったようですし、縄は解いてしまっても良いのでは?」 「いや、でもよ」 「マーフィーの法則ですよ」 「は? いや、え? じゃあ、外すか?」  なんでマーフィーの法則だよ。  マーフィーの法則は、『落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する』という経験則を示したもので……ってそんなことはどうでもいい。  よく分からない理屈をドヤ顔で捏ねる柴に押され、縄が外される。縄を外した柴は、「あ」と声を上げると俺に向かって一礼した。 「伝え忘れておりました。私、柴ゆっきーと言います」 「ゆっきー?」  いや、絶対違うだろ。苗字はともかく下は渾名だろう。とはいえ、演技中の身ではそうも言えず、よろしくねゆっきーと笑って手を差し出す。軽く握手を交わした柴は、俺の呼び方に満足そうに頷いた。 「はい、ゆっきーです。一年のFのトップをさせていただいてます」 「そうなんだ。すごいねぇ」  先に言えよ。なぁそれ先に言えよ。びっくりしたわ。  ぎょっとした内心を押し殺し無邪気にはしゃいでみせると、柴はニコニコと俺の頭を撫でる。 「よーしよしよし」 「俺子供じゃないんだけど……」 「そうですね、よーしよしよし」 「うう」  居たたまれなさに半ば素の呻き声が出る。何この状況。青頼む早く来てくれ。 「お兄ちゃんがおやつをあげましょう。甘いものは好きですか?」 「えっ、あ、うん。好きだよ」 「チョコとゼリー、どっちが好きですか」 「プリン」 「買ってきます」  マジで。  テキパキと自分の下に就いている一年生に指示を出す柴。あれ? こいつ、俺の演技に気付いてたから笑ったんだよな? あれ、違う? もしかして違う?  ぐるぐると混乱しはじめた頭で、切実に思う。  すごく助けてほしい。

ともだちにシェアしよう!