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4-22
屋上が水を打ったように静まりかえる。眉尻を釣り上げる者、目をそらす者、俯く者。三者三様の反応に、俺は再度口を開く。
「……強姦事件を起こしたのは、学籍番号14-53349、前下と14-66741、山口の二名。抗争が重なりはしたものの、事件自体はこの二名によるものだ。……お前らがそれを混同してFの責任にするんじゃねぇよ」
「……、は?」
ぽかんとした表情になる一同に、呆れた声を出す者が一人。
「だぁかぁらぁ、赤はお前らのせいじゃねぇからFであることを引け目に思うなって言ってんの」
ズカズカと屋上に乗り込んだ青は、俺を引き上げ背に隠す。新たに登場した人物に一瞬困惑が広がるものの、青はそれを気にする様子を見せない。
「なんでこの人いるの? みたいな顔やめろよ。お前らが抗争に勝った人物として俺を呼んだんだろ。丁寧に雑魚送りつけてさ」
ほら、と入り口に打ち捨てられている影を指差す。青は俺に怪我のないことを確かめると、ふわりといつもの笑みを見せた。
「喧嘩しなかったんだな」
「……お前が怪我するなって言ったんだろ」
「うん。──頑張ったな」
甘く髪をかき混ぜる指先に、瞳が揺れる。不意に熱くなった目の際に驚き、思わず青の手を弾く。
「っ、ごめ」
「……おいで」
自分のとった行動に固まる俺に、青は苦笑し両手を広げる。人に見られたくないんだろと言う青は、一体どこまで俺のことを見透かしているのだろうか。
おずおずと青の腕に収まり、胸に顔を押し付ける。シャツがじわりと雫に濡れる。胸の濡れる感触に気づかないふりをして、青は連中と会話を進める。
「一つ聞きたいんだが」
「あ?」
「赤を攫った奴は誰だ?」
唸るような声の余韻に、青が怒っているのだと初めて気付いた。
「赤を攫う時に後ろから殴っただろ。うまく力逃してたから大きな怪我はしてねぇみたいだが……危ねぇよなぁ?」
息を吐く音。それは溜息というより、怒りで暴走しないよう自分自身を宥めているような。青は俺の後頭部に指を這わす。下から上へと撫で上げられる感覚に、ぞくりと体が震える。変な声が出そうになるのを、唇の端を噛んでやり過ごす。収まりかけていた涙がじわりと滲む。それが先程とはまた異なる理由でまつ毛を濡らしていることは俺自身がよく分かっていた。
じっと波に耐える俺を置いてけぼりで舞台は進行する。
「……俺だ」
名乗り出る声に、奥歯を噛みしめる音が青の胸から聞こえた。
「殴る」
低く脅す青のシャツをくしゃりと握る。青の怒りを宥めるためか、それとも。青は俺の様子に気付くと、ピタリと動きを止める。赤、と吐息で紡がれた呼び名は、破裂音にも似た殴打の音に隠された。
殴られた衝撃で吹き飛んだのか、物の落ちる音が聞こえる。牧田を呼ぶ声が空間を切り裂いた。はたと音の方向を見る。主はひらりと手を振り笑った。
「はぁい、牧田くんでーす。先輩お久しぶりですねィ」
「なんでっ、ここにいねぇはずじゃっ」
「はいそれ嘘ー。騙されてやんのプププ~」
「言い方ムカつくな!!!」
噛み付く三年生に牧田はヘラヘラとした笑みを引っ込め、冷たく言い放つ。
「ムカつくのはこっちだっつーの」
ピリ、空気が尖る。緊張感が地面を這う。牧田の怒気に気圧されたのか、身じろぎする気配が微かにした。
「椎名に手を出すなって言ったの、忘れたのかこの鳥頭」
なぁ、とにじり寄り口元を歪める。
「まき、」
「牧田」
俺が止めるより早く、少し遅れて教室に入ってきた二村が呆れ顔で声をかける。ほらよ、と牧田の口に何かをねじ込んだ二村は、俺の様子を確認すると怪我はないなと独りごちた。牧田が怒りを発散し損ねたといった微妙そうな表情をする。もごもごする口元には棒付きキャンディー。あぁ、そういえば初めて会った時、二村も口に似たようなものを咥えていたっけ。あれ、棒付きキャンディーだったのか。というか常備してるのか。
「菖ちゃぁん……」
「うるせぇ、なよい声出すな。黙って飴でも食っとけ」
「俺ちょっと怒ってたんですけどぉ……」
「怒ってるのがお前だけだとでも?」
牧田の眉がピクリと跳ねる。不意に二村から立ち上った威圧感に、二村はかつてFのトップだったのだという事実が現実味を伴って思い出される。
「……確かに、そうだね。椎名慕う奴は多いし。それに、既にそいつらに粉かけた後みたいだし」
「人聞き悪いな」
苦笑を零す。牧田はホラ、とFの連中を指差した。釣られて見ると、申し訳なさそうに肩を落とす三年と、何やら話し合う一年の姿。所々聞こえるショタというワードからして、碌なことを話し合ってはいないだろう。
「赤」
目の前の光景に呆れていると、青が俺の目にかかった前髪を梳きながら声をかける。
「よく話し合いに持ち込めたな」
「……皆んな話を聞いてくれたから」
青は困ったように笑って首を振る。
「じゃあ、なんで今までF組と話し合いは行われなかったんだと思う?」
「しなかったんだろ」
「違う」
できなかったんだよ。
ぽつり、呟く声に合わせるように、手から髪が零れ落ちる。赤、という声が頭上から優しく降る。
「赤だからできたんだ。他でもない、椎名由だったから、あいつらも聞く耳を持った。赤。赤のお陰でこの学園は変わるよ。ずっとずっと、いい学校になる。──赤の優しさが、痛みが、この学校を変えたんだ」
編入してくれてありがとう。
きゅうと小動物の鳴き声のようにか細く喉が鳴った。悲しくもないのに涙がどうしても止まらなくて。俺のお陰で変わったなんて、そんな筈がないと、そう思うのに。編入してくれてありがとう、その一言が、まるで俺の誕生までも祝福してくれているようで。生まれて良かったのだと、初めて素直にそう思えた。
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