テストの後の一騒動もすっかり収まり、Ｆ連中は風紀の実働部隊として籍を置くようになった。七月中旬。あと二週間ほどでやってくる夏休みの気配に、校舎内はどこか浮かれた雰囲気が漂っていた。 　夏休み中の委員会活動について話したいからと青に呼び出されたのは今朝の事。指定された午後五時に風紀室に赴く。ドアを開けると中は異様な雰囲気が醸し出されていた。電気も点けられていない、薄暗い部屋。授業中以外はいるはずの、常駐当番の委員も姿がない。そのくせいつもは散らかっている部屋はきっちりと整理整頓されており、エアコンも効いていた。そんな僅かな違和感に、首筋がチリつく。 　カタ、と青の執務机の下から微かにした物音に警戒心を高める。息を顰め、音の在処に忍び寄る。鍵は職員室で管理されている。青、もしくは円の持つマスターキーでも開けられるが、青に限ってそう易々と盗られることはないだろう。それではこの音の主は職員室から鍵を抜き取ったか、円から鍵を取り上げたのだろうか。そこまで考え、否と思う。少なくとも、円からマスターキーを盗ったということはないだろう。いくら円が抜けているとはいえ、この学園では学生証の役割も兼ねている鍵だ。流石の円も、食堂や寮と使う機会の多い鍵を盗られてのほほんとはしていないはずだ。多分。 　となると犯人は職員室から鍵を抜き取った者。 　内心で犯人にあたりを付け、執務机の下に隠れる人影に低く飛びかかる。ゴンと頭をぶつける音。わ、と聞き慣れた声を上げ、犯人は仰向けに転がる。すかさず犯人の足を右足で押さえつける形で上に圧し掛かる。抵抗の様子を見せない犯人の顔に、俺は言葉を失った。 「……、」 「……やぁ？　赤」 「なにしてるんだ、青……」 　ひらひらと手を振る青に問うと、苦笑が返ってくる。ぱぁん、と軽快な音が光沢を帯びたリボンや紙吹雪を吐き出す。舞い散る色とりどりの飾りに視界が彩られる。火薬の匂いが鼻孔を擽る。煙の奥で青の笑う気配がした。 「本当はこうやって、びっくりさせるつもりだったんだけど」 「……、充分驚いてる」 「はは、ほんとだ」 　驚きに反応の鈍い俺の様子に、青は成功、と口元を緩めた。自分のネクタイを口元に寄せ、いいぞと独り言ちる。途端、風紀室にぞろぞろと入ってきた生徒たち。中には、風紀委員ではない横内先輩もいる。青は紙袋を抱え入ってきた橙に声を掛ける。 「これ返す」 　ネクタイピンを差し出された橙は、物品を検見し、軽く頷く。 「レンタル料、後でもらうから」 「俺にはがめついよな、お前……」 「青は好みじゃないからさ」 　話している二人の傍ら、委員たちは何やらせっせとセッティングをしている。長テーブルや椅子をセットし、クロスを掛けようとしている委員に手伝おうかと申し出るとやんわり断られた。机の上に飲み物や食べ物の出揃った頃、ようやく疑問を口にする。 「……ところで、なんでこんなにお祝いムードなんだ？　Ｆが風紀に加入したからか？」 　加入した人数が人数だったからな。その割に、この場にいるのは牧田や根岸、柴、三年Ｆのトップといった僅かな人数に限られている。ちなみに三年のトップは寺尾昭正(あきまさ)というらしい。ぼんやりと考える俺をよそに、部屋の空気はびしりと固まる。え、俺何かまずいこと言ったか。そろりと青を見ると、青は「アッ」とでも言いだしそうな顔で周囲の視線を一身に受けていた。 「言うの忘れてた」 　誤魔化すように笑った青に、任せていられないとでも思ったのか神谷がずいと登場し、俺の肩を掴む。……すっかり青を理想化する癖治ったよな。もう少し丁寧に接してもいいと思うぞ。多分他のことで手一杯なあまり青に意識を払ってないんだと思うが。そういう一意専心なとこあるよな、お前。 　内心呆れられているとは知らない神谷は、青の苦笑いに気付く様子を見せず口を開く。 「先輩。今日は何日ですか？」 「えっ、今日？　七月……十五？」 「そうです。何の日ですか？」 　真剣みを帯びた眼差しに、何かを言わねばと頭を唸らせるが何も思いつかない。 「あ」 「なんですか？」 「もしかして俺、今日パトロールの日だった？」 　俺の当番は明日だと思っていたが実は違ったのだろうか。謝ろうとする俺の言葉を遮るように神谷は違いますと否定する。違うのか。 「仕事に不備はありませんよ。それに、あなたがいくらへっぽこだったとしてもこんなに人数は集まりません」 　確かに。この人数が俺の説教のために集まったとか怖いな。ギリ勝てるけど。 「じゃあ何だ……？」 　本気で頭を抱えはじめた俺に神谷はじれったくなったのか、ぱぁんとクラッカーを鳴らす。 「誕生日ッ、おめでとうございますッ」 「たん……、え」 　困惑から言い淀む俺を置き去りに、周囲は釣られるようにおめでとうとクラッカーを鳴らしはじめる。硝煙の匂いが部屋に充満し、空気は白く濁る。換気しようという誰かの慌てた言葉で窓が開かれ、白く色づいた煙は外へと逃げていく。煙の匂いが失われるとともに、頭の中の靄も徐々に晴れていく。 　誕生日。俺の。 「……それだけで？」 　これだけ多くの生徒が、それだけのために、こんなに準備をしてくれたって言うのか？ 　彷徨う視線は、集まった生徒の顔を撫でていく。カメラで俺を連写する柴と、柴の首に腕を回す橙。そんな二人をドン引きした表情で見つめる寺尾。自分のことのように嬉しそうな顔で拍手をする横内先輩。泣きそうな顔ではにかむ牧田に、少し呆れた顔をする二村。緩く手を叩く根岸と、複雑そうな表情で根岸を見つめる宮野。それを見守る鯉渕はどこか楽しむように笑んでいる。木下は、いつも一緒にいる二人と拍手をしていた。脇に携えられた数独の冊子は相変わらず健在だ。ぼんやりしている俺に、怒ったように眉を顰めながらも口元は緩んでいる神谷。視線は、神谷の後ろの方、俺を見つめる青で止まった。ふわり。仕事中は引き締められている口元が、視線が重なり瓦解する。拍手に紛れて聞こえたおめでとうの言葉に、三年前の今日を思い出す。 「……ありがとう」 　本当に。 　どう言葉を尽くせばいいか。それさえ俺には分からないけど。 「ありがとう」 　だって、こんな気持ちどうやって伝えたらいい。体の内が焼き尽くされてしまいそうな程の歓喜。俺という存在が、創りかえられそうな熱量。誰かのクラッカーがまた、軽やかに鳴る。頭上を舞う色彩は、鮮やかに網膜に焼きついた。