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電話がかかってきたのは盛り上がりの落ち着いた終盤。一言断り、夜の中庭に出る。夏とは言え、日の沈み始めた外は熱を手放しはじめていた。風がふわりと頬を撫で、髪を攫う。風が去ると、髪は目を隠すように顔へと戻る。前髪のカーテンに頭を振るい、髪を払う。ぴ、と押されたスマホの受信ボタンは、電子音を訴えた。
「……もしもし」
『由……。元気か』
「ああ――、一秀」
久しぶりに聞く一秀の声は、疲れの色を滲ませている。以前電話した時の言葉少なな様子を思い出し、心が竦んだ。電話を持つ手と反対の手を耳朶に伸ばす。ピアスは先程までいた室内の温かさのせいか冷たさを宿していない。常であればその冷たさに冷静さを取り戻せるのだが、石の温かさは心の緊張を解さなかった。
『この前は一方的に終わらせてごめんな。奥さま、……由にありがとうって仰ってたよ』
俺に? いや、“円”にか。一瞬期待しかけた自分に馬鹿だなと笑う。そう、と独り言ちると一秀は静かに肯定した。
『由、今外か?』
「うん。一秀は?」
『俺も外。風邪、引いてたりしないか』
「引いてないよ」
心配そうな声の調子に苦笑いする。前の電話の様子が嘘だったかのようないつも通り。だがもう離れなくては、と気を引き締め直す。そんな俺の考えを見透かしたように一秀は由、と柔い声を出す。
「、なに」
『誕生日、おめでとう』
「は、」
不意打ちの祝福に間抜けな声が出る。スマホから一秀の喉を鳴らす音が聞こえた。
『そっちで誰も祝ってくれなかったのか? 親衛隊とかあるだろ?』
「ある。ある、けど」
誕生会には、親衛隊も参加していた。それを告げようと思うも、動揺した口は言葉を成さない。一歩間違えればなんでと問いただしてしまいそうだった。嫌ったくせに。離れたがってるくせに。なんで俺の誕生日なんかを祝福する?
戸惑いぶりに何かを察したのか、一秀は声のトーンを落とす。
『俺のせいか』
「ちが、」
何を指しての言葉かと考えるより早く否定する。自分が何を否定しているか、俺自身にさえ分からない。
『由。不安にさせた。ごめん』
「かず、違う」
『違わない。俺のせいだ。……由』
「……、なに」
生ぬるい風が頬を撫でる。無意識の内に落ちていた視線に気付き、空を仰ぐ。満天の星空のその広さにほう、と息を吐いた。
『俺はお前を嫌いにならないよ』
「……、うん」
嘘と言いかけた口を強引に噤む。揺らいだ空気に一秀は溜息を吐く。ハァ、という音声にびくりと身が縮んだ。
『お前が奥さまのお腹に宿ってるって知った日、父さんと母さんは大はしゃぎだった。小学生だった俺は、父さんと母さんの生活の中心が俺以外の子供になるのが少し悔しくてさ。それでも、毎日少しずつ大きくなっていく生き物が気になってそわそわしたりして』
ふ、と笑う声。語られはじめた話は、俺の生まれる前の話で。由と呼ぶ声はその時からずっと俺を慈しんでいたのだろうと、語る口調の優しさが俺に伝える。
『生まれたばっかの由はさ、のぼせたみたいに赤くて、ふわふわしててさ。……円と手ぇ繋いですやすや寝てて。二人ぼっちの世界で生きてるみたいに小さくまとまって寝てる生き物に、守ってやらなくちゃって。小さな手に指を差し出したらきゅって握ってさ。生まれるまで両親をとられたっていじけてた癖に、旦那さまや奥さまから俺が二人を囲い込んじまって』
父さんから怒られたりしたな。
目の前にいない一秀の、照れたように鼻の下を擦る姿が想像できた。
『一番初めに喋った言葉は、にぃ。俺に向かって言ったから、にぃちゃんって意味かと思ったんだけど。なーんでも気に入った物全部をにぃって呼んじゃうんだから酷いよな』
言葉とは反対に、声は笑みを含んでいた。
チカ、と瞬きを感じ、墨の滲みはじめた空を凝視する。感じた瞬きは溢れんばかりの星に紛れ、どれであったか判別がつかない。
ないように見えても、あるものはやっぱりあるんだよ。
田上先生の言葉を思い出す。あの時先生は、傷や痛みもと言葉を続けた。でも本当は、それだけじゃなかったんだ。今分かった。あるかどうか、見えないのは傷や痛みだけではない。かずにぃ、と怖々呼ぶと一秀は「ん?」と優しくそれに応える。それが、俺の見つけたものに対する答えだった。
「俺のこと、嫌いじゃない?」
面倒くさい質問。何を期待しているか分かり切った、甘えた問い。いつもなら発しなかっただろう言葉を聞いた一秀は、嬉しそうに笑った。
『当たり前。大好きだよ!』
生まれてきてくれてありがとう。
祝福が。優しさが。耳から脳に浸透する。温かい夏の風が、抱きしめるように俺の体を包み込む。攫われた前髪は、再び俺の目をカーテンのように覆う。込み上げた感情を嚥下しようと喉を動かし、失敗する。背中が震えた。へにゃりと口角を緩め、かずにぃと口にする。
『ん?』
いつも通り応えた声に破顔する。ポロリと落ちた雫を、カーテンは不器用に隠した。
「、ありがとう」
また、ふわりと風が吹く。空はすっかり夜を告げていた。
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