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 夕食後、頭痛薬を飲む。大浴場には露天風呂がついてるんだって、とはしゃいだ様子で出て行った田辺たちを見送ると、部屋にいるのは青と俺の二人きりになった。 「風呂に入りたくなったら声かけてくれ。一階のユニットバスならいつでも使えるから。言ってくれれば案内する」 「……ああ。ありがとう」  布団の中でぼんやりと天井を見つめる。薬が効きはじめたのか、頭痛は先程よりも軽くなっている。赤。青が小さく俺を呼ぶ。 「ん?」  小さく返事をすると、やけに甘い声が出た。頭が痛いからだろうか。らしくもない優しい声音が恥ずかしく、顔をしかめる。 「……どうした」  続けた声は、むっつりと不機嫌そうな色で。付き合いの長い青はその理由に気付いたのか、控えめに笑う。 「いや、薬は効いてるか聞きたくて」 「……ああ、効いてる」  ありがとう、と礼を言うと二人の間に沈黙が落ちる。布団から顔を出す。ふと見た青は何を考えているのか険しい表情をしていた。 「青」 「ん? どうした。水か?」 「いや、そうじゃなくて」  ピッチャーを手に取る青に首を振る。青は何だと首を傾げながらグラスに水を注ぐ。だから違うというのに。体を起こし、水を受け取る。半分ほど飲んだところで、もう一度青に声をかける。 「……秋山、なんだけど」 「っ、ああ」  話を切り出すと青は被せ気味に返事をする。そんなに真剣に聞くほどの内容ではないから、もっと気楽に聞いてほしい。内心そう思うも、青の姿勢に促され、本題に手早く入る。   「あいつ、俺のケツ狙ってる……っぽい」  一瞬呆気に取られた表情をした後、苛立ちを顔に乗せる。   「何かされたか」 「……まだヤられてない」 「割とギリギリまでいったってことな、了解」  チッ。舌打ちをした青は、スマホを手に取り電話をかける。念入りに踏んどけ、という指示が聞こえた。頭痛がもたらした幻聴か、と一瞬現実逃避をしかけるも、青なら出しかねない指示だなと思い直す。  ごろり。寝転び、窓の外を眺める。夜空の闇の深さに隠されているのか、海は姿を隠している。露天風呂は比較的海に近いらしいから、そこからなら見えるのかもしれない。今頃皆は海の波音を聞きながら入浴を楽しんでいるのだろうか。 「赤、熱は?」  青の問いかけに首を振る。体感だが、熱はないと思われた。 「一応測った方がよくないか?」 「……でも、ないし」  ほら、と体を起こし、青の額に額を合わせる。な? と頬を緩めるも、青は返事をしない。ふと、鼻先が触れあっていることに気がついた。返事をしない青に緊張する。妙に焦りを感じる。青、と呼ぶと、唸るような返事が返ってきた。  明後日の方向に逸らされていた青の視線が俺へと戻る。そういえば、誕生日の日も、こんな風に。  記憶をなぞるように、青の唇がつと、何かを囁き、寄せられる。あお。胸の詰まる感覚に、唇を震わせる。視線の強さに、目を伏せる。近づく気配。は、と呼吸を零せば陽だまりのような優しい匂いが気道を撫でる。唇を青の気配が掠める。ほら、もう、 「ただいま帰りました由きゅん!! あなたのゆっきーここに見参!」 「や~ぁ椎名! ババ抜きしないー?」  柴と牧田の声。我に返り、がばりと体を離す。ドクドクと心臓の音がうるさい。音からして、二人の他にも何人か部屋にやってきたのだろう。居たたまれなくなり布団の中に身を隠す。  俺の行動に目敏く気付いたらしい牧田は、あれ、と声を上げた。   「……夏目ぇ?」 「なんだ、牧田」 「椎名に何かしたでしょ」 「まだしてない」 「油断ならねぇー」  カシャン、とプラスチックの音がした。先程ババ抜きと言っていたから、青がトランプケースで頭でも殴られたのかもしれない。 「菖ちゃん、トランプシャッフルしておいて」 「下の名前呼ぶんじゃねぇわ」  二村はブツブツと文句を言う。その後牧田が何も言わないのを察するに、大人しくシャッフルしているのだろう。などと考えていると、布団の上から声が降ってくる。 「椎名? ババ抜きしよ。折角だしさ」  ね、と布団を持ち上げ、顔を覗かれる。ぱち、と目が合う。牧田は絶句した後、表情を消し、再び俺に布団をかけ直す。ドタドタとやけに力の込められた足音が遠ざかっていく。 「おい夏目ぇ。テッメ何した? 吐け。いや、吐かなくていい。大人しく死んでくれ」 「誰が死ぬか。邪魔しやがって。なーにがババ抜きだ。一人でムダ毛でも抜いてろバーカ」 「はぁ?! 人が優しく苦言を呈したらこれですよ。はー、むかつく。ねぇ、菖ちゃんからも何か、」  低レベルな言い争いが途切れる。こっそり顔を出すと、二人は黙って二村を見ていた。二村は、言われたとおりにカードを切っているところだった。指示と違う点といえば、肝心のシャッフルがど下手であることくらいか。一回切るたびに、ばらばらとカードが床に落ちる。バラ、とカードがまた一束床に落ちたところで、牧田はようやく口を開いた。 「……菖ちゃん。集中してるとこ、申し訳ないんだけどさ」 「あ゙?」 「……神経衰弱でもするつもり?」  二村の眉間に皺が深く刻まれた。

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