126 / 212
4-46
四人家族が三人家族になったのは、俺が五歳の夏のこと。俺たち家族が遊びに行った海は、昔から事故が起きている海だったらしい。父さんの死をきっかけにきちんと海の調査をしたところ、一部海流の向きが違う場所を見つけたのだとか。方向の異なる海流のちょうど狭間。そこに囚われた者が父さんのように死んでいく。
慣れない喪服に袖を通し、俺と円は二人で佇んでいた。あの日から円と母さんはずっと落ち込んでいる。あんなに明るい家もすっかり暗いものへと変わっていた。畠のおじさんとかずにぃも、家族水入らずの旅行中にこんな事件が起きてしまい、気持ちが追いつかないようだった。
「円、由。お前らこっちで休んだらどうだ」
かずにぃが俺たちに話しかける。顔を上げない円から、悲しい気持ちが伝わってきて、俺も悲しくなってくる。双子だからか、俺と円はお互いの気持ちが相手に伝播しやすかった。考えていることも筒抜けだから兄弟に対する隠し事はもっぱら上手くいかない。
二人して暗い顔をする俺たちを、かずにぃはひょいと持ち上げる。高校に入ってからまた身長の伸びたかずにぃの肩は高すぎて少し怖い。横の円を見るとぎゅうと目を瞑っていて、俺と同じように怖いのだと分かった。
「だいじょうぶ」
「……由?」
「円、だいじょうぶだよ」
ね、と笑うと円は恐る恐る目を開ける。俺の顔を見てほんのり表情を緩めた円に安心する。よかった。円が落ち込んでいるのは嫌だった。
かずにぃは俺と円を控え室で下ろす。円は眠くなってきたのかうつらうつらとしている。最近は眠りが浅く疲れている様子だったから無理もない。俺自身も連日の眠りの浅さから眠気に襲われていた。こく、と頭が傾ぐ。
「由も寝るか?」
「……んぅ?」
「はは、寝ぼけてら」
かずにぃは俺の前髪を優しく梳かす。気持ちがいい。心地よさのままに目を閉じる。
「由?」
「……ん」
「由、お前はまだ子供なんだから泣いてもいいんだぞ」
父さんが死んで以来ずっと泣いていないことを言っているのだろうか。つらい気持ちはあったが、不思議と涙は出てこなかった。こうして促されても、それは変わらず。こくんと頷く俺に、かずにぃはおやすみと頭を撫でる。
おやすみ。
返事は声にならなかった。
***
葬式が済んでから、徐々に全てが狂っていった。
「あれ。円がいない」
かずにぃに聞いてもどこにいるか知らないと言う。ふぅんと独りごち、円の居場所を探す。なんとなく嫌な予感がした。双子ならではの勘である。
「こっち、な気がする」
ふらふらと家の中を探索する。ここかな、と扉を開けると円の背が見えた。円、と声をかけようとして気付く。何かおかしい。うずくまる兄は頬を押さえていて。その正面にもう一人の人影を見つけた俺は、思わず息を呑んだ。
「母さん……?」
「っ、由!?」
しゃがみ込んでいた円は俺の姿に目を見開く。状況が飲み込めず狼狽える俺に、円は慌てて駆け寄り、ドアの方へと押し返す。
「なにが、」
「……いいから。部屋を出よう」
「えっ、うん」
振り返ると円の顔がちらりと見える。先程押さえていた頬は赤く、徐々に熱を帯びはじめているようだった。
俺たち二人の部屋に連れて行った円は、腫れた頬に顔を顰めながら言う。
「いいか、由。暫く母さんから距離を取るんだ。最近疲れてるみたいだから、近付いちゃダメだぞ」
「……? 距離を取る……?」
なんで? と首を傾げる俺に、円は目つきを険しくする。
「いいから! きっと暫くすれば母さんも元に戻るから! 言うこと聞け!」
「なんだよそんなに怒って! もう分かったからほっぺた冷やすぞ!」
「あっ、おい! こっちだって真面目に言ってんだぞ!」
「分かったから! 腫れてるって言ってんの!」
台所から保冷剤を持ってくると、円は部屋で眠りこけていた。腫れた頬にそっと保冷剤を当てる。冷たさに円は薄く目を開ける。どうやら眠りから覚めたらしい。
「んぅ……?」
「なぁ円。これ母さん?」
「ん、そう」
億劫な様子で円は認める。母さんが円をぶったというのが信じられなかった。それでも、円が言うのなら事実なんだろう。先程見た光景からしても間違いがなさそうだった。
「いつから?」
「一昨日」
母さんがおかしくなり始めた時期を聞く。円が俺と離れて行動し始めたのは葬儀が終わって一週間後、つまり先週からだったから、その時から予兆自体はあったのだろう。俺より不器用なくせに必死に兄貴として振る舞おうとしてくる。大体は失敗するくせに、肝心な時に頼ってくれない。頼らないことが強さだと勘違いしているかのような振る舞いが憎らしかった。
「兄貴ぶんな、ばか」
「それでも俺は兄貴だから」
円はうつらうつらと再び眠りの世界に入りかけながらも言う。すぅすぅと聞こえはじめた寝息に、俺は静かに反論する。
「俺だって、お前を守ることくらいできる」
ともだちにシェアしよう!