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5-5 横内陣side

 何年いたところで慣れない場所はあるのだとつくづく思う。一個下の弟は入学早々適応し学級委員のポジションを獲得しているというのに僕ときたら。諦めの悪い、と弟は苦笑するが僕からしたらお前の諦めが良すぎるのだ。  親衛隊だとか言って桜楠円に集う輩の気が知れない。桜楠円にはしゃぐ吉衛柚月を鼻で笑えば、ねちねちと下らない嫌がらせに遭ったのは去年の話だ。でもまぁ、あれは僕も悪かった。人の好きなものを否定するのは賢くない。だからといって嫌がらせを長々と継続していい訳ではないのだが。  なぜ、あんなに桜楠円がモテるのか。顔か? うん、顔だな。折れてしまいそうな儚さが、と吉衛は言うが理解できない。男の儚さのどこが良いのだ。僕からすれば芯のない男なんてマネキンより良いところがない。  とはいえ、この学園ではそのマネキンが称えられているのだから薄気味悪い。適当に聞き流せば良いのにとは弟の言だが、そんなことは分かってる。分かっていつつも耐えられないからこうして外へ避難しているのだ。  苛立ちを紛らわせるように足下の小石を蹴る。弾みの付いた小石は見当外れの方向に転がっていく。目で追いながらも、足は目的の方向へと進んでいく。ベンチが近付く。そのベンチの後ろにある花壇が僕の目的地だった。  持っていた園芸道具を地面に置く。しゃがんで若葉に顔を近づける。緑の縁は虫に食われたのか、曲線が少し欠けていた。歪ながらも以前より大きく育っている緑に笑みを零す。  花壇といっても育てているのは花ではない。僕が育てているのは野菜やミント、農作物の類いだ。このお綺麗な学園の隅の花壇で野菜を育てる。こっそり学園の価値を落とすことで僕は自分の中の蟠りと折り合いを付けていた。お陰様で花を育てるのが趣味だと勘違いされ、やけに可憐なイメージを付けられてしまったがそれは良しとする。  この野菜を吉衛に食わせてやりたい。にんじんが苦手だと聞き、わざわざ育てはじめたのだ。奴の食べるものににんじんを混入させ、美味いと聞きたい。去年嫌がらせを続けた男の育てたにんじんは美味かったなんて、プライドの高いアイツなら憤死しそうだ。  吉衛が僕を嫌っているのは周知の事実だが、僕も奴が嫌いだ。馬が合わないというやつだろう。お陰でにんじんの収穫期には僕のご飯はもっぱらにんじん料理だ。腹が立つあまり育てすぎたようである。  吉衛と並んで僕を可憐な男扱いする輩がいるようだが、勘弁してほしい。なんだって嫌いな奴と対の扱いを受けなければならないんだ。イライラと土を掘っていると、背後から呻き声が聞こえる。慌てて振り返るも、人影はない。空寒いものを感じながら、土いじりを再開する。すると背後からまた、声が聞こえた。……間違いない。誰かいる。 「誰ですか」  きょろ、と視線を彷徨わせ……見つける。声の主は、ベンチの下の方に食い込む勢いで入っていた。かくれんぼなら一等賞だ。髪は真っ黒。襟足が少し長い。白っぽい肌が服の下から覗いている。顔立ちはどこか桜楠円を思わせた。耳朶を飾る赤いストーンピアスは、存在を主張するようにきらりと日光を跳ね返す。似ているが、桜楠円ではないようだ。あのマネキンはピアスなんてしていない。 「君、起きてください」  寝るなら寮で、と言うが一向に起きる様子を見せない。外で寝るなんて何を考えているんだか。不用心さに呆れる。放っておいてもよかったが、それでこの人が襲われれば気分が悪い。君、ともう一度声をかけ、肩を揺すろうと手を伸ばす。  伸ばした手は、肩に触れるより早く手首を掴まれた。後ろ手で僕の手を阻んだ黒髪は、じろりと僕を睨む。眠っていた時には気付かなかった、冷たい雰囲気。目がそう感じさせるのだろう。顔を顰めた黒髪は、不機嫌そうに舌打ちをして立ち上がる。よく見ると制服を着ていない。この学園の生徒ではないのか。 「……あの、」 「あ゙?」  すぐさま立ち去ろうとする黒髪に声をかける。鬱陶しそうに威嚇をする彼は、じとりと僕を睨めつける。 「学外の方ですか」 「……、見れば分かんだろ」  距離を取りながらむっつりと返事をする彼は、どうやら僕を警戒しているようだった。 「なぜ学園に?」 「……どうでもいいだろ」  手負いの獣のような視線を寄越しながら素っ気ない答えを返される。ふいと顔を背け、立ち去ろうとする彼。痛いですか。追うように声をかけた。 「痛い?」  ゆっくりと顔がこちらを向く。訝しげに顰められた顔に、ひっそりと睫毛の影が落ちる。薄い唇から不思議そうな声が漏れるのを、美しいなと感じた。桜楠円を称える吉衛は、常にこんな感覚を抱いているのだろうか。 「……そう、見えたので」 「痛くねぇよ」  はっきりと断じた彼は、その割に酷く不安そうで。自分の感覚に自信を持てていないように思われた。何か彼を引き留められるような、力になれるような事を言いたくて、言葉を探す。視線を彷徨わせている間に、「由」と男性の声が聞こえる。 「由、帰るぞ」 「うるせぇよ」 「はいはい。今晩は何が食べたい?」  僕の姿に気付くと男性は軽く会釈をし、由と呼ばれた彼の背を押す。不機嫌そうに身を捩りながらも手を弾かない彼は、なんだかんだ男性のことを信用しているのだろう。 「由、くん」 「……、なに」 「また、会いましょう」  彼の目が軽く見開かれる。ほぉ、と男性の感心する気配を感じた。男性の嬉しそうな表情に彼は舌打ちをし、僕に向き直る。 「会わねぇよ」  んべと舌を出して拒絶する彼に、思わず微笑む。遠からず彼に会う。そんな予感がした。笑んだ僕に複雑そうな顔をした彼は、あっさりと背を向け立ち去る。  もし彼がこの学園に来た、その時には。 「僕が親衛隊を作る」  馬鹿にしていた親衛隊を僕自身が作る、なんて奇妙な話だけど。彼がこの学園に来た時、なんとかして支えたい。そう思うから。  収穫時の野菜を回収し、立ち上がる。花壇に来る以前より、不思議と息がしやすかった。

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