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 所謂一目惚れというやつですね、と薄く微笑む先輩に身じろぎする。努めて大人しく聞いていたが、なんとも居心地が悪い。 「僕は君に感謝しているんですよ。君との出会いは、僕に生きやすさを教えてくれた。同時に、新しい世界を見ることの価値も、ですね」  す、と先輩は背筋を伸ばす。美しい姿勢は弓道や茶華道における基本所作を思わせる。吐息一つにも信念の通っていそうな空気感。倣うように背筋が伸びる。目のあった先輩は、唇で弧を描く。よくできましたと褒めるかのような笑みに、引き締めたばかりの表情が緩んだ。 「漆畑くんとの約束通り、親衛隊は動かしましょう。漆畑くんのリークする情報を元に僕ら親衛隊が椎名様を護衛します。怪しげな人影を見つけ次第、近くを張っている隊員が椎名様を誘導、待避させます。よろしいですか」  問いつつも肯定以外を認めない物言い。先輩にとっての戦いはもう既に始まっているのだろう。俺にとっての戦いも、恐らく。  面倒だとしか感じていなかったが、俺が思っている以上に事態は深刻ということかもしれない。分かっている。桜楠円至上主義の蔓延る校内で今の俺は悪でしかないのだと。それでも、円が俺を思い出してくれた。ただその一つの事実が何事にも勝ってしまう。元より、俺は俺がどうなろうとさして興味はない。虐げられるのは慣れているし、悪意に晒されるのもそう怖くない。でも。 「お願い、します」  俺にとっての要らない物をこれだけ大事にしてくれる人がいるのなら。……少しは大事に、してみようかなぁ。  覚悟を拳に込めると、橙が俺の手を包み込む。全てを見透かしたような瞳は、蜂蜜を溶かしたように甘い。不意に、ミルクティーが飲みたくなった。  こくりと喉を動かすと、橙は行こうと立ち上がる。 「じゃ、情報はあんたに伝えるから上手く下を動かしてよ」  一方的に言い放ち、橙は俺の手を引き部屋を出る。辛うじて一礼をし、部屋を後にする。なんだってそんな急に出ていこうとしたんだか。赤と呼び、橙は悠然と振り返った。 「デートしようか」 「はぁっ?」  唐突な提案に抜けた声が出る。約束、覚えてない? という言葉に記憶をまさぐる。あぁ、そういえば宮野を助ける時に交換条件でそんなことを言われたような。思い出した俺に、橙はそうそれと頷く。 「……さっきまで三浦に会いに行こうって言ってたろ」 「うん、そうしようと思ってたんだけど。よく考えたら赤の事情を知らなくても赤のお母さんを探すことはできるし。というかわざわざ三浦ごときに話してやるのは惜しいっていうか」  散々な言われようだが、要は三浦というよりD.C.に対する依頼であるため事情を打ち明ける必要はないという判断なのだろう。俺も好き好んで話したい内容ではないから、そういう形を取られるのは助かる。 「それに、俺が着いていくと情報料取られそうだけど、赤が頼めば三浦も融通利かせてくれそうだし」  今朝何かあったら力になると言われたことを思い出し、確かにと首肯する。という訳だから、と橙は俺の手に指を絡める。指の間からじわりと体温が伝わる。 「デート、行こう?」  ここで選択を俺に委ねるのはずるくないか。  強引に連れ出しておきながら橙は不安げに瞳を揺らす。俺はぐいと繋いだ手を引き寄せ、先導するように歩き出す。 「おら、行くぞ」 「~~~っ、うん!」  橙の声が明るく弾む。軽い足取りで俺の隣に並んだ橙は、「あ、外泊届出してるからね」と告げる。この時間から街に下りるとなると門限には間に合わないから確かに届けは必要だ。必要だけども。 「さっきの顔はなんだったんだよ……」 「断られるかな~? とは思ったけど申請受付の時間って限られてるからさ」  爽やかに微笑まれ脱力する。でもまぁ、これでこそ橙か。 「じゃ、ちょっと着替えて準備するか」  流石に桜楠学園の制服で出歩くのはまずい。それに、 「デートだからな」  デートというのはおめかしするものなんだろう?  俺の言葉に笑みを深めた橙は、じゃあと口を開く。 「校門前、四時に待ち合わせね」  ちゅ、と頬にキスが落とされる。さらりとくすんだ金髪が俺の頬に落ちた。ひらりと後ろ手で手を振る橙を見送りながら、呆然と頬に触れる。 「心臓に悪い……」  背中に汗が滲んだ。  

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